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コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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友人の木山啓子さん(特定NGOジェンの理事・事務局長)の著書「誰かのためなら人はがんばれる」の出版講演会に参加しました。2005年エイボン女性功績賞受賞、日経ウーマン誌ウーマン・オブ・ザ・イアー2006年大賞という栄誉な賞を受賞していますが、彼女いわく「何にも考えずに大学に入って、卒業し」「昔は、目標を立てて、それを目指して努力したことがない」「自己否定のかたまりに悩んでいた」ようで、その「フツ―」さに魅力を感じます。その一方で、彼女の士気は大変高く、彼女が以前「私の人生のミッションは、地球上にいるすべての等しい尊い人々が幸せになろうとする努力を支えること!」と言うのを聞いた時、心の底から「かっこいー」としびれました。私も同じ人道支援者として現地で働き、大勢の優秀な人たちに出会いましたが、彼女のようなはっきりとした信念を持った人はほとんどいなく、新鮮に見えたからです。

それにしても、「誰かのためなら人はがんばれる」は本当にその通りだと思います。私がコンゴのことに熱心なのも、やはりコンゴの現状をより多くの人に知ってもらい、少しでも状況を改善したいという気持ちがあるからで、単に「自分の経歴のために」という(軽々しい)理由であれば、出来ないし、長続きはしないでしょうね。

啓子さん、改めて出版おめでとうございます。学生に刺激を与えるためにも、ぜひ宇都宮大学に来てください! また、世界の人々の幸せのために、共にベストを尽くしましょうね!
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元旦早々、コンゴ政府軍幹部による性的暴力の事件がコンゴ東部で起きました。元旦以降今まで50人の犠牲者が報告したそうです。加害者である幹部と部下計8人が逮捕されました。性的暴力が絶えないコンゴですが、ユニセフの職員が「性的暴力が続く最大の理由は、貧困があるから」「教育の欠乏が相互不敬(mutual disrespect)と直接関連している」と述べているのに、びっくりしました。

http://www.upi.com/Top_News/Special/2011/01/19/UNICEF-Poverty-can-lead-to-sexual-abuse/UPI-18741295456854/

もちろん場合によって貧困も教育の欠乏が性的暴力に誘導する要因の一つかもしれませんが、モブツ元大統領やイタリアのベルルスコー二首相を始め、リッチで基礎教育を受けた人もセックス・スキャンダルに巻き込まれています。

アフリカ諸国に比べると貧困問題があまりない日本でも、セクハラはあります。今日大学でハラスメント(セクハラパワハラ)防止講演会に参加しましたが、経済危機の打撃を受けて、どこの会社も人材を減らし少人数で多い仕事をこなしているため、ストレスがたまり、10年前に比べると労働省へのセクハラ・パワハラに関する相談電話が増えたそうです。大学は一般企業に比べると(教員の)流動性が低く、閉鎖的で人間関係が濃密であるため、言いたいことが言えず、パワハラ等が発生しすいとのことでした。また児童施設も子供への虐待が絶えません。要するに、セクハラ・パワハラ・いじめは、貧困や教育のレベルと関係なく、権力関係があれば、どこでも起きることなのです。これを完全になくすことはできなくても、最低減らすよう社会で努力をしないといけません。
先日あるプロジェクトの準備のために、東京早稲田にある「女たちの戦争と平和資料館」に行ってきました。小さなところですが、慰安婦に関する資料がたくさんあり、見ごたえはありました。皆さんにもぜひ行くことをお勧めします。
 
http://www.wam-peace.org/jp/index.php
 
上記のプロジェクトは、アフリカ数か国の研修生を呼んで、日本の戦後復興から平和構築を学ぶことを目的とします。日本における有名な平和関係の場所と言えば広島・長崎。しかしアフリカでは紛争・エイズ・貧困はあるものの、原爆は経験したことがないので、広島・長崎では核の怖さ以外に、特に母国へ持ってかえるものはありません。その点、「女たちの戦争と平和資料館」では、日本やアジアで強制的に慰安婦として働かされた女性たち、どこの戦争でも必ず起きる性的暴力、またその加害者を裁かない不処罰文化等に関する資料やパネル、写真があります。性的暴力や不処罰はアフリカでまさに現在起きていることなので、アフリカの人たちも母国の現状と照らし合わせることができます。
 
研修生をこの資料館に連れて行くことを思いついたものの、実は資料館で案内を聞いてから「もしかして逆にマイナス要因が生まれるかも」と恐れていました。ご存じのように、日本政府にとって慰安婦問題はすでに解決されており、2005年以降歴史の教科書から「慰安婦」という単語は消えました。公立の学校で慰安婦問題を取り上げると、「不適格な教員」というレッテルが貼られます。ですから、研修生の中に「日本のように発展している国の政府でも処罰をしなかったので、我々も性的暴力の問題を同様にほっとこう」というマイナスなメッセージを母国に持ってかえる可能性があるからです。しかし資料館の視察後のグループディスカッションにおいて、話の持っていき方次第で処罰の重要さを理解できるかとも思っています。
 
普通日本における外国人研修では、日本のいい所のみ案内する傾向があります。それももちろんいいのですが、私はあえてマイナスな点も見てもらいたいのです。確かに日本は戦後経済成長面では発展しましたが、歴史の負の遺産を抱えながら、慰安婦問題など司法に関することを十分に取り組みませんでした。「平和構築」に関して、単なる開発(=インフラづくり)と国交の正常化等と勘違いしている人がいますが、犠牲者のjusticeの問題を直面しないまま明るい将来はないと思っています。私の今年の決意でもあるPeace with justiceを、研修生に考えるきっかけにもなれば幸いです。

1月17日はコンゴのルムンバ初代首相の暗殺日だと2日前に書きましたが、オバマ大統領の任期中にアメリカ政府はそれに関して謝罪すべきだと、アフリカ大湖地域関係のアメリカ人のジャーナリスト、弁護士やアクテイビスト等が述べています。また17日はマーテイン・L・キング牧師の誕生日でもあるのですが、キングが闘ったように、アメリカ政府はアフリカの独裁者への支持を止めるべきだと上記の人たちは要請しています。この独裁者のリストには、ウガンダのムセベニ大統領、ルワンダのカガメ大統領、そしてコンゴのカガメ大統領が含まれています。
 
また16日はコンゴのL・カビラ前大統領の暗殺日であると2日前に書きましたが、ルワンダ野党党首のインガリベ氏が16年ぶりにルワンダに帰国して、1周年を迎えた日でもあります。彼女がそもそも夫と子供3人をオランダに残して一人で帰国した理由は、昨年8月の大統領選挙に出馬するためでした。しかしキガリに着くなり、虐殺記念館に行き、フツに対する戦争の罪、人道に対する罪を犯した現政権RPFを起訴し、また虐殺中に亡くなったフツの死者も追悼すべきと話したために、ルワンダ現政権に睨まれてしまい、結局野党としても登録されず、彼女と同僚は不法逮捕・自宅軟禁などされてしまったのです(現在彼女は昨年10月以降刑務所にいる)。
 
しかしチューニジアの現状を見て、ルワンダの野党、ジャーナリスト、亡命者、市民団体などは希望が出ているという話です。昨日のブログにアフリカの大統領のひどさについて書きましたが、北アフリカの大統領だけでなく、サブサハラのアフリカの大統領の多くは「チューニジアに続いて、次の番は自分なのだろうか」とびくびくしていると思います。事実、1989年12月に起きたルーマニア革命で失脚し、革命軍によって妻とともに公開処刑(銃殺刑)されたチャウシェスク大統領の映像を観て、コンゴ(当時ザイール)のモブツ元大統領は自分の姿と重ねたという証言があります。時間はかかりますが、最終的にはPeople’s Powerが勝つのですね。
20101227日―201112日のEast Africanという週刊誌に、アフリカ大統領のランキングに関する面白い記事が載っていました。
http://www.scribd.com/doc/46590960/The-African-Presidents-Index-the-good-the-bad-and-the-ugly

ランキングをリーダーシップ度(
Mo Ibrahima基金による)民主主義度、汚職度、報道の自由度、人間開発度、国民メデイアグループ度などの部門の得点を合わせたものをA-FAは優秀、Fは不合格)だけでなく、不合格の下にICU(集中治療室)とmorgue(遺体安置所)も加わっていました。しかもICUには12人、morgue9人の大統領が入っていましたので、アフリカ全大統領52人(アフリカには54カ国あるが、この調査にはサオトメ・プリンシペと西サハラは入っておらず)のうち40%が「死ぬ手前」の状況にいるということです。もちろん大統領本人は健康的ですが、これらの大統領のせいで、国家や組織などが破滅しているか、それに近い状態におり、そして市民も戦争や貧困や病気で悩まされているという意味です。
 
この調査はEast African誌が公表したこともあり、東アフリカ諸国(ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ)には甘い点づけをしているように感じました。特にルワンダ!C-というより、ICUに近い方がいいのでは?というのも、昨年は血まみれな大統領選挙を実施し、現政権に批判的な者は不法逮捕されたり国外に亡命し、コンゴの人権状況に関する国連報告書にはルワンダが汚名を着せられたことで、ルワンダの信用度が低下したからです。
 
他にもいろいろ批評はあるかもしれませんが、このランキングを目安として受け止め、深刻な問題として取り組む必要があると思います。我々の税金がODAを通じてこのような「死にかけた」国で無駄にされているのか、またこのような「腐った」大統領がアフリカ開発会議(TICAD)のために日本に招待され、どれだけ実のある話し合いができるのか、など疑問に思いませんか?もっともっとこういった問題について議論しあいましょう。 

今日1月17日は阪神大震災の16周年、またコンゴではパトリス・ルムンバ初代首相がベルギーとアメリカのCIAによって暗殺されて今年で50周年を迎えます。ちなみに、1月16日はローラン・カビラ前大統領(現大統領の父と言われる)が暗殺されて10周年を迎えたのですが、この事件もアメリカが関与していたという噂があります。

なぜ二人とも1月に暗殺されたのか?1月中旬というのはアメリカ大統領の政権交代の時期で世界最強のパワーの「真空空間」にあたり、CIA等が「大事件」を実行するのに絶好だからなんですね。ルムンバが暗殺された1961年当時のアメリカ大統領は共和党のアイゼンハワーで、その3日後の20日にケネディー大統領(民主党)が就任されました。2001年には、民主党のクリントン大統領から共和党のブッシュ大統領に交代されています。

カビラ前大統領はさておき、ルムンバ大統領がなぜコンゴだけでなく、アフリカ、そして世界で有名かというと、彼は「アフリカ独立のヒーロー」であったからです。1960年6月30日のコンゴの独立日での演説で、彼は国の資源を国民のために使うと述べたために、西洋諸国の脅迫に合います。当時は東西冷戦中で、爆弾作りに欠かせないコバルトは世界でコンゴとソ連にしかないため、アメリカはコンゴに依存していました。それがルムンバ首相によって手に入らなくなると危機感を覚えたアメリカは彼を共産主義扱いし、ベルギーと共に翌年彼を暗殺したのです。

 「彼は独立をあまりにも急ぎすぎた」「彼は外交も知らずに首相になり、理想だけを持っていた(郵便局事務員から政界に進出した)」とルムンバを批判する人はコンゴ人の間にもいるのですが、当時冷戦のピークで、アフリカ独立運動が盛んで、しかもルムンバ自身も若かったので、仕方がないという見方も。まあ、リーダーシップもヴィジョンもない某国の首相と比べると、はるかにいいと思うのですが。

それにしても、世界の革命家というのはなぜ30代で暗殺されているのでしょうか。ルムンバは35歳、ステイーブ・ビコ(南ア)は30歳、トーマス・サンカラ(ブルキナ・ファソ)は37歳、チェ・ゲバラは39歳、マーテイン・ルーサー・キング牧師は39歳。この人たちが生きていたら、この世の中どう変わっていたのだろうと思うことも。きっと天国から、地球に住んでいる我々のことを「歴史の教訓を学ばずに、同じ過ちを犯している」と馬鹿笑いしているでしょうね。何とも残念なことですが。。。

世界の自由度をウォッチするFreedom Houseから、2011年の世界の自由度に関する報告書が公表されました。

http://www.freedomhouse.org/images/File/fiw/FIW%202011%20Booklet_1_11_11.pdf

それを見ると、サブサハラアフリカでは1990年代、民主主義が改善されたのですが、この10年間、自由度が後退しているとのことです。その中で最悪の国は、日本を含む拠出国が愛するエチオピアで、「多少自由」から「不自由」に落下しました。「1カ国、2人の大統領」のコートジボワールももちろんそうです。ルワンダも昨年の大統領選挙の際に抑圧の問題があったため、「不自由」のカテゴリーに入っています。コンゴも昨年と変わらず

心配なのは、総合的なスコアを見ると、2005年以降5年続けて、自由度が改善している国より後退している国の方が多くなってることです。大国の中国もそうですし、ますますこの傾向が世界で続くのでしょうか。嫌ですねー。

もちろん「自由」と言っても国によって基準や定義が違うので、一概にこのデータが100%正しいいとは言えませんが、目安にはできるかと思います。民主主義や人権侵害の問題を取り上げる時、これを参考に使用してはいかがでしょうか。
ハイチ大地震からもう1年が経ちました。私は地震の直後に、JENというNGOから依頼されて、現地で3週間救援活動をしたため、今でもテント生活を強いられている被災民がいる、しかも性暴力の問題などが絶えないというニュースを聞くと、大変心が痛みます。しかも昨日のDemocracy Now!を聞いていると、ハイチの人道支援といい、国の統治といい、国際社会が仕切っているとのこと。援助関係者は配慮すべき点として、「(現地の)オーナーシップ」(TICADのコンセプト)や「現地人の自立」(JENの理念)など唱っていますが、現実はその理想から遠いようです。人道支援者として「また同じ問題か」と大変情けなくなります。
 
国際機関やNGOが圧倒的な存在感や権力を持ち過ぎて、行政や市民社会をほとんど無視してプロジェクトを運営してしまうことがよくあります。このような場合、国際社会が急に現場から去っていた際に、非援助地域には何も残らなくなり、再び行政は国際社会に依存してしまいます。コンゴが、まさにそのいい例です。国際社会は最初から行政を巻き込み、彼らが責任感を持って業務を行うように働きかけなければなりません。もちろん言うは易く、行うは難しなんですけど。
 
しかしハイチでは勇気づけられたことがありました。JENが担当したハイチの支援現場では、大学生自ら委員会を作って、復興活動に大変活躍していたのです。被災民の登録や援助物資の配布、町の清掃活動、通訳(英語ができる学生が数名いて、アメリカ軍をアシストしていた)などなど積極的に関わり、私にも親切にガイドをしてくれ、そのおかげで仕事もスムーズに行きました。行政も学生と同様にモチベーションを持っていれば、多少なり復興がスピードアップするのですが。。。その時会ったハイチの学生らは今どうしているのでしょうか。勉学に無事復帰できたのか、それとも1年経っても何も改善されず苛立っているのか、大変気になります。国の復帰には長い道のりが待っていますが、ハイチの皆さん、bon courage
遅くなりましたが、14日付でNorthrop Grummanというセキュリテイー会社がアメリカ政府から依頼されて、ルワンダ、ケニア、ブルンジの3か国に平和維持活動(PKO)の研修を実施することになりました。1年で8millionドルかかるそうです。この会社は単なる警備というより、IT、航空宇宙、造船などにも関与しているのですが、(http://www.northropgrumman.com/capabilities/index.html
それって、表向きPKOと言いながら、ITづくりのために、コンゴにある資源が目当てということでしょうか?何となく怪しい。。。
 
いつも思うのですが、この世の中経済が不景気であっても、必ずセキュリティー関係、選挙、天然資源関係には金がつくんですよね。それに対して、一般市民の生活に欠かせない食料の安全保障や土地改革はいつも忘れられているというか、意図的に無視されています。2009年にアフリカ大湖地域の国際会議に出席した時、(コンゴ紛争の要因でもある)天然資源の管理をどうするかでもめあっていた時、国連食糧農業機関(FAO)の人が「一般市民にとって天然資源より、食糧や農業へのアクセスの方が大事。もっと後者について話すべき!」と叱責したとたん、周りがしーんと静かになったことがありました。まさにその通りで、我々はもっと日常生活の基本のことを重視すべきですね。
 
ところで、明日「人権とビジネス~企業の社会的貢献(CSR)」という講演があるので、関心がある人はぜひ参加してください。
 
【講演者】シェルドン・リーダー(エセックス大学ロースクール教授)
【討論者】勝間靖(大学院アジア太平洋研究科)
【言語】 英語のみ    
【日時】 2011113日(木)18:1519:45(事前登録不要)
【場所】 西早稲田ビル(19号館)711教室
【地図】 http://www.waseda.jp/gsaps/info/traffic_jp.html    
【共催】 GIARI研究グループ「アジアにおける人権ガバナンス」
アジア太平洋研究センター「開発と人権」研究部会
現在2013年実施予定のTICAD V(アフリカ開発会議)の準備が始まっているようです。私は過去のTICADが実施された時、ずっと国外にいて特にフォローをしていなかったので(TICAD IVJICAで勤務をしていた時のみ、少々フォローしていたが)、その会議内容や事業に関しては特にコメントはできませんが、ここでhumble suggestion(謙虚な提言)をしたいと思います。それは故服部正也氏の遺稿「援助する国 される国:アフリカが成長するために」(中央公論新社、2001年)に書かれている教訓を読み、それを実行することです。
 
服部氏は元ルワンダ中央銀行総裁や元世界銀行副総裁で、本を読む限りアフリカの問題を真剣に考え、また飾り気がなく草の根的であり、個人的に親近感がわきました。
 
この遺稿には下記のようなことが書かれています(目次から一部抜粋)
国際公務員の資質が問題
国際機関の仕事の粗雑さ、不真面目さ、無責任
(アフリカ人を知るためには)アフリカ人の立場になって考えること、先進国から来た人の思い込み、アフリカ人への偏見
(アフリカ発展のための経済学)統計の落とし穴、あてにならない統計
(発展の鍵―「良い政治」)良い政治の基本は国民の信頼、
(日本の援助を考える)日本がよりより援助をするためには、アフリカ飢餓援助、自立心損なう過度の慈善、自立心育成が問題解決の道、日本の復興、発展の教訓をアフリカに
 
国際機関に勤めていた私にとって(現在も休職中ですが)、またアフリカに関わっている人にとって、大変耳の痛いことが書かれています!上記の国際機関の仕事の粗雑さやアフリカ人への偏見だけでなく、「援助に関係する人は、warm heart but cool head (心は暖かく、だが頭は冷静)でなければならないが、どうもwarm heart and hot headの人が多い」とも。自分もかつて(今も?)そうだったと反省。。。この本ともっと早く出会っていたらよかったのにと悔やんでいます。
 
また「こちらは援助しているから感謝されているはずだという思い込みも、アフリカ人との生産的対話を妨げるものである。。。。感謝は善意と金で買えるものではなく、先方が困っている時に適切に支援をし、成果を上げて初めて得られるものなのである」と。
これはまさに通りで、私もよく講演などで伝えています。例を挙げると、軍人が支配している地域に、難民などの市民に援助物資を配給しても、軍人が略奪するだけで逆に軍事化を促進することになります。物資を送った側は、大抵「いいことをした」と自己満足するのですが、受ける側は迷惑がれることもあるのです。また我々の日常生活で友情や愛を金では買えないことはわかっていることですが、それが援助の世界になると、通用すると勘違いしている人がいるようです。
 
最後に援助に関して、「度を超えた慈善は悪(必要の限度を超えて行えばかえって害がある)」であり、「戦後の日本での食糧援助は最小限にとどめられたし、その日本における運営も日本人の手によって行われたので、日本の実情に即することができた。さらに重要なことは、この食糧は無料で配給されなかったこと、そしてこれに合わせて、食糧の増産政策が価格機構を通じて行われた」と書いています。
 
よく日本の戦後復興の成功の理由に、「アメリカからの食糧援助のおかげもある、だから我々も他国に援助しないと」という結論に達するのですが、単に援助をすればいいという事実より、援助の内容や方法について伝えないといけないと思います。「タダほど怖いものはない」は、長期的な(人道)支援に応用するのではないでしょうか。
 
それにしても、こんな立派な方が10年以上前に早々と他界してしまい、本当に本当に残念です。私たち後輩にできることは、大先輩から教訓を学んで、それを実行することです!
その一環として、21619日に実施される国際キャリア合宿セミナーでは「援助と人権保障」について深く考えて、関係者に提言したいと思います。まだ参加者募集しています。http://www.kokusai.utsunomiya-u.ac.jp/career-program/activity/2010special.html#003
今日改めてカルラ・デル・ポンテ(Carla Del Ponte) さんの”Madame ProsecutorConfrontations with Humanity's Worst Criminals and the Culture of Impunityを読んで、これを新年の決意にしよう!と決めたことがあります(新年というにはちょっと遅いのですが)。カルラさんは旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷ICTY)検事およびルワンダ国際戦犯法廷ICTR)検事で、大変活躍した人。ただしICTRでは、ルワンダ現政権の役人を戦争犯罪人として裁こうとしたところ、カガメ大統領やアメリカ政府の反対にあい、彼女は解雇させられました。こんなに勇敢で犠牲者想いの人がいなくなって、大変残念というか、怒りを感じます。
彼女は以下のことを本に書いています[370ページ]
Peacemaking and nation-building efforts will neither make peace nor build nations unless they include, from their inception, a justice component to prosecute the worst violators of international humanitarian law on all sides, to end the culture of impunity, to make it clear to everyone that no one is above the law. Peacemaking with no justice component practically ensures future conflict.
(国際人道法の最悪な侵害者を裁き、不処罰を止め、また法律の尊重の重要性を理解するという司法部門が最初から含まれないと、平和創造や国造りは実現できない。法の正義がない平和創造は、将来、紛争再燃が予想される)
 
まさにその通り!私もコンゴでの経験を通して、同じようなことをしつこく本や講演などで伝えてきたので、カルラさんの想いはよくわかります。この“peace with justice” の必要性をもっともっと訴え、また私自身真剣に研究しようと思い、それを新年の決意にしました。具体的に何をするかは、今後このブログでお伝えします。
 
それにしても、彼女のドキュメンタリー映画「カルラのリスト」があったなんて、今回初めて知りました。しかし映画の舞台は旧ユーゴだけで、ルワンダがないのが残念です!日本のルワンダへの見方が「ホテルルワンダ」一色なので、違った視点からルワンダを見てほしいのですが。
 
ところで、ルワンの平和構築などに関する日本語の本や論文を読んできましたが、カルラさんの本を引用されたのはほとんど皆無です。そもそもICTRに関して書かれているのもほとんどなし(もし見落としていたら、誰か送ってくださいね)。ということで、早速「有言実行」、取り組みたいと思います!
お知らせが遅くなりましたが、フランス人のジャーナリストPierre Peanの著書“Carnages. Les guerres secrètes des grandes puissances en Afrique”(直訳すると「殺戮:権力者によるアフリカでの機密の戦争」が年末に出版されました。
 
まだ本を読んでいませんが、著者が1994年にルワンダで起きた虐殺を「第1次虐殺」と呼び、1996-1997年にコンゴで起きた「虐殺」を「第2次虐殺」と呼んでいるところが興味深いです。ちなみに一般的に、後者を「第1次コンゴ戦争」と呼んでおり、そこで起きた行為を「虐殺に値する」と国連報告書などは書いています。私も著書『世界最悪の紛争「コンゴ」』では、かぎかっこ付きで「虐殺」と書きました。まあ、そもそも虐殺、民族浄化や殺戮の定義がはっきりしていないので、区別しにくいのですが。
その第1次虐殺中に起きたアメリカ(そしてルワンダとウガンダ)とフランス間のコンフリクト、そしてこの地域におけるイスラエルの役割についても、著者は描いています。面白そーな本!しかしフランス語で600ページなので、相当心の準備をしないと!
 
それにしてもこの大大湖地域(Greater  Great Lakes regionの悲惨さが改めて確認させられます。ルワンダでの200万人の死、コンゴ東部での600万人のコンゴ人・ルワンダ人の死(これは1996年以降の数です)、多数のスーダン人の死、ウガンダ人の犠牲者、50万人のアンゴラ人の死、避難民、4人の大統領(ブルンジ人2人、コンゴ人1人、ルワンダ人1人)や数名の大臣の死、性的暴力の犠牲になった何万人の女性、恥知らずの略奪など。こんなひどい地域は世界を見てもそうないでしょう。だからこそ皆さんにこの地域について関心を持っていただき、解決法の知恵を共有していただきたいと思っています。
 
カガメ大統領の元側近で、南アやアメリカに亡命した4人が、新しい政治的なプラットフォームRwanda National CongressCongrès national du Rwanda)を昨年12月設立しました。この4人の中には、昨年6月に南アで暗殺未遂にあったカユンバ氏(元在インド大使)や、元検事で現政権(RPF)の中心人物であったガヒマ氏も含まれています。この4人は現政権の批判をした報告書も昨年9月に公表しています。
 
彼らは現在、映画「ホテルルワンダ」の主人公で1996年にやはり亡命したルセサバギナ氏をはじめ、1994年前の旧政権(フツが主導権を握る)の者、現政権(ツチ中心)の失望者などいろんなルワンダ人の亡命者と連絡を取っているとのことです。ヨーロッパだけで亡命者が4万人いるのですが、そのほとんどが旧政権の人間で、かなり強い「野党」をヨーロッパで築いています。このような集会は、集会や表現の自由がない母国のルワンダでは不可能です。
 
それにしてもルワンダ人のダイアスポラの団結力には、本当に驚くものがあります。現在はインターネットや携帯で通信が簡単ですが、ルワンダで虐殺が起きた1994年にはそれはほとんど普及していませんでした。私の友人の知人が1993年にケニアでルワンダ人と付き合っていた時、急に連絡が取れなくなり、聞いてみると周りのルワンダ人も一緒に蒸発し、その数ヶ月後に虐殺が起きていました。虐殺の準備のために消えた可能性が強いのですが、ルワンダ人の連帯の強さがわかるでしょう。
 
その亡命者4人が「犯罪グループを築き、カガメ大統領の汚名を着せられた、また2人はルワンダ政府軍から脱退した」という理由で、13日ルワンダの軍事裁判所で告訴されました。3035年刑務所行きです。被告人も弁護士もいない裁判所で、こんなことを一方的に決定できるのでしょうか。今年もルワンダから目が離せません。
皆様、明けましておめでとうございます!昨年に引き続き、コンゴ、大湖地域、アフリカに関する生の情報を共有したいと思っておりますので、今年もお付き合いください。
 
さて年末年始はどのように過ごされましたか。私は実家に帰省していたので、親孝行として、両親を連れて映画「デザート・フラワー(砂漠の花)」を観賞しました。(ちなみに私の親孝行は「アフリカへの理解を高めることで刺激すること」であり、過去に2回両親をアフリカに連れて行ったこともあります)
 
Desert flower the movie - poster

ソマリアの遊牧民の娘からスーパーモデルに上り詰め、
現在女性器切除(FGM廃絶に向け活動しているワリス・ディリーの自伝映画はお勧めです!私自身10年以上前に原作を読んで以来、いろんな人に本を勧めたりプレゼントしてきたほど、気に入っている本。また個人的に、ソマリアでの勤務、ケニアのソマリア難民キャンプでFGM廃止活動への関わり、またソマリア人の仲のいい友人の存在などを通じて、ワリスさんにとても親近感を持っていました。ジェンダー問題の啓蒙のために、UNHCR本部に招待しようと私と同僚はワリスさんに1回連絡をとったことがあるのですが、多忙であったために、結局実現できませんでした。残念!
FGM廃絶のために、ワリスさんは2002年にはデザートフラワー基金(Desert Flower Foundation)を築きました。
そのソマリアが無政府状態になってから、今年で早いもので20年が経ちました。ソマリア難民は世界中にまだまだ沢山おり、南アなどでひどく差別されています。美形で有名なソマリア人ですが(いつもボーと見とれてしまいます)、首都のモガデイッシュも大変美しい街並み。母国に帰りたくても帰れない難民を見て、本当に胸が痛みます。海賊問題もまだまだ解決されないようで、これからどうなるかが心配です。
 
上記の映画は今週末まで上映していますので、関心があればぜひ鑑賞してください!
年末は家族、友人や愛する人とのんびりと過ごしている人が多いでしょう。この時期になると、故郷を離れて、異国で生活を強いられる難民、避難民、移民、ダイアスポラらのことを考えさせられます。母国で家族と時を過ごしたくてもできない彼らを現場で見てきて、本当に胸が痛みました。現在もコートディヴォワールからリベリアに約2万人の難民が流入し、落ち着かない日々が続いています。
 
今年は上記の人々以外に、拘禁中や殺害された人権活動家や政治家とその家族のことも考えています。例を挙げると、ノーベル平和賞受賞者のルワンダの野党党首、インガリベ氏やンタガンダ氏。コンゴ人の有名な人権活動家、チャベヤ氏が今年6月に殺害された後、政府から脅迫を受けてカナダに亡命した家族。また外国に亡命しても、そこも決して安全ではなく、映画「ホテルルワンダ」の主人公のルセサギバナ氏のように、脅迫状を受けたりベルギーの自宅が荒らされる人もいます。
 
私もアフリカの紛争地域で活動中、リスクを冒したことはありますが、上記の人の身の危険とは比較できるものではありません。人権や政治を真剣に改善しようとする彼らを尊敬し、脱帽します。
 
来年はこのような人権侵害が少しでも減って、上記の者が解放され、家族のもとや母国に帰れますように。そして皆さんにとって、来年は平和の年であることを願っています。
少し遅れましたが、アメリカが世界の核の原料を支配していることが、(改めて)ウィキリークスによって分かりました。コンゴにある核の研究所が機能していなく、そこの警備体制が緩やかで盗難が絶えないこと、そしてコンゴ東部にあるウランがタンザニアのダルエサラーム港を経由してイラン(や北朝鮮)に売られている可能性があることも書かれています。

CNN “WikiLeaks: From Congo to the Caucasus -- chasing loose nuke material”
DAILY NEWS TanzaniaPolice probe Wikileaks claims on uranium
http://dailynews.co.tz/home/?n=15715&cat=home
 
そのコンゴとアメリカが、21日核と放射能の原料の密売防止に関する合意を署名しました。同様な合意をアメリカはウクライナ、カザフスタン、ジョ-ジア、キルギスタン、アルメニアとも合意を結んでいます。
コンゴでは南部のシンコロブウェという所に、ウランがあります。ここは1960年ベルギーによって閉鎖されたのですが、広島・長崎に投下された原爆をつくるために、そこにあるウランがベルギーからアメリカに1943年売られました。11月下旬に公表された国連報告書によると、コンゴ東部にいるルワンダ反政府勢力(FDLR)が、べルギーの植民地時代(~1960年)に発見されたウランのコンテナ6船分を売ろうとしていたそうです。フランスの核会社Arevaとコンゴは、ウランの開発に関する合意を昨年3月に結んでいます。
 
核兵器の話題というと、よく保有国のことについて報道されますが、コンゴのような原産国と大国間の政治に関する情報はほとんど日本には入ってきません。広島の平和資料館のような所でさえも、そのような展示はありません。ヒロシマとナガサキが将来繰り返されないためにも、現在の動きについてもっと注目すべきではないでしょうか。
今朝BSの「おはよう世界」を観て、びっくりしました。毎日のように国際ニュースに登場する「1カ国に2大統領」コートディヴォワール(CI)のニュースで、「任期の満了した」バグボ(元)大統領のアドバイサーのインタビューがあったのですが、その方が私の知人だったからです!彼は以前コンゴでアフリカ連合(AU)の代表をしていたのですが、南アでの留学中に出会った彼の息子を通じて、お会いしたことがあります。その方が今問題視されている(元)大統領の側近とは。。。
 
それはともかく、これからCIの状況がどうなるのかが気になります。国際社会はいつものごとく武力介入で問題解決をしようとしているのですが、そんなことをしても人道的に状況が悪化するだけです。既に14,000人の難民が隣国のリベリアに逃亡しており、世界40%のココアの生産国の経済も悪化しているようです。CI危機が始まった11月下旬から、チョコレートの価格は上昇し、チョコレート産業も危機に直面しているとか(来年2月のバレンタインではどうなるか?)。
とにかく、問題の原因を非暴力的に対処していただきたいものです。
CI, ベラルーシ共和国、そしてルワンダの選挙への国際社会の注目度の違いに関して、興味深い記事が12月22日のLe Soirに載っていました(“Gbagbo, Loukachenko, Kagame : cherchez la difference”)。http://archives.lesoir.be/le-courrier_t-20101222-0169AE.html
簡単に要約すると、
 
「最近行われたCIとベラルーシ共和国の選挙の不正行為に関して、西洋諸国は強く批判しているが、今年8月に行われたルワンダの大統領選挙では、そうではなかった。カガメ大統領が93%の圧勝できたのは、選挙前に政権に批判する野党やメデイアを消し、現政権寄りの「偽の」野党を作り、投票者を脅迫したからである。競争相手がいなかったカガメ大統領に比べて、CIのバグボ大統領やべルラーシのルカシェンコ大統領は少なくともライバルがいたので、まだましである。
それに加えて、カガメ大統領は戦争犯罪人。これは国連などの報告書によって以前から知られている事実である。それなのに、カガメ大統領は名誉でもって、そしてそれに対してバグボ大統領やルカシェンコ大統領はハンセン病患者として国際社会に扱われている。これは国際社会の一貫性のなさという現実を示しており、その犠牲を大湖地域の住民が払っている。」
 
まさにその通り、国際社会のdouble standardが明らかですね。上記の国際社会には日本政府も当然入っているのですが、単に欧米社会の方針についていくのではなく(また単に金をばらまくのではなく)、アフリカの政治やアフリカの市民が求めているものを理解した上で、賢明に対処していただきたいものです。
昨日のブログに続いて、先週末にあった南部スーダンの講演について。南部スーダンで活動するあるNGOの方が「(南部スーダンだけでなく)コンゴには行かなくていいの?」と外部から問われて、私に「南部スーダンのCPA(Comprehensive Peace Agreement)に当たる協定はコンゴにはないの?」と聞いてきました。そして、「それがあれば現場に入りやすいし、外務省もNGOの現場入りを促進するのだが」とのこと。
 
確かに2005年1月に南スーダンでCPAが調印されて、国連機関のプレゼンスは強化され、日本のNGOも現地に殺到しました(現在8団体あります)。実は私も南部のマラカルという町にUNHCRの事務所を開くために、2005年に数か月間派遣されたことがあります。周辺国にいるスーダン難民やスーダン北部にいる避難民が帰還すると予期していたので、その受け入れの準備のためです。
 
コンゴではこの10年間、さまざまな和平合意が調印されました。1999年のルサカ合意、2002年のプレトリア合意とコンゴ民主共和国移行に関する包括協定、2004年のダルエサラーム合意、2007年のナイロビ・コミュニケ、2008年と2009年のゴマ和平合意。この中で、2002年の協定によって紛争は「正式に終わり」、暫定政権が生まれたので重要だと言われているのですが、その後もずっと紛争や不安定な状態が続いています。「平和維持」のために派遣されている国連PKOが支援する掃討作戦のせいで、コンゴ東部の人道危機も昨年悪化しました。場合によっては上記のような合意でなく、「密約」が真の合意である場合もありますので、単純に「合意や協定の調印=和平の訪れ」とは言えないのです。
 
協定なしにコンゴ東部入りをしている欧米諸国のNGOに比べると、(極端に言うと)「協定がないと現地に入れない」という日本のNGOの考えは、あまりにも消極的ではないでしょうか。犠牲者は協定があってもなくてもどこにでもいるもので、「ニーズがあるから現場に入る」と前向きに考えるべきだと思います。もちろんNGOだけでなく、外務省もです!応援しています!

先週末にシンポジウム「独立を問う南部スーダン~住民投票の行方と人道支援」(大阪大学GLOCOLとジャパンプラットフォーム共催)に参加し、阪大の栗本英世先生の問い「人道支援機関のおかげで、政府は「軍事」に集中できるのではないか」について、人道支援者として考えさせられることがたくさんあります。

つまり、そもそも人道支援は政府や市民団体が責任もってすべきで、国連や
NGOの役割はあくまでもそのサポート役なのに、その役割が逆転している。外部者が進んで人道支援に関わってくれるので(しかも南部スーダンでは20年以上も!)、その間に政府は他の分野―軍事活動やビジネスーに関わる余裕ができる。もちろん国連やNGOは、現地で人材育成やキャパシテイ―ビルディングにも従事しているのだが、あまり効果がないのは、政府の役人の能力の問題というより(これも場合によってはある時もあるのだが)、上記の儲かる活動の方が有利なため、人道支援をマネージする士気がないのではないか(これは私個人の意見)。
 
南部スーダンでは軍人がそのまま地方政府の役人になることがほとんどなのですが、彼らのメンタリテイーはまだ軍人で、「公務員とは何?」という基礎から研修を始めないといけないとか。しかも人道支援に関しては、完全に外部者である国連やNGOに任せっぱなしで、人道支援の課題別ワーキング・グループ(クラスター制度)も南部にはないとか。コンゴ東部では地方政府は少々人道支援に関与しているので、政府の人道支援のオーナーシップに関しては、もしかして南部スーダンの方がひどかったりして?
 
Global Witnessが今月初めに公表した報告書”The Hill Belongs to Them”
 
にも、Congo’s donors: a help or a hindrance?(p.22)という欄があり、資源の軍事化を避けるためには「資源地域から軍隊を追放するように、拠出国はカビラ大統領に訴えないといけない」と地方政府の代表のコメントが書かれています。拠出国は相手国の機関やプログラム、特に治安改革(security reform)のために資金を出していますが、相手国政府が自国の軍隊を統制できないようでは、結局援助は無駄になるとGWは述べています。
 
現在私はUNHCRを休職中なのですが、将来人道支援の現場に戻るかどうか迷っています。人道分野は必要な分野なのですが、上記のようにそれが長期化すると相手国政府や市民団体をダメにするので、それを避けるためにも、何が出来るのかを模索しているところです。
 
このような援助や人道支援が与える負の遺産に関して、来年2月に宇都宮大学などが主催する合宿セミナーで話し合いたいと思います。私が担当する分科会のテーマは「援助と人権保障」で内容は以下の通り。

日本政府は政府開発援助(ODA)や国連平和維持活動(PKO)などを通して、援助を必要とする国々に協力をしていますが、その国々の中には独裁国家や市民の人権を無視したものも含まれています。また援助が人道支援や開発のために使われているどころか、ビジネス化している所もあります。我々の税金がそのように使われていいのか、そしてそのような国々に対して日本政府はどう対処すればいいのか、分科会は検証をし提言します。
 
援助一般に関するセミナーはたくさんありますが、それを人権保障の観点から見ることはあまりないので、貴重な機会だと思います。学部生だけでなく、院生や社会人の参加ももちろん歓迎しています。詳細に関しては下記まで。皆さんの参加をお待ちしています!
http://www.kokusai.utsunomiya-u.ac.jp/career-program/activity/2010special.html
先日久々にある新聞記者に会い、大湖地域に関する記事を書けないのかと私が話すと、「ルワンダは大統領選挙が今年8月に終わり、その前は南アのW杯で忙しくて、ルワンダどころではなかった。次回の選挙は来年11月に行われるコンゴだから、その前に現地入りして書くだろう」と。
 
確かに選挙前になると、どの国でも熱くなるため、「記事にしやすい」ネタなのでしょうが(今のコートジボワールがまさしくそう)、我々の生活は選挙を中心に回っているわけではないので、それ以外のことも書いていただきたいと思っています。特にアフリカでは、選挙、貧困、紛争、また事故(飛行機墜落や自然災害など)がないと記事にならないようですが(それに加えて、最近ではレアメタルや中国の進出に関する記事もあり)、もっと他のニュースを取り上げてもいいのではないでしょうか。
 
例えば、今のコンゴでホットな話題は天然資源の搾取(まあ、100年以上にわたって続いている問題なので、新たに話題になっていると言った方が適切かも)。2001年以降毎年のように公表されている国連報告書によると(最新のものは1129日に公表)、コンゴにある天然資源が紛争の要因となっており、コンゴ・ルワンダ・ウガンダ政府軍、国内外の武装勢力や多国籍企業が関与してきました。さまざまな人権団体やNGOが、天然資源の売買に関してtransparencyaccountabilityを求め続け、この911日に、コンゴ政府はコンゴ東部における天然資源の採掘の禁止令をだしました。採掘が「マフィア」によって行われているせいで、治安が悪化しているからだと言う理由なのですが、現在は政府軍や武装勢力は相変わらず採掘を続けており、コンゴのカビラ大統領が単に資源の独占のために、禁止令をだしたのではないかと言われています。(ちなみに彼は政治家より、ビジネスマンに向いていると言われている。)
 
天然資源の管理に関して大変無責任なコンゴが、何と来年からキンバリープロセス(Kimberly Process紛争ダイヤモンドの取引きを防ぐための国際認定制度)の議長をイスラエルから引き受けることになっているのです! http://www.un.org/News/Press/docs/2010/ga11039.doc.htm
KPの成果が悪化するのではと懸念してしまいます。
 
また、天然資源の搾取の関与者は軍人(武器商人も含む)や多国籍企業だけに限らず、国連PKO軍も含まれていることもあるのです!これもあまり知られていないのですが、私がコンゴ東部にいた23年前現地で密かに話題になっていましたし、BBCも以下のような記事を書いています。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6685045.stm
 
これに関しては、関心があれば下記の記事を参照ください。PKOを利用して、コンゴと天然資源の取引きを結びたいインド政府の隠れた経済的なアジェンダが分かります。“Why South Asia Loves Peacekeeping” (The Diplomat, December 16, 2010)
 
ということで、ジャーナリストの皆さん、選挙以外に書くネタはたくさんありますので、積極的に書いてくださいね!応援しています。
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米川正子
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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