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コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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アジア女性資料センターの最新号の情報誌『女たちの21世紀』に、「ルワンダは女性の参画のサクセスストーリーか?」を寄稿しました。

http://ajwrc.org/jp/modules/myalbum/photo.php?lid=156&cid=4

ルワンダの女性議員のクオーター制が2010年に56.3%と世界第一位になりましたが、現在ある女性の野党党首がルワンダ政権から脅迫を受け、この1年半投獄されています。その理由は、ルワンダのジェノサイドとコンゴ戦争の不都合な真実や政治的空間の存在と関係しており、それについて本稿は解説しています。

上記の女性の野党党首について書かれた日本語の記事や原稿はおそらくないと思いますので、貴重な原稿だと思います。著作権がないため、本ブログに載せることはできないのですが、関心がありましたら、ぜひ読んでください。ルワンダの違った一面が見えることは間違いなしです。
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今週は忙しくしていました。宇都宮大学の研究室の片づけ(5月で退職したため。でも書類が多すぎるために来週も続けなくては!)、20日の世界難民の日のイベント(ビルマ難民の日本における定住がテーマだったが、アフリカ諸国から来た難民・亡命者が「なぜいつもビルマなの?アフリカのことも取り上げて!」と怒っていた)、また今週末は日本平和学会@沖縄。。。今回の平和学会は沖縄返還40周年や昨年の3.11もあり、その関係の部会が多く、大変勉強になっています。私の専門であるコンゴ東部は沖縄同様に軍事占領され、同じ暴力構造の下で市民は大変な被害を受けているので、見ていて本当につらくなります。
 
それはそうと、今週はルワンダがかなり国際ニュースで取り上げられましたね。特に2と3に関しては、ルワンダにとって大変恥ずかしいるニュースです(1990年代から、このようなembarrassingな報道は何度もあったのだが)。全部フォローしてはいないのですが、簡単にまとめてみましょう。
 
1.ローカルなjusticeというか、裁判所であるガチャチャが18日(月)に終了しました。しかし、公平に加害者を裁くことができたのか?という大きな疑問が残っています。関心がある人は武内進一さん、そしてヒューマンライツウォッチの論文とレポートをご参照ください。
 
http://jica-ri.jica.go.jp/publication/assets/JICA-RI_WP_No.32_2011.pdf
 
http://www.hrw.org/news/2011/05/31/rwanda-mixed-legacy-community-based-genocide-courts
 
2.数週間前から騒がれているニュース、「ルワンダ政府がコンゴの新反乱軍を支援していると書かれた国連報告書案」についてですが、アメリカ政府がその報告書の公表を防いでいることをコンゴの国連大使が話しました。4月以降、この新反乱軍やICCの戦争犯罪人のンタガンダを巡って、コンゴとルワンダ間では新たな緊張関係が生まれています。ルワンダ政府は国連PKO(MONUSCO)@コンゴに対して、「MONUSCOはもしかしてFDLR(1994年の虐殺の首謀者が中心に築かれたルワンダ反政府勢力)を支援しているのでは?」といつものごとくバッシングをしています。
 
http://uk.reuters.com/article/2012/06/20/uk-congo-democratic-rwanda-idUKBRE85J1IM20120620
 
3.2010年に南アに亡命中のカユンバ(カガメ大統領の元側近)が暗殺未遂にあった事件で、カユンバが裁判所で、カガメは1994年の虐殺の引き金となった旧大統領の飛行機墜落を計画し実施したことを話しました。またカユンバは自分が暗殺されることをある電話の会話で知ったとも言っています。これは決して新しい情報ではなく、他の元側近も同じことを証言しているのですが、日本のメデイアは全然報道しませんね。反応が遅すぎる!
 
http://www.timeslive.co.za/news/2012/06/22/kagame-wants-me-dead
18年前の今日、4月7日はルワンダ虐殺が始まった日です。これを機に、ルワンダにおける加害者と犠牲者間の和解について真剣に考えてみましょう。確かにガチャガチャという伝統的な(司法?)システムはありますが、元議会議長Joseph Sebarenzi(現ルワンダ政権に睨まれ、現在アメリカに亡命中)によると、これらは単なる「みせかけ」(window-dressing)で、真の和解はまだルワンダにないと言っています。
 
http://www.theproxylake.com/wp-content/uploads/2012/03/RWANDA-THE-FUNDAMENTAL-OBSTACLES-TO-RECONCILIATION.pdf
 
虐殺の生存者である彼は、真実と和解委員会の設立を訴え、虐殺中殺されたツチだけでなくフツの犠牲者についても語る必要があると主張しています。彼の著書God Sleeps in Rwandaを読むと、非暴力で和解を実現しようとする彼の誠実さがよくわかりますので、関心がある人はぜひお読みください。
この数週間、コンゴの選挙関係の小論文で忙しくしていたので、ブログをごぶさたしていました。先ほどやっと提出し、ほっとしています。
 
ところで、今ルワンダ関連で話題になっているニュースは、17日にルワンダ軍の高官4人が自宅軟禁されたことです。ルワンダ政府がコンゴの天然資源を搾取しており、それらを「ルワンダ産」と偽っているという内容の国連報告書が昨年12月に公表されたのですが、その搾取に上記の4人が関与しているのではないかと言われています。
国連報告書は下記からダウンロードできます。
 
http://crimeblog.dallasnews.com/UN%20Report_Long%20Version.pdf
 
ちなみにルワンダ政府による天然資源の搾取は、新しい情報ではなく、2001年から公表されている国連報告書にほぼ毎年のように書かれています。既に10年も!その間特に大きな動きはなく、国際社会はほとんど黙認状態です。コンゴ東部では天然資源の労働者は過酷な環境で働き(当然亡くなる人も多い)、天然資源地に住む市民は強制的に移動させられ、女性は性的暴力の被害になり(コンゴはrape capital in the worldと呼ばれている!)、。。。考えるだけで落ち込むやら、怒りがムラムラするやら。。。そのために私は闘っていますが、無力を感じます。でもあきらめてはいけない!
 
ところで、上記や過去の国連報告書は内容が濃く大変読み応えがあるので、関心がある人はぜひ読んでください。上記のものは392ページあり、そのうち天然資源の搾取に関する写真、手紙や地図など付録が180も!天然資源の搾取や紛争の研究をしている学生に最適です。国連を美化している日本の政治家も、日本人の国連職員を増員することばかり考えずに、こういう報告書を読み、コンゴやルワンダへの政策(援助を含む)を分析・再検討していただきたいものです!
「民主化」の動き(と願いたい)に向かっているビルマのアン・サン・スーチーさんに、世界の政治家が面会している報道が毎日のように流れています。

実はルワンダにも、「アン・サン・スーチーさんのルワンダ版」がいます。同じく野党党首のビクトワール・インガリベさんなのですが、「スーチーさんルワンダ版」という呼び方はすでにwikipediaにも出ています。

2010年の大統領選挙に出馬するため、インガリべさんは2年前の今日1月16日、16年ぶりにルワンダに帰国し、虐殺記念館でタブーとされている発言をしたのです。

「虐殺では、ツチだけでなくフツの被害者もいる(そもそも1994年は「ツチに対する虐殺」とされ、本記念館では、ツチの被害者しか言及していない)。ツチとフツ間の和解が必要だ」

それから彼女はルワンダ政府に睨まれてしまい、選挙に出馬できず、2010年10月から現在にいたって刑務所にいるのです。 (念のために、私は特にインガリべさんのサポーターではなく、情報を共有しているだけ)

今日16日はアメリカにおいて、Martin Luther Kingの祝日でもあります。(ついでに言うと、11年前コンゴでは、カビラ前大統領(現大統領の父親)が暗殺された日でもある)カビラ前大統領はともかく、今日はインガリべさんやキング牧師など、自由解放と非暴力と闘ってきた人々を考えさせられる貴重な日です。私も彼らに見習ってもっとパワフルにならないとね!

今朝のフランスのニュースを聞いていたら、フランスの裁判官2人が率いる調査チームによると、1994年のルワンダ虐殺が始まった前日に起きた大統領機の撃墜事件の責任者はフツの過激派であるとのことです。

実は2006年に、フランスの別の裁判官による報告書が公表され、それにはルワンダ現政権(撃墜事件が起きた当時は反政府勢力)が関与していたと明記されておりました。その報告書がきっかけで、ルワンダはフランスとの国交関係を断絶し、昨年正常化しましたが、撃墜事件に関しては両国が直接触れ合うことを避けていました。

この最新調査に関しては謎が多いのですが(カガメ大統領の元側近者を含むルワンダの亡命者の多くが、現政権が責任者であると訴えている)、いろんな情報を収集・分析してから、またブログに載せますね。
12月1日にウガンダの首都カンパラで、ルワンダ人ジャーナリストが殺害されました。彼はルワンダ現政権に批判的で、周辺の友人にも「自分の命は危ない」と言っていたそうです。

彼の葬式が3日にあったのですが、何とたったの20分で終わったとか。ルワンダ現政権に睨まれている人々が葬列し、治安のために長居できなかったんですね。こんなあわただしい、そして寂しい人生のお別れをしなくてはならず、死にきれない気持ちでしょうね。家族の方に、お悔やみ申し上げます。

2010年4月以降、ルワンダ政権に脅迫を受け国外亡命したジャーナリストは計6人です。その他に、女性ジャーナリスト2人が受刑中です。その他に、政治的な理由で亡命しているルワンダ人の数は多く、亡命先で恐怖の中で生活しています。正義と真実を追求するために、非暴力で闘っている彼らにいつも励まされているのですが、このようなスポットの当たらない人々にもっと注目し、彼らがルワンダに安心して帰国できるように、何が出来るのか考え、行動をしなくてはならないことを痛感しています。国連難民高等弁務官事務所の職員として(休職中)、そしてルワンダに持続的な平和と安定が来ることを願っているルワンダの友人として。
今朝ニュースを見て(日本のではなく、海外のです)、びっくりしました。世界のメディアが、
ライス国連大使のルワンダへの人権外交を報道していたからです。アメリカ政府がリビアやリビア
政府などに対して批判するのは珍しくないのですが、ルワンダ政府に対してはほとんどないので、
注目する価値はあります。ライス氏は、1994年のルワンダ虐殺を巡る機密情報を知っている一人
ですが、それはともかく、日本政府もこれぐらい言っていただきたいですよね。
U.S.’s Rice Criticizes Rwanda’s ‘Closed’ Political Culture
November 23, 2011, 10:55 AM EST
By Heather Murdock
Nov. 23 (Bloomberg) -- U.S. Ambassador to the United Nations Susan Rice criticized Rwanda’s “comparatively closed” political culture and said the East African nation should take steps to broaden democracy.
Restrictions on the media, harassment of civil-society activists, opposition figures and journalists as well as the disappearance of some of them pose the “next developmental challenge” for the country, Rice said in a copy of a speech delivered at the Kigali Institute of Science and Technology in the capital today.
“The deepening and broadening of democracy can be the next great achievement of this great country and its remarkable people,” she said. “Economic development and political; openness should reinforce each other.”
A genocide in Rwanda in 1994 that left more than 800,000 ethnic Tutsis and moderate Hutus dead led the Rwanda government to introduce laws that stifle free speech and political opposition, Amnesty International, the London-based advocacy group, said in June. A presidential elections last year, in which President Paul Kagame won 93 percent of the vote, was marked by a “clampdown on freedom of expression,” it said.
The government called the report “inaccurate” and said it reviewing genocide-ideology and sectarianism laws, while also taking steps to develop its media.
Rice, who is on a four-day diplomatic mission to Rwanda, praised Rwanda for its economic growth and technical capabilities, saying per capita gross domestic product has tripled since the genocide.
Rwanda’s economy doubled in size in the nine years through 2010, according to the World Bank. The government forecasts growth will be 8.8 percent this year.
--Editors: Paul Richardson, Karl Maier.
 
日本で報道されていないニュースを一つ共有しましょう。
ラントス人権賞(Lantos human rights prize)をご存知でしょうか。詳細は下記まで
http://www.lantosfoundation.org/index.asp
 
2009年に設立されたこの賞は、これまでダライラマ法王など大物が受賞してきたのですが、今年は映画「ホテルルワンダ」の主人公のポール・ルセサバギナ氏(Paul Rusesabagina)が受賞しました。とてもおめでたいことです!
 
しかし予想していたことですが、ルワンダ政府がこれに抗議をしたのです。ルワンダ政府はこれまで「ホテルルワンダ」は実話ではないとか、ルセサバギナ氏は1994年の虐殺首謀者と共にテロリズムの資金を提供しているだの非難してきました。下記のVoice of Americaのニュースでは、あるルワンダ人が「ホテルルワンダは実話ではない。ホテルマネージャーのルセサバギナ氏ではなく国連が生存者(survivor)を守ったのだ」と証言しているのですが、「虐殺が始まったとき、国連PKOはさっさと国から出て行った。ルワンダは国際社会から見捨てられた」と国連などを批判していたのは、どこの誰でしたっけ?
 
実はポール・カガメ大統領とルセサバギナ氏の「二人のポール」は、数十年睨み合っている関係で、そのために後者は1990年後半から亡命しています。国外にいるからといって安全の保障はなく、今でもルワンダ政府からの脅迫を受けながら生きています。後者がルワンダ現政権を批判しているのは、ルワンダ現政権が実現していない「平和と和解」を求めているからで、しかも彼は他の多くの男性らと違って、それを非暴力で訴えてきました。彼自身はフツですが、彼の妻も母もツチです。
 
時間(1時間)がある人は、ぜひ下記のVoice of Americaのルセサバギナ氏とラントス基金のインタビュー(11月16日放映)を観てください。
http://www.voanews.com/english/programs/tv/65652317.html
 
日本のメデイア等の報道と違った視点で、ルワンダの現実が見ることができます。「人権」というフィルターから国を見ると、ショックを受けることが多くあることに気が付くでしょう。

10月1日twitterでretweetしましたが、今ルワンダ関係者の間で回っているニュースがあります。1994年4月6日(つまりルワンダ虐殺が始まる前日)に、ルワンダとブルンジの両大統領が乗っていた飛行機撃墜事件の責任はルワンダのカガメ大統領にあるという内容です。カガメ大統領の当時の側近(Theogene Rudasingwa氏ーアメリカに亡命中)による記事です。この情報は決して新しいものではなく、1997年1月の時点で、ルワンダ国際法廷(ICTR)が既につかんでいた情報ですが、ICTRの検事によってその調査は阻止されました。少しずつですが、ルワンダ虐殺に関する真相が理解され、カガメ大統領への不信感が高まっています。

ぜひ下記を周りの人々に転送してください。
http://256news.com/2011/10/01/confession-of-downing-of-habyarimanas-plane/


 

ルワンダのカガメ大統領が、チェロ基金から人道賞を受賞しました。

http://www.newtimes.co.rw/index.php?issue=14674&article=42808


それにしても「戦争犯罪人」とスペイン政府などから起訴され、重大な人権侵害を犯しながら(このブログで何回も書いているので、ここではあえて書かないが)、なぜ「人道賞」なのか、理解できません。2003年以降、カガメ大統領は20以上の賞を受賞しているのですが(その中には、クリントン元大統領からのGlobal Citizen賞も含まれる)、チェロ基金をはじめ多くのドナー国やメデイアは、ルワンダで何が起きているのかわかっているのでしょうか。あるいはわかっていても関心がないので無視しているのか、それとも単にアフリカの「サクセス・ストーリー」を作りたいのか。キニャルワンダ語がわからない、フツでもツチでもトゥワでもない外国人にとってルワンダは平和で安定しているように見えても、ルワンダの一般市民にとってその反対であります。

ルワンダ人による、ルワンダの負の遺産について知りたい人は、ジョセフ・セバレンジ​氏の著書『神はルワン​ダで眠る』”God Sleeps in Rwanda"(2009年)をお勧めします。『生かされて』などルワンダ虐殺の生存者の本はたくさんあるのですが、セバレンジ氏は生存者である上に、ルワンダの現政権やカガメ大統領の独裁主義を強く批判し、真の和解を訴えています。彼は1997-2000年まで国会の議長として(ルワンダでは大統領、副大統領に次いで3番目の権力者)国の改革に従事したのですが、しょっちゅう当時のカガメ副大統領と衝突し彼に睨まれたために、暗殺のターゲットとなりアメリカに亡命したのです。
http://www.josephsebarenzi.com/book

この本を読むと、カガメ大統領とルワンダ現政権の人権侵害・独裁と一般的なイメージの矛盾、そして「人道賞」が冗談であるかがわかるでしょう。
先週末、京都で「虐殺後のルワンダはどう変わったのか~真実・人権・開発について考える」というタイトルで講演をしました(ルワンダの学校を支援する会主催)。今まで、講演ではコンゴについて話す機会が多く(その時にルワンダのことも多少話したが)、今回のようにルワンダを主に話したのは初めてです。参加者から「ルワンダが平和だと思っていたが、現在の問題(現政権ー反現政権の対立構造など)を聞くのは初めて」「ツチだけが犠牲者だと思っていたが、フツの犠牲者の話を聞いてショックだった」といった声があり、また「ルワンダには表現や報道の自由がないが、インターネットの規制はあるのか」「アメリカとルワンダ現政権の関係は?」「コンゴでの性暴力はルワンダ政府軍も関わっているのか」といういい質問が受けました。改めて一般市民のルワンダへの関心度が高いこと、そしてそれと同時に、ルワンダの一面しか伝えていないマスメデイアやハリウッド映画の責任と影響力の大きさを痛感させられました。

実は11日にルワンダのカガメ大統領がシカゴを訪れたのですが、現地にいる反カガメ大統領のルワンダ人やコンゴ人が大きなデモを行なったとのことです。「カガメ大統領、殺害をやめろ」という看板を持ちながら。

http://sfbayview.com/2011/kagame-stop-killing-rwandan-and-congolese-protest-rwandas-president-in-chicago/

そもそも日本人の中には、難民のことを「かわいそうな人々」「だけど強く生きている」というイメージを抱いている人が多いような気がします。しかし、福島の被災民のことを同じように呼んでも、彼らは嬉しくないでしょう。誰も好きで難民や被災民になったわけではありませんので、当然です。そんな(安っぽい)同情よりも、被災民や難民が自分の土地に安心して戻ることが出来るように、我々が政策提言した方がいいと思っているでしょう(反原発や自然エネルギーへの転換、政府に暴力を止めるように訴えるなど)。

何かごちゃごちゃ書いてしまいましたが、私はルワンダとコンゴの両国にいた経験があり、現地の表も裏の世界をある程度知っているので、(当然現地の人を代表して話はできませんが)両国の現実について市民にもっと伝え続けたいと思います。そして皆さんと共に、長期的な問題解決も探したい。。。しかしこれが簡単に見つからない。。。だれかいい知恵をください!

昨夜10時のBS1のニュース番組で、「アフリカの開発支援:ルワンダの奇跡」という特集があり、来日中のムシキワボ外相のインタビューがありました。1994年の虐殺後、ルワンダの経済成長率が7%上昇しており、それもカガメ大統領のリーダーシップのおかげだと。確かにカガメ大統領の長期的なビジョンは、他のアフリカ諸国の大統領のと違って称賛に値するでしょう。街中は整備されてきれいで、人々も真面目、虐殺から17年後にアフリカを代表する国になり、「サクセス・ストーリー」「アフリカのシンガポール」と呼ばれています。
 
しかしその反面、ルワンダは人権に関する負の遺産を抱えていることは忘れてはなりません。当然どの国も長所と短所がありますが、ルワンダの評判は本当に両極端に分かれます。「国境なき軍隊」(コンゴとの国境を無視して、ルワンダ国軍がコンゴに越境して資源を略奪したり、コンゴを占領しているという意味)「報道の自由の略奪者(カガメ大統領)」「1996-7年、ルワンダ国軍がコンゴ東部に侵攻した際に、虐殺(に値する行為)に関与した(当時のカガメは副大統領・防衛大臣であった)などひどいものばかり。

そう、ルワンダ現政権は経済面で成功しているのですが、人権の面ではかなりの加害者であるのです!市民や犠牲者の痛みを無視して、国は果たして発展できるのでしょうか。 一昨日から”Remaking Rwanda: State Building and Human Rights after Mass Violence”(University of Wisconsin, 2011)という本を読んでいるのですが、まさに私の上記の問いを分析しています。ルワンダの違った側面を知りたい人はぜひ読んでください! http://globaltj.wordpress.com/2011/05/09/remaking-rwanda-essential-contribution-to-the-study-of-transitional-justice-and-post-conflict-recovery/

また12日(日)18:30-20:30に京都で、「虐殺後のルワンダはどう変わったのか~真実、開発と人権について考える」という講演を行います(ルワンダの学校を支援する会主催)。ルワンダの真実、開発と人権の3点に関して聞く機会は(少なくとも日本においては)ほぼゼロに近いので、貴重な講演になると一人で勝手に思っています。関心があれば、ぜひ聞きに来てください。詳細に関しては↓ http://osuke.jimdo.com/
昨日、日本アフリカ学会第48回学術大会で、「ルワンダ現政権による人権侵害」について発表しました。と言っても、発表時間はたったの15分(質疑応答を入れて)なので、言いたいことが全部話すことができなかったのですが。。。
 
一般的に「ルワンダ現政権は1994年のルワンダ虐殺を止めた『英雄』であり、ツチは虐殺の『犠牲者』」と知られていますが、私はルワンダ国際犯戦法廷(ICTR)の文書を使って、「ツチもフツも虐殺の加害者であり、犠牲者でもある」と議論しました。ICTRは膨大な証言を収集しているのにもかかわらず、なぜか日本ではICTRに関する研究がほとんどされていません。その意味で、今回ICTRの議論を活用して、ルワンダの違った顔、そして国際法と国際政治間の葛藤について話したことは、意味があったと思います。
 
嬉しかったのは、研究者の先輩2人から発表について褒められたことです。「うすうす、ルワンダはおかしいと思っていたが、歴史が隠されていたとは。日本政府もルワンダ政府に強く言うべき。大体日本には外交の方針がないのが悪い」「フランスではルワンダについていろいろ聞くが、日本では報道されない。このようなことを学会でももっと話すべき」確かに!日本のジャーナリストよ、もっとアフリカの政治について報道して!
 
そして研究者の一人が「日本は『人権大国』になるべき!」と言うのでした。まだ人権小国にもなっていないのに、いきなり大国か。。。もちろん目標は大きく持った方がいいのですが。
 
下記は発表の内容:
1994年の虐殺の際に、ツチ主導のルワンダ愛国戦線(RPF)がルワンダの政権を奪取した。それ以降、開発が急速に進み、ルワンダは「アフリカの優等生」というイメージを国際社会において築いた。その一方で、RPF政権は軍事力、経済力、政治権力を利用しながら、ルワンダとコンゴにおける2つの「虐殺」をはじめとする重大な人権侵害を犯してきた。

RPFによる最初の人権侵害は、1990年に遡る。当時ルワンダの反政府勢力であったRPFが、ウガンダからルワンダに攻め込んだ時である。その後ルワンダは内戦状態になり、1993年2月にはRPFによる攻撃で80万人以上の国内避難民が発生した。そして虐殺が起きた1994年4月から7月にかけて、フツ過激派によるツチを中心とする虐殺は約80万人に上るとされるが、一方でRPFも虐殺に関与し、ある地域では約2~4万人の市民を殺害したという(UNHCR[Gersony Report]1994)。ルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)の分析によると、虐殺におけるフツの犠牲者はツチのそれの2倍であった。RPF政権は1996年と1998年の2回、ルワンダ国軍を派兵して隣国のコンゴを侵攻し、かつ侵略した。ルワンダ虐殺首謀者はコンゴに逃げ込みRPFを襲撃したので、侵攻行為は自国の防衛のためであったとRPFは正当化した。しかし、真の目的はコンゴにおける資源の確保であったとされる(UN, S/2002/1146, para65)。

RPF政権による犠牲者は、一般市民に限ったことではない。1995年から2011年2月現在までルワンダ人、外国人に関わらず、RPFに批判的である政治家、外交官、軍人、司法関係者、メデイア、国連、NGO、市民団体や宗教団体とその職員は、RPFによって逮捕、脅迫、国外追放、失踪、投獄、暗殺の対象者になったり、あるいは亡命した。その数は少なくとも計91人、66団体にのぼる(2010年は26人)。2004年から2010年にはカガメ大統領の元側近であった離反者5人も不当に逮捕されたり、暗殺未遂にあった。野党もRPFによって抑圧されたために、2003年と2010年の大統領選挙でカガメ大統領が圧勝した。表現の自由も政治的空間も閉鎖されている。

2008年には「虐殺イデオロギー」法が採択された。1990-4年の内戦や虐殺中にツチだけでなくフツも犠牲になったことを示唆する、あるいはRPFを戦争犯罪人として裁判を求めることを禁じるなど、RPF批判の封じ込めを合法化した。この法律は虐殺の再発予防のためだとされるが、RPFの戦争犯罪人を守ることが目的とされる。世界唯一ルワンダにしか存在しないこの法律は、国際人権法に適しないために、人権団体から非難されている(Amnesty International、”Safer to Stay Silent,”2010等)

RPF政権による人権侵害に対して、国際社会はさまざまな試みを図ったが、進展はない。例えば、2002年ICTRはRPFの虐殺容疑者を起訴したが、当時のICTR検事が国連によって解雇され、それ以降RPFは起訴されていない。フランス政府は2006年、虐殺直前に起きた飛行機の撃墜に関与していたRPF9人を起訴し、またスペイン政府は2008年、ルワンダとコンゴにおける人道に対する罪を犯した、カガメ大統領を含むRPF高官40人を起訴した。しかし未だにRPFからは誰一人逮捕されていない。
そして2010年10月に公表された国連報告書は、ルワンダ国軍が1996年にコンゴで犯した民間人数万人に対する殺戮行為が「虐殺の罪に値する」と結論付けた。また大湖地域での不処罰の連鎖を終焉するために、同報告書は戦争犯罪及び人道に反する罪に司法権を持つ、混成司法機関の設立を支持した。既に1990年代に国連等は、コンゴにおける大量殺害や人権侵害を明らかにしたが、その責任を問う行動は取られておらず、現在もRPF政権は責任を否定している。
 
発表の最後に不処罰について話しましたが、その続きは次回のブログで紹介します。

何とICTR(ルワンダ国際戦犯法廷)の弁護士のピーター・アリンダー氏(アメリカ人)がICTRによって解雇されたとのことです。昨年5月ルワンダの野党党首を弁護するために、ルワンダの首都キガリに行ったのですが、警察によって逮捕され、世界の弁護士会が即時釈放を求める声明を発表しました。
 
偶然なのですが,昨日ルワンダ虐殺に関する彼の思想のペーパーを読み直していて,彼の勇敢さや誠実さに改めて感銘を受けたのですが,と同時に彼はルワンダ政府,アメリカ政府や国連から相当敵視されているのではと恐れていました。というのも,国連やアメリカ政府など様々な情報を公開し(下記のURL参照),ルワンダ現政権もルワンダ虐殺に関与していたことを主張してきたからです。つまり「歴史を書きなおす必要がある」と訴えています。 
以前このブログにて,1994年の虐殺の加害者としてルワンダ現政権を起訴したために,2003年にルワンダ・アメリカや国連によって解雇されたICTR前検察官のカルラ・デルポント氏について書きましたが,今回も同様に権力国の外圧があったのではないでしょうか。
 
日本ではICC(国際刑事裁判所)やICTY(ユーゴスラビア)やルワンダ虐殺関連の研究はある程度されていますが,ICTRに関してはほとんどなし。ICTRで勤務した日本人も,私が知っている限りいなく,日本では,ICTRでの国際法vs 国際政治のどろどろとした現実を知っている人がいないのです。学生に紛争後の裁判の難しさを理解してもらうためにも,私は大学で担当する海外インターンにICTRを受け入れ先として載せていました(他大学でICTRをインターンの候補先として勧めているところはあるのでしょうか?)。その願いが通じたのか(?),昨日,人権や国際法に関心がありICTRでインターン希望の学部生(国際学部)が私の研究室に来ました。残念ながら,ICTRは修士・博士の学生しか受け入れないのですが,こんな学生に会えて心の底から嬉しくなりました。将来,法の正義と闘う若者が増えることを願っています。
 
アーリンダー氏の解雇に関しては,また情報が入り次第,ブログで更新します。
 
今日は久しぶりにルワンダのことを。何しろ、17年前の今日(4月7日)はルワンダ虐殺が起き、それがきっかけでルワンダだけでなく、大湖地域の政治に変革(それが果たしていいものであったのかは、数[]年後わかるだろう)をもたらした歴史に残る日だからです。
このブログで繰り返し書き、また著書「世界最悪の紛争『コンゴ』」にも書きましたが、現ルワンダのイメージ「アフリカの優等生」や「アフリカン・サクセストーリー」は多少あっていますが、ルワンダ内の「紛争状態」はまだ終わっていません。軍事力はアフリカの中でもトップにある「軍事大国」で、かつ「独裁主義」で「人権侵害国」でもあります。
 
ここではルワンダにはどのような課題が残っているのか、いくつか例を挙げると。。。
 
  • ルワンダ政権(RPF)とルワンダ政府軍内の分裂
  • 野党党首2人の不法逮捕
  • 政治的空間と報道の自由の欠乏
  • フランス政府とスペイン政府による起訴
  • コンゴ武装勢力のンクンダ将軍の成り行き(2年前の「逮捕」以後、特に適切なアクションがとられていない)
 
ということで、ルワンダの「原発」が爆発(=紛争の再燃)する前に、政治的解決策を探りましょう。
カガメ大統領の元参謀長で、2004年にアメリカに亡命したルダシングワ氏が、ルワンダ現政権についてラジオでインタビューされています。

http://www.wbez.org/episode-segments/2011-02-07/exiled-chief-staff-rwandan-president-paul-kagame-takes-insider%E2%80%99s-look-re

現政権がこれまで国内外で殺害にかかわってきたのに、嘘をつき真相を隠してきて居心地が悪かったことなど、ルダシングワ氏はフランクに話しています。特に1996年ごろ、ルワンダがコンゴに侵攻した時に、カガメ副大統領(当時)は「コンゴに入っていない」と国際社会に言い張り、当時アメリカで大使を務めていたルダシングワ氏も真相を知りつつ、上司と同じことを言うしかなかったとのことです。

彼は、カガメ大統領の元側近の亡命者の4人組の一人で、昨年の9月に「ルワンダ・ブリーフィング」というレポートを公表しています。それには、①カガメ大統領が殺人者、②政治的空間の欠乏、そして③カガメ大統領の汚職への関与について書いています。

http://www.musabyimana.be/uploads/media/Rwanda_Briefing_August2010.pdf

インタビューの最後に、「このままだとルワンダはまた内戦に入るかも」と言っていますが、まさに私が心配していることと同じです。自分に政治的権力があればカガメ大統領、あるいはオバマ大統領と話をするのですが、、、誰かいいpeacemakerいませんか?
先週4日に、ルワンダ人女性のジャーナリスト2人にそれぞれ7年、17年の刑務所行きの判決が下りました。

http://en.rsf.org/rwanda-prosecutor-requests-33-and-12-06-01-2011,39232.html
 
彼女らは昨年の大統領選挙の前に、現政権にとって不都合のことを報道し、6カ月拘束されました。その後に、「国家の自由や安全を崩壊させた」ことで、有罪と宣告されたのですが、国内でも「やりすぎだ!」という非難の声があるそうです。

ルワンダやコンゴをはじめ戦争を経験した国々は、戦争犯罪人を処罰しないため、日常生活にまで「不処罰文化」が浸透され、国際社会から批判を浴びています。しかし、上記のジャーナリストのように反政府、あるいは政府の批判者の場合、反対にかなり「過激な処罰」を受けます。このダブル・スタンダードの「不・処罰」はショッキングなぐらい極端であり、我々は外圧を活用して、その両方を止めるように訴えるべきです。でないと、いずれはチュニジアやエジプトのようなデモ、あるいは1994年の虐殺のようなことが起きてもおかしくないでしょう。この2週間、世界のニュースがエジプトに集中していますが、同様に表現の自由がない国々にも注目すべきです。
カガメ大統領の元側近で、南アやアメリカに亡命した4人が、新しい政治的なプラットフォームRwanda National CongressCongrès national du Rwanda)を昨年12月設立しました。この4人の中には、昨年6月に南アで暗殺未遂にあったカユンバ氏(元在インド大使)や、元検事で現政権(RPF)の中心人物であったガヒマ氏も含まれています。この4人は現政権の批判をした報告書も昨年9月に公表しています。
 
彼らは現在、映画「ホテルルワンダ」の主人公で1996年にやはり亡命したルセサバギナ氏をはじめ、1994年前の旧政権(フツが主導権を握る)の者、現政権(ツチ中心)の失望者などいろんなルワンダ人の亡命者と連絡を取っているとのことです。ヨーロッパだけで亡命者が4万人いるのですが、そのほとんどが旧政権の人間で、かなり強い「野党」をヨーロッパで築いています。このような集会は、集会や表現の自由がない母国のルワンダでは不可能です。
 
それにしてもルワンダ人のダイアスポラの団結力には、本当に驚くものがあります。現在はインターネットや携帯で通信が簡単ですが、ルワンダで虐殺が起きた1994年にはそれはほとんど普及していませんでした。私の友人の知人が1993年にケニアでルワンダ人と付き合っていた時、急に連絡が取れなくなり、聞いてみると周りのルワンダ人も一緒に蒸発し、その数ヶ月後に虐殺が起きていました。虐殺の準備のために消えた可能性が強いのですが、ルワンダ人の連帯の強さがわかるでしょう。
 
その亡命者4人が「犯罪グループを築き、カガメ大統領の汚名を着せられた、また2人はルワンダ政府軍から脱退した」という理由で、13日ルワンダの軍事裁判所で告訴されました。3035年刑務所行きです。被告人も弁護士もいない裁判所で、こんなことを一方的に決定できるのでしょうか。今年もルワンダから目が離せません。
今夜10時のBS「今日の世界」で「IT立国をめざすルワンダ最新報告」の特集が放映されたので観たのですが、ちょっと複雑な気持ちになりました。と同時に、ニュースってかなり操ることができ、誤ったイメージを与えることができるなと改めて思いました。
確かに、現在のルワンダは16年前に虐殺があったとは思えないほど発展し、そのためにいろいろな努力もされているのですが、それと共にかなり「悪い」こともしているのです。

例えば「ルワンダは資源がなく内陸国なのに、首都ではベバリーヒルズならぬ、キガリーヒルズという高級住宅地が建てられている」といった報道が番組中されたのですが、それはルワンダ政府軍が隣国のコンゴ東部を侵略している際に、資源を搾取していたからです!!Africa Confidentialや現地の報告によると、現在もルワンダ政府軍がコンゴ東部に入っています!それだけでなく、国連報告書によると、ルワンダ政府軍はコンゴ東部で「虐殺に値する行為」にも関与しました。

こういったこともぜひ報道していただきたいものです。NHK,その他のTV局頑張ってください!
ルワンダで和解関係の活動に5年近く関わり、草の根の様子をよく知っている佐々木さんが、現地で起きている人権侵害の問題についてニュースレターに書いていますのでぜひお読みください。(4ページの最後から5ぺ-ジにかけて)。
http://rwanda-wakai.net/uploads/photos0/17.pdf
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プロフィール
HN:
米川正子
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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