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コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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6月30日twitterでも紹介しましたが、コンゴとルワンダ関係者の間で現在問題になっている国連報告書のannexです。

http://www.fdu-rwanda.com/wp-content/uploads/2012/06/Read-the-UN-Official-Report-Annex-here......pdf

その内容を簡潔に書くと、
 
  • コンゴ東部に新しく設立された武装勢力M23に、ルワンダ政府が武器や新兵を提供していること
  • ルワンダ政府は、ルワンダ人の若者(子供兵も含む)、武装した元兵士、そしてコンゴ難民を、ルワンダ国内でM23用にリクルートしていること
  • M23は直接的、そして間接的に、FDLR(ルワンダ反政府勢力:1994年の虐殺の首謀者を中心に築かれた)と同盟関係にあること
  • コンゴからルワンダに帰還した元FDLRを、M23は動員と後援していること
 
これを読んで、?と疑問に思った人もいることでしょう。ルワンダ政府から支援を受けているM23が、ルワンダ政府の敵であるFDLRと同盟関係?と。実は、ルワンダ政府とFDLRがそのような関係にあることは、以前から噂で流れています。私の著書『世界最悪の紛争「コンゴ」』にも書いていますように、コンゴ紛争は「舞台劇」であり、コンゴ人いわく「喜劇」なのです。原発問題等に関してでもそうですが、メデイア・リタラシーが必要となります。
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今朝(7月2日)のBS「おはよう世界」で、ビル・ゲーツのインタビューがあり、「あなたは自分で成功していると思っているか」と聞かれ、「そう思っている。(中略)マラリア対策のように面白い(interesting)プロジェクトにも取り組んでいるし」と答え、唖然としてしまいました。

世界で何百万人の人がマラリアによって苦しみ、亡くなっているのに、それを「面白い」と表現するでしょうか?私もマラリアに5回かかったことがあり、最初の2回は1週間ほど寝込んでしまいましたが、それを現地の人たちは繰り返し経験しているのです。我々の風邪と同じ感覚です。彼らは生と死と闘っているのですから、せめてビルケーツには、「重要な」(critical, crucial)と言ってほしかったですね。

これを聞いて再確認しましたが、国際協力(援助や人道支援)って言葉はいいのですが、やはり「他人事」なんですね。特に外国でそれを行う場合。私もアフリカやアジアの現場で15年間働き、若いころは「現場で働くことは面白い、楽しい」という思いがあったので、自分自身への反省も含めて、そのように書いています。

現場はいろんな人間(難民、市民団体、地方行政、人道支援機関、ドナー国等)と触れ合い、また次から次へといろんなハプニングが起きます。場所によっては、テント生活をし、夜空を楽しみながらシャワーを浴び、ジャングルの中を歩き回って難民を助けに行くこともあります。非日常化した生活でさまざまなことを学び、経験したという意味では「面白かった」のですが、今振り返ると、難民に対してなんと失礼なことだったのでしょう。難民の解決法を探るのに必死であった一方、私はある一種の「冒険」を楽しんでいたわけですから。

もちろん、何事も面白くないと、ベストを尽くすことはできないので、「面白い」「楽しい」や「冒険」には問題はないという人もいるかもしれません。しかし外国人(他人)にとってそれでよくても、当事者にとっては生死の問題であるんですね。そもそもこの開発や貧困という問題は過去50年以上国際社会で問題視され、かなりの資金等が費やされているにもかかわらず、地域によっては状況が後退しています。これにはいろんな要因がありますが、その一つに、「他人事」(=無関心、真剣に解決していない)という問題が挙げられます。自分の問題として受け止めて、行動する必要性がありますね。
アジア女性資料センターの最新号の情報誌『女たちの21世紀』に、「ルワンダは女性の参画のサクセスストーリーか?」を寄稿しました。

http://ajwrc.org/jp/modules/myalbum/photo.php?lid=156&cid=4

ルワンダの女性議員のクオーター制が2010年に56.3%と世界第一位になりましたが、現在ある女性の野党党首がルワンダ政権から脅迫を受け、この1年半投獄されています。その理由は、ルワンダのジェノサイドとコンゴ戦争の不都合な真実や政治的空間の存在と関係しており、それについて本稿は解説しています。

上記の女性の野党党首について書かれた日本語の記事や原稿はおそらくないと思いますので、貴重な原稿だと思います。著作権がないため、本ブログに載せることはできないのですが、関心がありましたら、ぜひ読んでください。ルワンダの違った一面が見えることは間違いなしです。
今週は忙しくしていました。宇都宮大学の研究室の片づけ(5月で退職したため。でも書類が多すぎるために来週も続けなくては!)、20日の世界難民の日のイベント(ビルマ難民の日本における定住がテーマだったが、アフリカ諸国から来た難民・亡命者が「なぜいつもビルマなの?アフリカのことも取り上げて!」と怒っていた)、また今週末は日本平和学会@沖縄。。。今回の平和学会は沖縄返還40周年や昨年の3.11もあり、その関係の部会が多く、大変勉強になっています。私の専門であるコンゴ東部は沖縄同様に軍事占領され、同じ暴力構造の下で市民は大変な被害を受けているので、見ていて本当につらくなります。
 
それはそうと、今週はルワンダがかなり国際ニュースで取り上げられましたね。特に2と3に関しては、ルワンダにとって大変恥ずかしいるニュースです(1990年代から、このようなembarrassingな報道は何度もあったのだが)。全部フォローしてはいないのですが、簡単にまとめてみましょう。
 
1.ローカルなjusticeというか、裁判所であるガチャチャが18日(月)に終了しました。しかし、公平に加害者を裁くことができたのか?という大きな疑問が残っています。関心がある人は武内進一さん、そしてヒューマンライツウォッチの論文とレポートをご参照ください。
 
http://jica-ri.jica.go.jp/publication/assets/JICA-RI_WP_No.32_2011.pdf
 
http://www.hrw.org/news/2011/05/31/rwanda-mixed-legacy-community-based-genocide-courts
 
2.数週間前から騒がれているニュース、「ルワンダ政府がコンゴの新反乱軍を支援していると書かれた国連報告書案」についてですが、アメリカ政府がその報告書の公表を防いでいることをコンゴの国連大使が話しました。4月以降、この新反乱軍やICCの戦争犯罪人のンタガンダを巡って、コンゴとルワンダ間では新たな緊張関係が生まれています。ルワンダ政府は国連PKO(MONUSCO)@コンゴに対して、「MONUSCOはもしかしてFDLR(1994年の虐殺の首謀者が中心に築かれたルワンダ反政府勢力)を支援しているのでは?」といつものごとくバッシングをしています。
 
http://uk.reuters.com/article/2012/06/20/uk-congo-democratic-rwanda-idUKBRE85J1IM20120620
 
3.2010年に南アに亡命中のカユンバ(カガメ大統領の元側近)が暗殺未遂にあった事件で、カユンバが裁判所で、カガメは1994年の虐殺の引き金となった旧大統領の飛行機墜落を計画し実施したことを話しました。またカユンバは自分が暗殺されることをある電話の会話で知ったとも言っています。これは決して新しい情報ではなく、他の元側近も同じことを証言しているのですが、日本のメデイアは全然報道しませんね。反応が遅すぎる!
 
http://www.timeslive.co.za/news/2012/06/22/kagame-wants-me-dead
昨日からどんよりとした、イヤーな気分が続いています。話題となったワシントンポストの記事に、アメリカ軍がアフリカに展開すると書いてあったからです。これは決して新しいことではなく、2008年にブッシュ政権によりAfrican Command が設置されましたし、昨年10月にはアメリカ軍兵士100人が反政府勢力の掃討作戦のためにウガンダに派遣されました。これからもっと軍が増大するのかと思うと、頭痛が、、、
 
この記事と同時に、オバマ大統領が「サブサハラアフリカへの新しい戦略」というペーパーを公表しました。内容は、民主化の支援、安全保障、経済成長、ビジネス機会の増大で、特に新しくものではありません。結局、アメリカが考える戦略は、テロ戦争のために、アメリカ軍を中東からアフリカに移転させ、天然資源を確保することなのでは?実際に、ウガンダでも、反政府勢力を倒すことより、結局石油の確保が目的だとされています。軍の介入で犠牲になるのが、いつものごとく一般市民。国連が重視している(はずの)市民の保護とは、矛盾した行為です。日本政府の外交柱である「人間の安全保障」(human security)どころか、human insecurityが生じることになります。来年TICAD(東京アフリカ開発会議)を開催する日本の外務省は、「アフリカは紛争が減り、ビジネスの機会が増え、希望がある」とPRしていますが、これからアメリカ軍によるhuman insecurityが起きることを予期しているのでしょうか。アメリカと同盟国ならば、アメリカ軍の展開を止めるように日本政府はアメリカ政府と交渉することもできると思うのですが!それが真の「トモダチ」ですよね?
 
上記に関する記事は↓
 
Washington Post: “U.S. expands secret intelligence operations in Africa” June 14
http://www.washingtonpost.com/world/national-security/us-expands-secret-intelligence-operations-in-africa/2012/06/13/gJQAHyvAbV_story.html
 
Jeuneafrique:  Barack Obama, "L'Afrique est plus importante que jamais"
http://www.jeuneafrique.com/Article/ARTJAWEB20120615110234/#.T9szkkMAYMk.twitter
 
“U.S. Fights Its 'War on Terror' in Africa” June 15
http://allafrica.com/view/group/main/main/id/00017422.html
 
“Africa: Continent and the War On Terror” June 15
http://allafrica.com/stories/201206150818.html
 
Kenya: Has Kenya's Golden Boy Still Got Game? June 14
http://allafrica.com/stories/201206141132.html
 
BBC: US President Barack Obama unveils US Africa strategy, June 14
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-18448612
 
U.S Strategy toward Sub-Saharan Africa
http://www.whitehouse.gov/sites/default/files/docs/africa_strategy_2.pdf
今朝ニュースを聞いてびっくりしました。コンゴ政府の情報大臣が昨日(6月9日)、コンゴ東部の不安定である問題としてルワンダ政府を批判したのです!これまでコンゴ政府は4月以降東部で起きている反乱・人道危機に関して特に声明を出さず、どちらかというと黙認してきたので、このような発言は大変珍しいこと(1990年後半以降に起きた戦争に関してもそう。そもそもコンゴの武装勢力、外国軍、外国の武装勢力だけでなく、コンゴ政府も戦争に関与してきたために当然批判できなかった)。2009年にコンゴ・ルワンダの国交関係が正常化されましたが、この発言でまた崩れるのではないかと心配する声があります。
 
5月下旬以降、ルワンダ政府は批判されっぱなしです。コンゴ東部で5月上旬にM23という新しい武装勢力が築かれ、その勢力が反乱を起こしたために、50万人の難民や避難民が発生し、数百人の民間人が殺害されていますが、その武装勢力がルワンダ政府によって支援されたことを在コンゴの国連PKOがBBCを通して発言。具体的に、ルワンダ政府軍は軍に入るという口実で新兵を訓練したのですが、国境を越えてコンゴにいるM23に派遣したとのことです。6月4日には、国際人権団体のヒューマンライツウォッチ(HRW)が同様の内容のプレスリリースを発信し、M23のためにルワンダ人の子供も徴兵され、また武器もルワンダ政府が提供していることを確認しました。ルワンダ政府はいつものごとく、「我々はコンゴの問題に無関係」「国連PKOは予算の割には役に立っていない、無責任なことを言うな」「HRWは自分たちの資金集めのために、ルワンダを使っている」と反発。1996年以降、ルワンダ政府はコンゴ東部に何度か侵入・侵略し、資源の搾取や「ジェノサイド罪」行為(国連報告書)に関わり国際社会から批判されてきたのですが、その度に「1994年の虐殺の際に国連は我々を見捨てた。その国連からとやかく言われる筋合いはない」と常に反抗的な態度をとってきました。
 
コンゴの国会でも、激論がありました。4月から5月にかけて、ルワンダとコンゴ政府間でコンゴ東部の政情に関する会議が4回ほどあったのですが、その会議の詳細がコンゴの国会で公開されませんでした。ある国会議員がそれについて深く追求したところ、閉鎖された会合でしか話せないという返事が返ってきて、その議員は国会から退席しました。従順なコンゴ人にとって、このような行動は稀なこと。とにかく何もかも機密です。
 
まさしくコンゴ東部の地上だけでなく、国際社会においてもコンフリクトが起きています。今後のコンゴがどうなるか、大変心配です。。。
 
追伸:それにしても、日本のメデイアはなぜコンゴ東部やICCの報道をしないのか。先日のNHKの「おはよう世界」で、マドンナとレデイーガガの比較が取り上げられていましたが、そんなことより、人間の生命にかかわることが重視されるはずなのでは?このようなメデイアだから、日本人は平和ボケになってしまい、危機感がないのですね(それが東日本大震災への対応に悪影響している)。。。エンタメを取り上げるなとは言いませんが、ニュースの優先順位を再検討すべきです。同じ日本人として、また伝える・啓蒙する人間として大変恥ずかしい限りです。
どこの国でも歴史に残るのは、戦争、政権交代や著名な政治家の死が中心ですが、キング牧師のような人権や市民活動家の死にもっともっと注意すべきではないかと思います。彼らは武装せず、特に保護されることなく、リスクの中で弱い立場の人たちのために闘ったからです。
 
2年前の今日6月2日、フロリベー・チェベヤ(Floribert Chebeya)という著名なコンゴ人の人権活動家が殺害されました。人権活動家、ジャーナリストや野党がどんどんコンゴ国外に亡命する中、彼はコンゴに居残り、政治的にセンシテイブな情報を収集したために殺されてしまったのです。大変勇敢で正義に満ちた彼の死は、人権に携わっていないコンゴ人や外国人にとっても、ショッキングな事件でした。
 
明日6月3日、早稲田大学のTEDカンファレンスで、”Does aid REALLY help refugees?” というタイトルでスピーチをするのですが、チェベヤ氏などといった犠牲者を減らすためにもImpunityについて触れます。考えてみると、特に意識しているわけではないのですが、私の講演の内容は必ずImpunityになってしまうのですよね。。。世界最悪の紛争地・コンゴ東部にいた時、毎日この問題に直面していたので、その深刻さを知っていること、そして日本でimpunityの問題が深く議論されていないから(戦後日本のことはされているが、現在のアフリカについてはほとんどなし)、特に若者に知らせる必要があると痛感しているためです。人道支援や紛争地の現実の理解に、少しでも役に立てれば嬉しいです。
昨日(5月21日)のDemocracy now!は素晴らしかった!NATOサミットがあるシカゴで、イラクやアフガン等での退役軍人がデモに参加した後に、スピーチをし、戦争メダルをNATOサミットの会議場の方に投げ捨てました。

皆のスピーチの内容が興味深かったです。「このメダルは、正義、民主主義、希望の印として軍務の後にもらったが、実際はNATOリーダーの失敗を意味する」「我々の敵は、7000マイル離れたところにいない。我々の周辺にいる、政治家、CEO、銀行などである。」「アメリカ軍がアフガンなどで害を与えてしまって、本当に申し訳ない」「戦争はイラクの人々を解放するためと言われたが、結局解放されたのはoil field」皆それぞれ、戦争を始めた政府が許せないという気持ちで怒りに満ちていました。彼らは、現地の市民同様、戦争の恐ろしさや意味がないことを一番よく知っています。

一般のメデイアでは観ることができないので、ぜひ観てください。
http://www.democracynow.org/ (9:04~)
今朝、ショッキングなニュースが届きました。私が4年前までいたコンゴ東部(州都ゴマの北70キロに位置するルチュル)において、UNHCR職員が19日に銃弾で亡くなったとのことです。
 
2009年3月にコンゴ政府軍に統合した(元)反政府勢力CNDPのメンバーがM23という暴動者・抵抗者(mutineer)をつくり、このルチュル周辺でM23とコンゴ政府軍の間で戦闘が数週間にわたって起きています。この戦闘は、2006年にICCから逮捕状をもらいながらコンゴ政府から守られ、優雅な生活を送ってきた、ボスコ・ンタガンダ氏とも関連しています。彼はコンゴ政府軍と反政府勢力CNDPの将軍なのですが、国際社会からコンゴ政府に対してICCへの引き渡しの声が上がり、ンタガンダ氏は現在逃亡中(?あるいはコンゴ政府に保護されている?)、そこへこのM23が5月上旬に生まれました。戦闘によって何万人の難民と避難民が発生しました。どのような理由でUNHCR職員が殺害されたのかわかりませんが、この戦闘や避難民への保護と関係しているのかもしれません。
 
コンゴ東部で勤務してから(正確にその前からだが)、私は人道支援の在り方に強く疑問を持つようになりました。2000年―2010年に起きた世界の紛争の90%が紛争の再燃であるというデータがあるように(世銀、2011年)、我々がよいと思って行っている人道支援は難民のためになっていないことがよくあり、紛争と難民の発生が長年繰り返されています。人道支援はそもそも緊急事態のために必要で、それが長年必要とすること自身、異常なことです(コンゴ東部では過去18年間も!)。今回の事件の殺害者を単に非難するのではなく、人道支援が現地にharmをもたらせない、またどのように持続的な平和をもたらせることができるよう、もっと考えなくてはなりません。これ以上、市民や現場で働く人道支援者が犠牲にならないためにも!
 
その人道支援に関して、6月3日、早稲田大学におけるTEDカンファレンスでお話しします。18分という短時間なので、深く突っ込むことはできませんが、人道支援の課題について少しでも理解してもらえれば嬉しいです。
 
最後に、亡くなったUNHCR職員との面識はないのですが、お悔やみを申し上げます。
 
http://www.unhcr.org/4fba0f5c9.html
 
GENEVA, May 21 (UNHCR) – UN High Commissioner for Refugees Antonio Guterres on Monday deplored the killing of a UNHCR staff member in Goma, eastern Democratic Republic of the Congo. Rocky Makabuza died on Saturday in the North Kivu provincial capital after sustaining gunshot wounds to his stomach in an attack at his home by unknown assailants on Friday night.
 
Rocky, who was aged 38, was a field safety assistant for UNHCR at its office in Rutshuru, north of Goma. He was taken to hospital after the shooting, but died of his wounds. Neither the identity of his assailants nor the motives for the attack have been established.
 
"I deplore the shooting of a colleague and offer my sincere condolences to his family. We do not know who is responsible for Rocky's death or why they attacked him. I hope that the authorities will do their best to investigate the incident and bring those responsible to justice," said Guterres.
 
Rocky had been working for UNHCR since 2009. He is survived by his wife and three children.
 
His death comes at a volatile time in North Kivu, where fighting in recent weeks between government forces and renegade troops has forced large numbers of people to flee their homes, with thousands seeking shelter in neighbouring Rwanda and Uganda.
15年前(1997年)の昨日5月17日は、コンゴの武装勢力AFDL(表向きそうだが、実はルワンダ政府軍がリードをとっていた)がモブツ政権を倒し、32年間の独裁政権から市民を「解放」した日として祝福されました。「解放」という言葉、確かに聞こえはいいのですが、その後のカビラ父大統領(1997-2001年)とカビラ息子大統領政権(2001年―現在)でコンゴの生活が果たして改善したのでしょうか。答えは残念ながら、Noです。
 
モブツ政権時代と比較するのは難しいかもしれませんが、以前は「オープン」に行われていた人権侵害が、現在は隠れたところでひっそりと行われているという意味では、より悪化しています。例えば2010年6月に殺害された著名なコンゴ人の人権活動家をはじめ他のジャーナリスト等は、モブツ時代よく逮捕されたものの、殺害されることはめったにありませんでした。学問において、現在はモブツ時代より研究費の予算が減り、研究者がひまにしています。教員が研究できないということは、大学では最新の機械(コンピューター)で新しい知識を学生に教えることができず、学ぶモチベーションが失う、そうすると自然に社会も活気が失われます。役所でもパソコンがあればいい方で、まだタイプライターを使っているところも(ところで、今の若者はタイプライターを見たことありますか??)。そして、昨年は国連の人間開発度でコンゴが初めて最下位にランクされました。この人間開発度は1990年代に始まったので、モブツ時代の1970代や1980年代と比較できませんが、その頃のコンゴは、現在のルワンダのようなアフリカのリーダー的存在でした。今の40代以上のコンゴ人は昔の黄金時代と現在の衰えたコンゴを知っているために、大半がコンゴ人の誇りを失っています。
 
「解放」といえば、ルワンダも1994年7月4日、現政権のRPFが100日間の虐殺を終えたということで、解放の日として祝福されています。しかし前政権に比較して、生活は本当に改善したのでしょうか。一般的によくなったというイメージですが、そうであれば、なぜ今でも亡命するルワンダ人(しかも現政権の高官までが)がいるのか考えてみましょう。
 
5月8日に、ある売り子が売っていたピーナッツを地元のDefence Forceにとられ、反抗するために焼身したとあるフリー・ジャーナリストが報道していました(政府系のメデイアは報道せず)。その売り子は病院で運ばれたものの保険に入っていなかったので、治療ができなかったとのことです。ルワンダでは焼身事件は初耳です。そのジャーナリストによると、毎月200FW (50円以下)の寄付を現政権にしない人はムチで打たれ、刑務所行きになるなど、権威主義のルワンダでは現政権による脅迫がよく起き、市民はフラストレーションがたまっているとか。前政権時代もさまざまな重大な人権侵害がありましたが、それが現在も続いており、決して生活が改善されたとは言えないかと思います。
 
解放と祝ったり、また前政権を非難することは簡単ですが、さまざまな視点から持続的な積極的平和が実現したのか、もしそうでなければ、どのような課題が残っているのかを検証する必要があります(これは沖縄「返還」40周年を祝うのと同じことです)
最近、執筆や他の活動に忙しく、ブログをご無沙汰していました。ここで最近のコンゴやルワンダでの動きをまとめます。ただいつものごとく、時間が経った後で「実はこういうことだったのか」と謎が解けることもありますので、詳しい分析は次回します。
 
コンゴのカビラ大統領は昨年11月の大統領選挙で、かなりの不正で勝利し、国内・外から非難を浴びていました。そこに今年3月、ICCにてコンゴ人のルバンガ被告が有罪判決を受け、その後、2000年代前半ルバンガと一緒に戦ったンタガンダ(現在コンゴ政府軍の将軍)の逮捕への圧力が一気に高まりました。2006年以降ICCからの逮捕状がありながらも、戦争犯のンタガンダは「正義より平和」という理由(言い訳)で、今までコンゴ政府から保護されていました。選挙とンタガンダの逮捕が重なり、国際社会によるコンゴへの不信感が強まる中、ピンチに立ったカビラ大統領はンタガンダを逮捕することにしました。それはICCへの引き渡しではなく、コンゴの司法で裁くことですが、コンゴの司法制度は機能しておらず、単に乱れを鎮めようとする政治的演出にしか見えません。
 
そのンタガンダ派(CNDP:下記参照)とコンゴ政府軍との間で戦闘があり(後者が前者を捕まえるためか?)、ンタガンダは自分の農場を離れ、ビルンガ国立公園を通過して、ルワンダとの国境の方に逃亡しているそうです。その農場には、何と隠された25トンの武器が見つかったとか!(そういえば、ロシア人の武器商人Viktor Boutが昨年逮捕されましたが、彼もコンゴ東部の戦争に関わっていたんですよね。下記のURLを参照)
http://www.guardian.co.uk/world/2012/apr/05/viktor-bout-sentenced-25-years-prison
 
そして、CNDP・コンゴ政府軍の脱走兵がM23(March 23, 2009に「和平合意」が結ばれたことから)というmovementをつくり、マケンガ大佐がそのトップになったこと(=マケンガ大佐がンタガンダ将軍の後継者になった)が6日付でCNDPから発表がありました。このM23の目的は表向き、コンゴ政府軍の待遇がよくなかっただの、コンゴ政府が和平合意の内容を尊重しなかったために、統合を放棄してコンゴ政府と再交渉するためだとCNDPは述べていますが、真の目的はンタガンダ将軍を保護するためだと言われています。
 
2009年3月の「和平合意」(注:和平とあるので誤解を与えますが、政府軍や武装勢力にとっての「チープな一時的な和平」と読んでください。また和平合意が結ばれると、紛争の終了を意味する印象を与えますが、それは政府や国際社会の勝手な解釈であり、現場では紛争が続いていることがよくあります。)によると、CNDPはコンゴ政府軍に統合され、正式に政党になっています。ンタガンダもCNDPからコンゴ政府軍に入り、その際にコンゴ政府軍の将軍に昇進したのですが、CNDPの軍事部門は事実上廃止されていなく、コンゴ政府軍とCNDPによるparallel administrationが続いていました。ちなみに、このンタガンダ将軍の肩書は、ジャーナリストによって、あるいは見方によって書き方が違うんですね。「コンゴ政府軍の将軍」、「CNDPの将軍」、「Ex-CNDPの将軍」。ややこしいのですが、どれも正解です!
 
上記の戦闘で、4月29日以降、新たに50万人の避難民が発生しました。昨年12月の時点でコンゴ全国に170万人いたのですが、今年3月現在で200万人に増えています。私がコンゴ東部にいた2007-8年、数の浮き沈みはありましたが、コンゴ全国の避難民数は約130万人(そのうち私が担当していた北キブ州は85万人)だったので、その時と比べると1.5倍に増えたことになります。この数だけで判断できませんが、状況は全然改善されていないことだけは言えるでしょう。この避難民の中には1994年から何回も避難している人もおり、その度に学校が休校になり、仕事もできず、夜はブッシュの中で過ごし(家にいると軍人に襲われる危険性があるため)、彼らのことを考えると、胸が痛み怒りを覚えます。ルワンダに難民化したコンゴ人も5000人ほどいて、これも2007年以来初めてのことです。逃亡・避難することが日常化し、不安定な生活を約20年続けて、現地の人はかなりのストレスを抱えています(ところで、なぜルワンダとコンゴ内に避難する組に分かれるかというと、前者はツチで、後者がフツだからです。2007年の文民の動きも、同様でした)
時々思うのですが、人を殺害したり傷づけると罪になりますが、人災で人を避難させることは罪にならないのはなぜでしょうか(今の福島も同様)。避難中にいろんな理由で亡くなる人がいるのですが、単なる(自己責任?の)事故としか見られません。市民の生命権を含む人権をもっと真剣に考えなくては!
 
ルワンダのカガメ大統領は最近のJeune Afriqueのインタビューで、ンタガンダ事件はコンゴの国内問題で我々と関係ないと述べました。ンタガンダ将軍がルワンダ人で(ICCの逮捕状を参照)、国連からtravel ban(移動の禁止)されていたのにもかかわらず、よくルワンダに行き来し(2011年の国連報告書等を参照)、またルワンダ政府がCNDPを支援しているのですが(2008年の国連報告書等を参照)!?ルワンダ政府は、コンゴに軍事的より政治的解決法を求め、ルワンダ政府が「仲介役」として介入してもいいと提言していますが、これまでコンゴに軍事的介入しかしなかったルワンダの動きがこれから気になります。
コンゴとルワンダ間の国境に位置するキブ湖に、石油の実地踏査が行われ、6月に結果がでるとのことです。石油が確認されれば、ケニア、ウガンダに引き続き、東アフリカにおいて、ルワンダが3番目の石油発見国となると、ルワンダの新聞は伝えています。
 
http://www.newtimes.co.rw/news/index.php?i=14974&a=52916
             
それにしても偶然でしょうか、最近この地域では、石油「発見」の報道が多いようです。
今年3月に、キブ湖の北に位置するヴィルンガ国立公園(アフリカ最古で、世界では2番目に古い国立公園。マウンテンゴリラの生息地)でも、イギリスの石油会社、SOCO Internationalが石油の実地踏査をすることになり、自然団体が抗議しました。2007年頃、ヴィルンガ国立公園の北に位置するアルバート湖でも石油が発見されましたし、その後、キブ湖の南に位置するタンガニーカ湖でも石油の実地踏査が行われています。この地域はまさに、Great Rift Valley(大地溝帯)という特異な地形でつながっています(だから火山が多くある)。
 
それはともかく、この東アフリカにおける石油「発見」とイラン産原油問題と照らし合わせても、あまりにもタイムリーではありませんか。本当に今になって発見したのでしょうか。そして、このキブ湖の石油を巡ってまた紛争が起きるかも?それでなくても、キブ湖にあるメタンガスが爆発する危険性もゼロではありません。あーまた研究材料が増えてしまった。。。
ウガンダ専門家である小川真吾さんが『ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』という著書を出版しました。おめでとうございます!もっと早くこのブログで紹介したかったのですが、バタバタしていて、その時間がありませんでした。私の著書『世界最悪の紛争「コンゴ」』も参考文献として活用してくださって、ありがとうございます。

http://www.terra-r.jp/contents/?blogid=12&catid=48&itemid=287

ウガンダと言えば、3月以降アメリカのNGO・Invisible Childrenが製作した”Kony 2012”の動画で有名になった武装勢力LRAのリーダーKonyの国です。、対Konyの掃討作戦という名目上、アメリカ政府はウガンダの石油や周辺国の天然資源を狙っているのではないかと疑われています。ウガンダの北にある南スーダンでも、やはり石油をめぐって現在、スーダンと武力紛争が続いています。小川さんの本は、これらの国々の戦争の背景を扱っているので、まさにタイムリーで、学びたい人はぜひ読んでくださいね!もちろん日本とも無関係ではないことです。
ここのところ、コンゴ東部では緊張感が一気に高まっています。Thomas Lubanga(ルバンガ)被告人が3月14日に国際刑事裁判所‐ICC-で有罪判決を受けた後(ICCが10年前に設立されて初めてのケース!)、2002年コンゴ北東部で彼と一緒に犯罪行為に関わってきたBosco Ntaganda(ンタガンダ)をICCに引き渡すようにという圧力がコンゴ政府にかかっているからです。ンタガンダはTerminate(終結させる、暗殺する)することで有名なため、あだ名は“Terminator“で、2006年にICCに起訴されています。しかしそれ以来、彼はテニスやおいしい食事を楽しむ優雅な生活を送りながら、コンゴ政府軍の将軍を務めています。
 
ンタガンダのICCへの引き渡しキャンペーンが繰り広げている中(アメリカ政府もンタガンダの引き渡しに関してコンゴ政府にプレッシャーを与えていますが、そのアメリカ政府もICCの締約国ではないのだから、説得力がない!)、4月1日―2日の夜、コンゴ政府軍(正確には元CNDPから)から300人が脱走したというニュースがありました。2009年に反政府勢力のCNDP等がコンゴ政府軍に統合して以降、CNDPは政党になったということですが、ルワンダ政府から支援を受け取っているCNDPの影響力は事実上まだ強く、CNDPの軍事部門はまだ存在しています。だから、CNDPとコンゴ政府軍の「並行行政」(parallel administration)が続いていることになります(ややこしい!)。
 
コンゴ政府軍の将軍 (およびCNDPの軍事リーダー) に昇進したンタガンダのICCへの引き渡しによって、和平どころか紛争に戻るというメッセージ(つまりjusticeではなくpeaceの方が優先されるという議論)を国際社会に伝えるために、表面上「脱走」があったと言われています。あるいは、ンタガンダが自分の防衛のために、部下と一緒に逃げた行為が「脱走」として報道されただけかもしれません。その行為の動機は明らかではありませんが、これによって5000人以上の市民がウガンダに避難しました。コンゴ政府軍の中にも、ウガンダに避難した人がいるとか。私がコンゴ東部にいた2007-8年の際も、人々の動きが激しかったのですが、それが繰り返されているんですね。いつも犠牲にされている、本当にかわいそうな一般市民!!
 
なぜコンゴ政府がンタガンダをICCに引き渡さないのか?ンタガンダの逮捕で、コンゴの(見せかけの)和平に問題が生じるという口実がコンゴ政府によって使われてきましたが、真の理由は、コンゴのカビラ大統領とンタガンダの間に「密約」が結ばれていて、後者は前者によって守られてきたんですね。そのカビラ大統領が4月11日、いきなりンタガンダを逮捕すると言い出しました。しかしそれはICCへの引き渡しという意味合いではなく、あくまでもコンゴ国内で逮捕するということです。おそらくンタガンダの問題がやっかいになり、アクションをとりたかったのでしょう。それでなくても昨年11月の大統領選挙では不正が数多く報道され、また選挙後未だに新政府が設置されていなく、国際社会によるコンゴ不信が強まっています。ンタガンダの上司のンクンダが2009年にルワンダで軟禁されたように、同じような目にあうかもしれません。しかし、ンタガンダと違ってンクンダはICCからの逮捕状がなかったので、軟禁が現実的に可能なのか?
 
それにしても、このICCへの引き渡しキャンペーンをフォローして違和感を持つのは、そもそもンタガンダはコンゴ人ではなくルワンダ人であり、本来ならルワンダ政府がICCに引き渡すべきことです。ンタガンダがルワンダ国籍であることは、ICCの逮捕状に言及されています(5ページ参照)
http://www.hrw.org/sites/default/files/2006-icc-warrant-ntaganda.PDF
 
しかし、なぜルワンダ政府はICCへの引き渡しができないのか?ルワンダがICCに調印していないから?またンタガンダはルワンダ人なのに、なぜコンゴ政府軍の将軍なのかという疑問も持たれるでしょう。それがこの両国の複雑な背景を物語っているんですね。下記のHRWのプレス・リリースでわかるように、ンタガンダはルワンダ生まれで、ツチへの差別から逃れるためにコンゴに移住し、ルワンダ現政権(RPF)がまだ反政府勢力であった1990年に加盟し、その後ルワンダ政府軍やコンゴ政府軍で活動しています。このように、ルワンダ人が自分の都合によって両国を越境し、それぞれの政府軍で活動する、またルワンダ系コンゴ人の国籍がはっきりしないという異常なことがこの地域では当たり前になっています。それには、天然資源の搾取とも絡んでいて、だからこそ紛争が絶えないのです。
 
http://www.hrw.org/news/2012/04/13/dr-congo-arrest-bosco-ntaganda-icc-trial
 
それにしてもICCから起訴されて6年経って、やっと国際社会が本格的に動き出しのですから、本当にそののろさにあきれます。もっと早急にンタガンダを逮捕していたなら、何千人、何万人の犠牲者が出てこなかったでしょう。そういう意味では、国連などは不必要に犠牲者を生んでしまったという意味では、犯罪者ですね。”Responsibility to Protect (R2P)(保護する責任)”、”Human security(人間の安全保障)“、”Humanitarian action/intervention”(人道的介入)など国際社会は美化した概念づくりに専念したり、都合によってnon-interference(内政不干渉)だとか、sovereignty(国家主権)という口実で責任逃れをしています。市民の保護や持続的な平和にとって効果的な行動は何かをよく考え、非暴力な手段で早急に移してほしいものです。
やはりというべきか、Kony 2012のviral videoを作成して一躍有名になったInvisible ChildrenというNGOは、ウガンダ政府とアメリカ政府と連携していたんですね。下記のウィーキーリークスをお読みください。

http://blackstarnews.com/news/135/ARTICLE/8090/2012-04-08.html


このKony 2012をめぐって様々な批評があり、その中でも下記の批評"Accountability, not awareness"は的確な指摘をしていると思います。

http://www.aljazeera.com/indepth/opinion/2012/04/201247943869166.html
 
このKony 2012が公表されてから、さまざまな疑問がありました。

LRAの問題は過去26年間続いているのに、なぜ現在(2012年)問題視するのか。なぜLRAという武装勢力だけがターゲットされているのか(アフリカで問題になっている武装勢力(政府軍も含む)はLRAだけではない)?またなぜこのKony 2012がこれだけ有名になったのか?

LRAは以前ウガンダ北部とスーダン南部にいましたが、2006年からコンゴ、そして中央アフリカ共和国に展開しています。スーダン、コンゴと中央アフリカ共和国の共通点は?そう、天然資源が豊富なことです。加えて、数年前にウガンダとコンゴの国境にあるアルバート湖等で石油が発見されたこともあり、アメリカ政府にとってほっとけない地域であります。1カ国だけでなく、クロスボーダーで活動している武装勢力は他にありますが、上記のような戦略的な地域で活動しているのは私が知る限りLRAだけなので、LRAを口実に使っているのでしょう。

対LRAの掃討作戦のために(名目上、しかし目的は石油)、オバマ大統領は昨年10月米軍100人をウガンダに派遣し、彼のライバルから批判を受けました。選挙キャンペーンを行っている今、市民の支援が必要としているため、対LRA軍事作戦を促進しているInvisible Childrenを戦略的に活用した可能性があります。

そもそも人道的な目的があるはずのNGOがKonyだけを悪者扱いし、アメリカ軍が介入しないと、ウガンダの子供を救うことができない、また軍事介入が平和に貢献するという間違ったメッセージをアメリカ人の若者に出しているところが怪しい。過去の教訓を見ても、軍事介入によって子供を含む文民は必ず殺されています。人道支援者として、本当に怒りを感じます。このようなプロパガンダに振りまわされることのないよう、皆さん気をつけて下さい。
18年前の今日、4月7日はルワンダ虐殺が始まった日です。これを機に、ルワンダにおける加害者と犠牲者間の和解について真剣に考えてみましょう。確かにガチャガチャという伝統的な(司法?)システムはありますが、元議会議長Joseph Sebarenzi(現ルワンダ政権に睨まれ、現在アメリカに亡命中)によると、これらは単なる「みせかけ」(window-dressing)で、真の和解はまだルワンダにないと言っています。
 
http://www.theproxylake.com/wp-content/uploads/2012/03/RWANDA-THE-FUNDAMENTAL-OBSTACLES-TO-RECONCILIATION.pdf
 
虐殺の生存者である彼は、真実と和解委員会の設立を訴え、虐殺中殺されたツチだけでなくフツの犠牲者についても語る必要があると主張しています。彼の著書God Sleeps in Rwandaを読むと、非暴力で和解を実現しようとする彼の誠実さがよくわかりますので、関心がある人はぜひお読みください。
1994年の今日4月6日に、ルワンダでは大統領専用機の撃墜事件があり、その数時間後に虐殺が始まった歴史的な日です。あれから18年が経ちましたが、ルワンダ虐殺がコンゴに与えた負の遺産(コンゴ戦争)はいまだに残っており、現在、民族対立を伴う緊張感が高まっています。
 
2002-3年のコンゴ北東部における児童兵の徴集若しくは編入又は敵対行為のための使用という戦争犯罪で、3月14日、ルバンガ被告人は国際刑事裁判所(ICC)によって有罪の判決が言い渡されました。2002年のICC発足以来,ICCが下した最初の判決でしたので、世界は「待ってました!」とばかりの大騒ぎ。ところが、その一方で、2002年ルバンガと共に活動してきたボスコ・ンタガンダ氏は2006年、ICCから逮捕状が出ているのにもかかわらず、この6年間コンゴ政府から守られながら優雅な生活を送ってきました。現在、そのンタガンダ氏をICCに引き渡せという国際的な圧力がコンゴ政府にかかっています。
 
そんな中、コンゴ東部の少数民族であるツチ・コミュニティー(上記のンタガンダ氏もツチ)が国連事務総長に下記の内容の手紙を送りました。
 
  • ツチはコンゴにおいて、差別されてきた少数民族であること
  • ンタガンダ氏はCNDP(ルワンダ政府が支援しているコンゴの元武装勢力。現在は表面上コンゴ政府軍に統合された)のメンバー全員にコンゴ政府軍に統合するように動員し、またコンゴの和平に貢献したこと
  • 2002年コンゴ北東部で起きたことは、(紛争ではなく)ツチに対する(現地ではヘマと言われる)「虐殺」であったこと。
  • このような対ツチへの悪行為は現在も続き、様々なアクターがンタガンダ氏をコンゴの軍人というよりツチとして注視していること;そして、
  • ンタガンダ氏が逮捕されると、コンゴ東部や大湖地域の状況が悪化すること
 
この手紙を読んで、落ち込んでしまいました。私は大湖地域の「平和構築」を現場でまた遠くから過去数年フォローしてきて、単なる「パッチワーク」であることをわかっていましたが、また紛争が再燃する可能性がでてきたようです。この(紛争や虐殺の)「犠牲者意識」(victimhood)問題はツチだけでなく、日本人も同様にあります。原爆の被害については話すのに、日本人が隣国でした加害者行為は忘れている、無視している、あるいはそもそもその加害者の意識がない。そしてその犠牲者意識が政治的なツールとして使われているから、紛争が続くんですね。もちろんイスラエル・パレスチナ問題もそう。本当にやりきれない気持ちで一杯です。そんな現状を研究者、実務家、政策立案者や学生はもっと知った上で、非暴力的なかつ持続的な問題解決策についてもっと激論すべきです。
今から2年前にコンゴ人の著名な人権活動家(Floribert Chebeya)が殺されたのですが、今朝その未亡人のインタビューを読んで涙がほろり。本当に悔しく、何もできない無力感に堕ちいてしまいます。
 
http://www.jeuneafrique.com/Article/JA2673p086-087.xml0/?utm_source=feedburner&utm_medium=twitter&utm_campaign=Feed%3A+jeune_afrique_Culture+%28Jeune+Afrique+Culture%29
 
言論の自由がないコンゴでは、国外に亡命する人権活動家やジャーナリストが多いのですが、チェベヤ氏はコンゴに居残ることにこだわり、モブツの独裁時代から25年間にわたって、正義のために闘った勇敢な人として有名でした。腰の重い国連事務総長でさえ彼の死に関する声明を発表したのですから、彼の死がコンゴやアフリカだけでなく、国際社会においてどれだけショッキングなものであったのかわかるでしょう。残念ながら日本では知られていません。。。アフリカというと、ビジネスの可能性、援助、貧困、エイズの大陸としか報道されていませんが、人権問題、特に現地の人たちがどれだけ命がけで闘っている様子も伝えてほしいものです!
 
それはともかく、その彼の死に関するドキュメンタリーが今日フランスで公開され、それに先立って未亡人がインタビューされました。現在6人の子供とカナダに亡命しており、上の子供2人は父親のように司法関連の仕事に就きたいだの、今でも脅迫を受けるだの話しています。彼女自身将来コンゴに戻りたいのですが、不処罰がある限り難しいだろうと言っています。
 
日本では、3/11後に、ふるさとへの想い、故郷を離れるつらさなどがよく話題になっていますが、当然のごとく、状況によってはそんな簡単に帰ることはできません。また難民や亡命者という地位がなくても、同様な状況にいる人もたくさんいるのです。外国に留学しているとき母国の政情が変動し、帰ることができなくなった人、または滞在ビザを得るために、現地人の人と(強制的に)結婚した人は大勢いるでしょう。そういう人たちは難民として登録されていないために、UNHCRの数に上がりませんが、我々が考えている以上に大勢いることでしょう。
 
彼らが母国に自由に帰国できるように、単に物資的や精神的な支援だけでなく、上記の不処罰といった、腐った構造を一から変えることをしなくてはなりません。国づくりや復興への協力の際に、reconstruction やrehabilitationという言葉が使われていますが、re(再)というパッチワークのような業務をするのではなく、最悪の場合、まず既存の構造やシステムを破壊することから始めなくてはなりません。国家主権の問題になるから国際社会はそこまでできないと言われそうですが、難民や亡命者のことを考えると、そこまでやる必要があるのでは?でないと、ますます難民、亡命者や移民は増え、失業や経済格差が生まれ、社会への不満がたまる一方になるかもしれません。これはもちろん日本の政治体制にもあてはまることです。(まとまりのない文章になったことをお詫びします)
野田首相が核安保サミットで演説する、福島原発事故の3つの教訓で呆れてしまいました。(1)想定外を想定する(2)現場をおろそかにしない(3)安全確保は不断の取り組み、が「教訓」なのですが、これって「常識」ではなかったのでしょうか。もちろんこれは原発に限って言っていることで、私が働いてきた人道支援や緊急事態の場と違うかもしれませんが、地震大国にいる我々市民としては、当然認識するべきことでしょう。

「絶対的な安全などあり得ない」のは、原発だけでなく、どの分野においても当たり前のことです。また「知見と教訓を将来に語り継ぐことが歴史に対する責任」だと訴えるそうですが、それを言うのなら、戦後の不処罰は解決されていないだけでなく、公立校の授業で教えることも禁止されています。リップサービスだけで終わるのではなく、有言実行してほしいものですね。

それにしても、なぜ教訓として大きな政策を出せないのでしょうか。こんなちっぽけな「教訓」をサミットで演説して、日本の代表者として恥ずかしくないのでしょうか。今朝の朝日新聞が指摘していたように、世界の中で日本がどんどん疎外されているのがよく理解できます。立教大学長が「大学は考える場である」と述べていましたが、教育者としてその責任感を痛感しています。将来教訓と常識を混乱したり、深く考えることができない社会人を生み出さないためにも、私ももっと努力をしないと!
今月のDAYS JAPANに興味深い記事があったので、思わず購入してしまいました。小出裕章さんの「原発は犯罪である」。

「日本が法治国家であるならば、日本政府は法律を守るのは最低限のルール」と説き、チャップリンの「殺人狂時代」という映画の中にあった、殺人を犯した人間のセリフ「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ」を引用しています。そして「日本政府がこんな被害を生じさせても、英雄とは言わないまでも誰も処罰されない、だれも責任を問われないのです」と小出さんはつづっています。

これは原発問題だけでなく、まさにコンゴとルワンダ、その他の紛争(後)の国でも起きていることと同じです。ICCが逮捕しているのはプチ戦争犯罪人ばかりで、リーダー格の戦争犯罪人は英雄であり、豪華な生活を過ごしており、かつ外国のジャーナリストや政治家からもちやほやされています。

私はこのブログで、そして講演などでしつこいほど、この不処罰(impunity)について話しているのですが、アフリカの遠い国だけでなく、日本でも起きていることなのです。もちろん今に始まったことではなく、戦後の処理に関しても同じ。気づいている人は多くないのですが、それって平和ボケしているせいでしょうか。

そもそも原発問題を「事故」として注視するから誤解を与えるのであって、上杉隆さんが言うように、「事件」としてみると、犯罪であることがわかります。問題の責任者は誰であるかも含めて、もっともっとこの不処罰に注目しましょう。





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大学教員
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コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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