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コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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3週間続いたJICAのアフリカ仏語圏平和構築研修が2月3日に終わりました。「歴史」(将来に向かうために歴史を見直す重要性)、「人々」(犠牲者や市民の痛みを知る重要性)、「行政」(平和構築における行政の重要な役割)の3つのコンセプトを基にした本研修の内容づくりには3年前から関わっています。アフリカ紛争(後)の国々(ブルンジ、コンゴ民主共和国、ジブチ、チャド、中央アフリカ共和国)の司法や治安関連の政府役人に日本の戦後復興の教訓を学んでもらい、それぞれの国の平和構築に役立ってもらおうというものです。3週間のプログラムののうち、今回私は1/3しか参加できなかったのですが、感想を簡単に書きたいと思います。
 
  • 参加者11人の内、2人(女性)がチャドの「平和と和解を求めるモニタリング委員会」というNGOに属しています。本研修への市民社会出身の参加者は初めてだったのですが、行政の人と違って大変パワフルで厳しく、議論もぐんぐんリードしてくれました。例えば、ジブチの行政官が「ジブチでは暑いこともあり、午後は仕事しない。本研修は朝から晩まで講義が詰まっていて疲れた。午後は休ませてくれたらよかったのに」と愚痴ると、チャド人女性が「何言っているの、緊張感の中で仕事をしないと!チャドだって暑いけど、私たちは働いているわ!」とびしっと叱ってくれ、ファシリテーターの私としては大変心強い思いでした。こういう時、外国人の私が介入するより、アフリカ人同士が注意しあう方が効果的です。やはり最終的に頼りになるのは、市民社会、しかも女性!これは日本も同じですね。 
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  • アフリカ人同士の議論というと、JICA研究所のコンゴ人研究員による日本の勤勉や団結力や教育熱心さなどのフリートーキングをしてもらったのも良かった点です。この研究員は、大変まじめで責任感の強い性格の持ち主。日本人が日本のいいところを話しても、「日本では機能しても、アフリカはどうせだめだ。。」とAfripessimism(アフリカ悲観的)になるアフリカ諸国の人が多いのですが、日本のことをよく知っているアフリカ諸国の人(しかも講師が、経済的に発展している南ア等の人ではばく、失敗国家(失礼!)のコンゴ人だから、さらに効き目があった)が話すとかなり説得力がありました。研修生も多少Afroptimismになったと思います。
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  • もちろん日本のいいところだけでなく、負の遺産や課題も研修生に見せました。見学した「女たちの戦争と平和のミュジアム」は慰安婦問題を取り扱っており、日本が被害者だけでなく加害者であったことを説明しています。研修生から「自国(コンゴ)では性的暴力が続き、世界のレイプ中心地と呼ばれている。慰安婦と同様なことが起きている」「戦争がなくても、性暴力はアフリカでは日常的に起きている。我々の手で何とかしなくては!」「アフリカでは負の遺産の歴史を消そうとする傾向があるが、ここのように博物館を建て証言を集め、次の世代に伝えないと」といった活発な意見交換がされました。またこのような日本の恥である問題をオープンに見せたことに関して、研修生数人から感謝されました。日本の強みや成功例だけを見せると、他に何か隠しているのではないかと疑うからです。実際にある研修生が自国の問題を触れなかったら、「貴国が多くの問題を抱えているのは知っている。かっこつけてどうするんだ」と他の研修生から苦情がありました。個人レベル、あるいは国家レベルで信頼関係を築くには、やはり負の遺産を含む過去や現在の問題ときちんと直面し、誠実になることから始まりますね。今の日本政府も経済や技術力だけに頼らずに、歴史と向き合って対処してもらいたいものです。 
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  • 弁護士の伊藤真氏による憲法の講義も評判がよく、あるオブサーバー(日本人)のコメント「人間の安全保障の講義より憲法の方がずっと理解しやすい」が印象的でした。私も実はこのあいまいな「人間の安全保障」の概要は理解していなく、それよりも憲法9条を日本政府の外交柱として取り上げてた方が日本人・外国人にとってどんなに効果的でわかりやすいことだろうかと思っています。
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  • 最後に、羽根拓也氏(アクテイブ・ラーニング(株)社長)による能動的学習法と、船田クラ―センさやか先生(東京外大)による紛争転換(トランセンド)のワークショップは大変人気があり、母国でさっそく実施したいと言う研修生がほとんどでした。やはり参加型形式は一方的な講義と違って、開脳・活性化するきっかけにもなるので、いつも評判がいいですね。私も大学ではなるべくそうするように心がけています。話はそれますが、一般の就職セミナーは大学卒業直後の短期的な出口の話しかせず、かつ講義が多いのですが、逆なこと(参加型を通して、長期的に人生の目標や価値観を見直す)をすれば、学生の生きる・働く意欲が高まると思うのですが。。。話は戻って、今後の紛争転換の課題は、上記のチャド人がお願いしたように、独裁者や武装勢力といった権力者とどう闘うか、また野党と与党間といった政治的なコンフリクトの転換法ですね。うーん、これはさやか先生も私も現在現実に直面しており、お互いに勉強中。Trial and errorを重ねて、将来チャドやコンゴでぜひ活用したいものです。
 
JICAの関係者、そして研修生の皆さん、お世話になりました。そしてお疲れ様でした。本研修が少しでもアフリカの平和構築の努力に役立つことを願っています。
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遅らばせながら、3人の女性のノーベル平和賞受賞について書きたいと思います。
平和構築に女性が参加する権利のために非暴力で闘ったことが受賞の理由ですが、本当におめでたいことです。私事ですが、リベリアは私がアフリカ大陸で最初に行った思い出深い国であり、UNHCRで勤務していた際にリベリア人の上司や同僚がいたので、リベリア人女性のパワーを以前から知っていました。そしてリベリア料理は最高においしい!(国を評価する際に、重要な要素です)ですから、今回のリベリア人2人の受賞は、私にとって他人事ではありませんでした。
 
しかし疑問が2つあります。
 
私自身、平和構築の分野で働いてきましたが、非暴力で平和のために貢献している女性の数は、男性より圧倒的に多いのです。女性が子供を産むこともあって生命の大切さを男性以上に知り、また男性ほど変なプライドや競争心もないため、暴力やけんかの発想もなく、周りと協力し合って仲良く生活することに努めます。ですから、もっと女性にスポットをあてても不思議ではないのですが、2004年のマータイさん以来、女性が一人もノーベル平和賞を受賞していないこと自体おかしいことです。
 
しかも、政治家や国連機関が受賞することも、いつも違和感を持っていました。彼らが平和のために働くのは当然であって(そのために我々の税金が使われている!)、しかも大統領という立場だと、例えその人が戦争犯罪人であっても罰などの免除があるなど特権がたくさんあります。それよりも、国家から守られるどころか繰り返し逮捕されるなど、リスクを抱えて活動している個人の活動家に授与する価値があります。
 
まさしく、職種、そしてジェンダーの観点から、これまでノーベル平和賞の受賞者の人選に問題があったと思います。今回だけでなく、ノーベル賞委員会は来年以降も、女性活動家による非暴力に注目してほしいものです。


今日外務省やオックスファムジャパンが主催した「武器貿易条約(ATT)に関する意見交換」に初めて参加しました。私は武器専門家ではありませんが、不法に流入された武器がたくさんあったコンゴ、ルワンダ、南スーダンなどでUNHCR職員として勤務していたこともあり、友人が紹介してくださったのです。このように、外務省が市民社会を招いて意見交換を開催することは本当にありがたいことです。
 
このATTは「通常兵器の輸出入及び移譲に関する国際的な共通基準を確立する国際約束の作成を通じて、通常兵器の国際的な移譲管理強化を目指すもの。これまでの議論では、国連憲章違反、国際人道法・人権法の重大な違反等が移譲基準の要素の一つとして挙げられている」(外務省HP)。つまり武器を規制するためのものです。意見交換はすでに数回関係者(研究者、防衛大学、NGO等)と行われており、今日も「リスクアセスメントをした上で、武器の使用目的に合わせて、輸出を決めること」、また「(武器の使用目的によって)同じ武器でも戦車のような大きなものはだめだが、小型武器ならいい、というガイドラインをつくる必要あり」等といった議論が。
 
よーく聞くと何となく変。武器を「合法化」しているように聞こえる?そもそも武器は必要なのか、何のために武器は存在するのか、人を殺す以外に何の目的があるのか。武器があることで、そもそもいいことがあるのか。そこから話す必要があるのではないでしょうか。
 
日本では武器がないため、一般の市民はあまり理解できないかもしれませんが、私は紛争地で、「武器の犠牲者」でもある大勢の難民や国内避難民に会い、武器を見るのが本当に嫌になりました。もちろん武器をなくすことで紛争や難民を完全になくすことはできませんが、ある程度犠牲者は減るでしょう。だから意見交換で、私は「皆様は、武器がいいという前提でこのような(上記の)議論をしているのでしょうか」と聞いてしまいした。
 
「もちろんいいとは思いません」とある参加者。「(米川)それなら、なぜ、どのように武器をなくせばいいのかではなく、どう規制するのかについて話すのでしょうか。武器をなくすことをATTの最終目的にする必要があるのでは」「(ある参加者)でも武器は人類が誕生してずっと続いている問題。我々だって長く生きているわけではないし、その間にできることをするしかない(規制するだけで精一杯)」
 
おーでました!この短期的な視野!新しい武器がどんどん開発されている中、我々はどのように武器を規制し続けるのでしょうか。我々の子孫のために、長期的な視野で取り組み必要があるのではないでしょうか。これは貧困削減の問題も同様で、国連のミレニアム開発目標(MDGs)も、「貧困を半減すること」ではなく、「貧困を完全になくす」ことを目指すべきです。我々はもっともっと大きな目標を持ち、野心的になる必要があります。
Japanese and English version

現在原発の処理、被災地における支援、復興、疎開先での受け入れなどやることは山ほどあり、皆さんはそれぞれの地域でできることを従事しているのですが、それと同時に、この原発の災害を二度と繰り返さないように長期的な予防策も考えなくてはなりません。昨日、被災地に支援をしてくださったジブチとアフリカ諸国のことをブログで書きましたが、物資的、金銭的や技術的な支援だけでなく、「原発
No!」の啓蒙活動を進めることが世界にとって大きな貢献になるのではないでしょうか。原発の危険性を世界に広める、原子炉の建築計画を止める、太陽エネルギーと風力エネルギーの開発を進めるなどなど。これは当然政治や経済にもかかわってくることで難解かもしれませんが、意識と意思さえあれば実現できることだと信じています。
 
日本は世界で唯一原爆被害に遭った国にもかかわらず、私を含め、多くの人々が原発のリスクに関して無関心でした。経済大国の地位を維持するために、また国の発展のためには電力が必要、だから仕方がないとあきらめていた人もいたと思います。先日JICAの平和構築研修でアフリカからの研修生と話していると、「やはり国造りのためには日本のようにインフラがないと。人材育成はその次」という結論に研修生は飛びつくほどインフラの重要性を強調していました。「開発=インフラ」と勘違いしている援助関係者が多いことも否定できません。311を通して、原発のリスクと隣り合わせにある工業化の不利、そして環境に配慮する必要性を、我々は()発見・確認したと思います。経済発展が著しいBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)もこの教訓をもとに、経済方針を考慮してもらいたいものです。
 
私は平和構築や人権の活動に関わっていますが、環境にやさしいエネルギーの普及は人々の健康的で安全な生活を確保し、その意味では世界の人々の人権を守り、それによって平和づくりの実現につながります。現在予防策として、世界の知人や知り合いに、「原発No!」の運動を進めるようにお願いしています。皆さんも世界にいる友達に同様のメッセージを流してくだされば、嬉しい限りです。
 
Presently, there are a number of actions taken for the Eastern Japan’s crisis, such as dealing with the nuclear power station, assisting the displaced persons, displacing victims to the safe area, and reconstructing the damaged area etc. However, at the same time, we need to think about long-term strategy to avoid another similar disaster. Yesterday, I wrote in my blog about the assistance offered by Djibouti and some African countries, but apart from relief supplies, financial and technical assistance, sending a msg “no more nuclear power!” will be a great contribution. Circulating the info on the nuclear power’s danger, stopping the construction of reactors, and developing solar and wind energy etc. Obviously, this needs political and economic decision, however, these actions can be taken place with strong consciousness and will.
 
Although Japan was the only country victimized by the atomic bomb, many people, including myself, was indifferent to the danger of nuclear plant. Some of us must have thought “there is nothing we can do about it as electric supply is necessary in order to sustain Japan’s economic position, or to develop.” I was recently involved with JICA’s (Japan International Cooperation Agency) Peacebuilding training, where some trainees from African countries tended to jump to the conclusion that “in order to build a country, infrastructure is the priority, followed by human resource.” We can not deny the presence of some development workers, who misunderstand that “development = infrastructure.” Certainly, we all (re)learned or (re)confirmed through 3/11 the disadvantage of industrialization which lies side by side with nuclear power’s danger as well as the need to consider the environmental effect. Hopefully, those BRICs countries (Brazil, Russia, India and China), which are developing economically, will reconsider its economic policy.
 
Being involved with peacebuilding and human rights activities, I believe that environment-friendly energy can assure people’s health and safety, which leads to protecting human rights of all the people and finally to building peaceful world.  I am now spreading the “no more nuclear power!” msg to my friends in the world as a preventive strategy. Thank you in advance for your cooperation in taking the same action as well!
昨日[34]は嬉しい日でした。JICAのアフリカ仏語圏平和構築の研修の一環として、研修生(ブルンジ、コンゴ民主共和国、コートジボワール、ジブチ出身)と女たちの戦争と平和の資料館に行き、実のある議論ができたからです。この資料館は唯一慰安婦問題に特化し、その問題の記憶の拠点です。また世界で起きている性的暴力の不処罰の連鎖を断ち切る活動に関する情報もあります。
 
http://www.wam-peace.org/jp/index.php
 
日本政府が認識していない慰安婦問題を、同じ政府の役人である研修生と共有したことは、ある意味で「タブー」を破ったかもしれません。しかし、平和構築とは単にインフラの建築・整備や工業化することだけでなく、戦争加害者の処罰など司法的な問題を真剣に取り組むことによって初めて実現できることを研修生に理解してもらいたかったのです。人々の葛藤と直面しなければならないため、後者の方が前者よりかなり難解で複雑です。これは私が世界最悪の紛争地であるコンゴ東部に勤務した時に学んだ教訓であり、啓蒙の際に特に強調している点です。
 
研修生の反応は以下のとおり。
「慰安婦("comfort women")という言葉を聞いたのは初めてで、ショックを受けた」(女性の研修生)(注:英訳のcomfort womenは誤解を与えてしまうために、『性的奴隷(sexual slave)』と英訳されている)
「アフリカだけでなく、日本にも不処罰の問題があることが分かり、グローバルな問題として取り組まないといけない」
「真実を伝える被害者の勇気と強い意志を尊敬する」
(負の遺産も含む)真実を知る必要がある。それを次世代に伝えないと」
「日本政府の協力なしに、市民団体がこのような資料館を建てたことは立派」(現在のリビアのように、アフリカの多くの国々では、政府批判、あるいは政府の方針と異なった活動をすると抑制されるので、それが自由にできる日本はまだ人権が保障されていることを意味する)
 
また日本における女性観についても、話が盛り上がりました。女性の地位が一般的に低いのは日本もアフリカ諸国も同様ですが、日本において女性の国家議員や経営者の比率はアフリカの特定の国々より低い場合もあります。「アフリカは遅れている。我々が知識を教え、支援しないと」と偉そうに言う前に、我々も多くのことをアフリカ諸国から学ばなくてはね!
 
JICA研修生の見学は今回が初めてだったのですが、この資料館行きはそもそも私が提言して実現できました。資料館の訪問の効果について、あるアフリカ諸国の人に事前に相談すると「アフリカ諸国にとって、日本はあこがれの国、モデル国である。そんな資料館に行ったら、『日本でさえ不処罰に取り組まず、ここまで経済発展ができた。だから我々も放棄していいや』とますます不処罰問題に消極的になるだろう」と資料館行きについて強く勧めませんでした。その意見も理解できたのですが、議論の進め方によっては処罰の重要性を再確認できるという自信はありました。
 
実際に、ある研修生は以下のようなことを言ってくれました。
 
「経済発展など日本のいいところばかり見せられると、日本は何か隠しているのではないかと逆に疑ってしまう。今回日本の問題をオープンに見せてくれたおかげで、自国が抱えている問題を振り返るきっかけとなり、一緒に協力しながら取り組まないといけないことがわかった」
 
自分の短所や負の遺産を直接批判されると、改革派でない限り、傷ついて受けいれたがらないのですが、他人や他国の不正行為を見ることによって自分を正すと自分のプライドを傷つけられることはありません。ただコンゴのように汚職が日常化している国では、「ヨーロッパもやっているのだから、自分たちがやって何が悪い」と汚職を正当化してしまうところもあるのですが。。。
 
それはともかく、資料館で学んだことをどう母国で生かせるかが次の課題となります。そのために研修生だけでなく、私もフォローアップに力を入れなければ!
最近ブログをさぼってしまいました。大学の仕事、JICAの平和構築研修の仕事に加えて、私の著書『世界最悪の紛争「コンゴ」~平和以外に何でもある国』の増刷が決まり、その編集に追われています。この本のタイトルは大変いいと褒められるのですが、かなりマニアックな本で売れるかどうか定かでなかったので、何とも嬉しいニュースです。コンゴ紛争に関心を持って下さった皆様、ありがとうございました!
 
ところで、ブルンジ、コートジボワール、コンゴ民主共和国、ジブチ出身のJICAの研修生との会話の中で、日本の安全保障について考えさせられます。リビア情勢について話していると、「あんな混乱状態を避けた日本は、戦争放棄といういい選択を取った。我々も見習わないと」と憲法9条を高く評価してくれました。今まで国の安全保証のために軍事力が必要だと信じていた研修生から、そのような声を聞くと研修のやりがいを感じます。しかし憲法9条の内容は誇りに持っていても、結局アメリカ軍(基地)を通して日本は間接的に戦争に関与していることになるので、その意味で憲法9条は矛盾しているのですよね。。。いつものことながら、理想と現実の間のギャップを感じます!
 
それにしても日本は本当に米軍基地が必要なのか、我々は真剣に考えないといけません。「(武力で)やられたら(武力で)やり返す」の繰り返しでは、悪循環が続くだけなので、一層のこと米軍基地をなくせばいいと個人的に思っています。皆様はどうお考えでしょうか。
 
また国際社会によるカダフィ氏に対する反応について、研修生とは呆れています。クリントン米国務長官が「カダフィ氏は今、遅滞なく去らねばならない」、またICCはカダフィ大佐側による人道犯罪に当たる可能性があるとしていますが、カダフィ氏以上に人道犯罪、あるいは虐殺行為に近い罪を犯してきたアメリカがそのように主張しても、正直説得力がありません。本当に傲慢な態度ですね!誠実に「有言実行」をしないと、信頼が得られないことを理解しているのでしょうか。国際社会では弱い立場にいるアフリカ諸国の人々とな国際情勢を話していると、本当に勉強になります。
今週から3週間アドバイサーとして、JICAのアフリカ仏語圏平和構築の研修に張り付いています。研修生の国籍はブルンジ、コートジボワール、コンゴ民主共和国、ジブチで7人参加しています。「歴史、行政、国民」の3つのコンセプトで日本の戦後復興の教訓をもとに、母国の平和構築に生かすというのが本研修の目的です。
 
今日午後、弁護士で、伊藤塾の塾長である伊藤真氏を講師として招聘し、「平和憲法と戦後民主主義」というテーマで、法則と規則の違い、法による統治、憲法の基本原理、憲法と法律の違い、平和主義、憲法9条が抱える問題などを話していただきました。
 
伊藤氏は20代の時、「憲法は弱者のためのもの」という憲法の意味が、わからなかったとのことです。なぜかというと、それは自分が強者で多数派にいたからで、弁護士として弱い立場の人と直接触れて、その意味が初めて理解できました。弱い立場の人のことを他人事のように考えるのではなく、彼らと会って、共感することが重要であると強調されていました。
確かに私も学生時代にジャマイカ人の彼と付き合って人種差別された話を聞いていなかったら、また難民の保護活動に関わっていなかったら、憲法の重要さが理解できなかったかもしれません。やはり経験って大事なんですね。
 
伊藤氏の講義を聞くまで、研修生は「日本は中国、アメリカ、ロシア、北朝鮮という軍事大国に囲まれ、いつ攻撃されてもおかしくない。ではなぜ軍隊を持たないのか。アメリカに頼るだけでいいのか。憲法9条を改正しなくていいのか」と9条にかなり疑問を持っていました。しかし伊藤氏の下記のコメントに、研修生の考えは変わったようです。
 
「日本が戦争放棄した理由の一つに、戦争で問題は解決しないことを知り、経済の力をつけて信頼関係を構築して、攻撃されない国を作ることに決めたから。現在多くの日本人が『何かが起きればアメリカが我々を守ってくれるだろう』と考えているが、『どうすれば戦争をなくすことができるだろうか』を考える必要があり。抑止力は武力だけではなく、外交、経済力、文化もある。軍事力を減らすことが重要だ。
中国は軍事力を増しているため、日本にとって脅威だという人が多い。それを言うのなら、アメリカの軍事力の方がもっと強く、日本にとってアメリカが脅威であるべき。第2次大戦後、アメリカは20ヵ国侵略してきたが、日本はアメリカのことを脅威と思っていない。多くの日本人はアメリカと良好な信頼関係を保っていると思っているが、それは幸せな誤解である。国民がどう感じるかが大事で、日本と中国間は市民レベルで良好な関係を保つことが重要である。日本が中国に対して軍事力を持つと、緊張感が生まれるだけ」 
 
現在「1か国、2人の大統領」がいる混乱状態のコートジボワールの参加者は、伊藤氏の講義に感銘を受けたらしく、憲法の定義(国家権力を制限して、国民の権利・自由(人権)を守るもの)に「なかなかいい定義だ」と褒めました。そして「日本を称賛したい。戦争を放棄するなんて、何て賢明な選択であったことか。我々の国は過去10年間戦争し続けている」と言ったのです。きっと戦争を馬鹿馬鹿しく思ったのでしょう。
 
これに対して伊藤氏は「このような憲法を持ち続けたのは、ある意味で奇跡である。こんな国がこの世の中に存在することしていることを知る必要がある。日本は西洋諸国のように軍事大国になった方がいいという議論があるが、この憲法9条を捨てるなんて、もったいない。日本は本当に外圧に弱い」同意です!やられたらリベンジするでは、悪循環が繰り返し、被害者が発生するだけです。これに関しては、いやというほどコンゴで直面しました。非暴力で、国民に優しいこの憲法を、我々はもっと誇りに持たないといけません!
 
別の研修生は「日米安保条約があるとはいえ、日本に米軍基地があることで、かえってテロが起きやすくなるのでは?テロの脅威を強化するのでは?」と質問しました。
確かにその通りです!9/11以降、アメリカ軍は日本の市民に対して武器を向けるようになったとか。こっちが構えると、相手はますます防衛のために武力を増し、それがリスクを招く要因となります。
 
この講義で研修生はかなり軍事力に関して考えさせられたようで、ぜひ平和憲法の思想を母国に持ち帰って、生かしてほしいですね。もちろん我々日本人も、日本国憲法を【再】検証し、日本は将来何をすべきかを積極的に議論する必要があります。
現在リビアでは最高指導者のカダフィ大佐を倒そうと、民主化運動が続いています。ヒューマンライツウォッチによると、既に約300人が政権によって殺害されているとか。チューニジア、エジプトの民主化運動と違って、武力で市民を抑圧するなど暴力的であり、死傷者がどんどん増えるのではないかと心配です。

カダフィ大佐は42年間政権を握ってきた、アフリカ、いや世界を代表する独裁者として有名で、まさかこのように民衆が立ち上がるとは誰も想像しなかったでしょう。世界から悪名を受けていますが、国連総会での彼の演説に関して賞賛するものがあります。

カダフィ大佐は2009年9月の総会で初めて演説したのですが、1カ国15分の規定時間を大幅に超過し、1時間36分にわたって持論を繰り広げました。「安全保障理事会は『テロ理事会』と呼ぶべきだ」と国連憲章を投げ捨てたところが何回もニュースに流れていたのですが、その時実は彼は大変いい内容の演説をしたのです。

「ケネディ大統領、ルムンバ初代首相(コンゴ)、ハマショールド国連事務総長、キング牧師などの暗殺のファイルを、国連総会は開かなければならない。 」

よく言ってくれた!本当にその通りです!歴史の真相を知った上で和解ができ、それによって真の平和構築が実現できると信じる私にとっては、この演説は嬉しいものでした。こんな重要な演説ですが、彼が国際社会の「敵」であるために、当然のことながらユーチューブでしか動画が公開されていません。 
 
リビアでは現在反政府運動のニュースを国内に放映していなく、報道が規制されているとのことですが、上記のカダフィ大佐の演説から見てもわかるように、日本や他の国でもある意味でニュースは「検閲」されているのです!なので我々から積極的に、中立的な情報を探さなくてはなりません。
先日あるプロジェクトの準備のために、東京早稲田にある「女たちの戦争と平和資料館」に行ってきました。小さなところですが、慰安婦に関する資料がたくさんあり、見ごたえはありました。皆さんにもぜひ行くことをお勧めします。
 
http://www.wam-peace.org/jp/index.php
 
上記のプロジェクトは、アフリカ数か国の研修生を呼んで、日本の戦後復興から平和構築を学ぶことを目的とします。日本における有名な平和関係の場所と言えば広島・長崎。しかしアフリカでは紛争・エイズ・貧困はあるものの、原爆は経験したことがないので、広島・長崎では核の怖さ以外に、特に母国へ持ってかえるものはありません。その点、「女たちの戦争と平和資料館」では、日本やアジアで強制的に慰安婦として働かされた女性たち、どこの戦争でも必ず起きる性的暴力、またその加害者を裁かない不処罰文化等に関する資料やパネル、写真があります。性的暴力や不処罰はアフリカでまさに現在起きていることなので、アフリカの人たちも母国の現状と照らし合わせることができます。
 
研修生をこの資料館に連れて行くことを思いついたものの、実は資料館で案内を聞いてから「もしかして逆にマイナス要因が生まれるかも」と恐れていました。ご存じのように、日本政府にとって慰安婦問題はすでに解決されており、2005年以降歴史の教科書から「慰安婦」という単語は消えました。公立の学校で慰安婦問題を取り上げると、「不適格な教員」というレッテルが貼られます。ですから、研修生の中に「日本のように発展している国の政府でも処罰をしなかったので、我々も性的暴力の問題を同様にほっとこう」というマイナスなメッセージを母国に持ってかえる可能性があるからです。しかし資料館の視察後のグループディスカッションにおいて、話の持っていき方次第で処罰の重要さを理解できるかとも思っています。
 
普通日本における外国人研修では、日本のいい所のみ案内する傾向があります。それももちろんいいのですが、私はあえてマイナスな点も見てもらいたいのです。確かに日本は戦後経済成長面では発展しましたが、歴史の負の遺産を抱えながら、慰安婦問題など司法に関することを十分に取り組みませんでした。「平和構築」に関して、単なる開発(=インフラづくり)と国交の正常化等と勘違いしている人がいますが、犠牲者のjusticeの問題を直面しないまま明るい将来はないと思っています。私の今年の決意でもあるPeace with justiceを、研修生に考えるきっかけにもなれば幸いです。
今日改めてカルラ・デル・ポンテ(Carla Del Ponte) さんの”Madame ProsecutorConfrontations with Humanity's Worst Criminals and the Culture of Impunityを読んで、これを新年の決意にしよう!と決めたことがあります(新年というにはちょっと遅いのですが)。カルラさんは旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷ICTY)検事およびルワンダ国際戦犯法廷ICTR)検事で、大変活躍した人。ただしICTRでは、ルワンダ現政権の役人を戦争犯罪人として裁こうとしたところ、カガメ大統領やアメリカ政府の反対にあい、彼女は解雇させられました。こんなに勇敢で犠牲者想いの人がいなくなって、大変残念というか、怒りを感じます。
彼女は以下のことを本に書いています[370ページ]
Peacemaking and nation-building efforts will neither make peace nor build nations unless they include, from their inception, a justice component to prosecute the worst violators of international humanitarian law on all sides, to end the culture of impunity, to make it clear to everyone that no one is above the law. Peacemaking with no justice component practically ensures future conflict.
(国際人道法の最悪な侵害者を裁き、不処罰を止め、また法律の尊重の重要性を理解するという司法部門が最初から含まれないと、平和創造や国造りは実現できない。法の正義がない平和創造は、将来、紛争再燃が予想される)
 
まさにその通り!私もコンゴでの経験を通して、同じようなことをしつこく本や講演などで伝えてきたので、カルラさんの想いはよくわかります。この“peace with justice” の必要性をもっともっと訴え、また私自身真剣に研究しようと思い、それを新年の決意にしました。具体的に何をするかは、今後このブログでお伝えします。
 
それにしても、彼女のドキュメンタリー映画「カルラのリスト」があったなんて、今回初めて知りました。しかし映画の舞台は旧ユーゴだけで、ルワンダがないのが残念です!日本のルワンダへの見方が「ホテルルワンダ」一色なので、違った視点からルワンダを見てほしいのですが。
 
ところで、ルワンの平和構築などに関する日本語の本や論文を読んできましたが、カルラさんの本を引用されたのはほとんど皆無です。そもそもICTRに関して書かれているのもほとんどなし(もし見落としていたら、誰か送ってくださいね)。ということで、早速「有言実行」、取り組みたいと思います!
私が先週まで関わっていた「暴力を平和の空間に変える」のプロジェクトで学んだ「賢明な空間の使い方」について書きたいと思います。
 
もともと家は土壌の上に建てられるもので、1‐2階の低い住宅が横に広がり町ができます。道路を歩けば人々の生活を(時折)身近で見ることができ、水うちなどを通して町内のコミュニケーションや交流ができます。アクセスの目的で造られた道路が、自然とコミュニケーションの場になり、それによってコンフリクトの発生率を防ぐことができます。
 
ところが現在、都市では高層マンションに住む人が増えてきています。住む空間が上に伸びれば伸びるほど、地上にいる人が上に登らない限り、また高層マンションの住民が地上に降りない限り、コミュニケーションが難しくなります。しかしネットなどで買い物や用事が済むので、外出する必要性がなくなり、ますます住民同士のコミュニケーションの機会がなくなります。近所の顔を知らない、ネットや携帯電話でしかコミュニケ―ションができないという状況では、日常生活は普通に過ごせるかもしれませんし、特にコンフリクトも起きないでしょう。しかし地震や洪水などの自然災害の際、住民同士が助けあうことができなく、それによって必要以上に犠牲者がでてくるかもしれません。
 
その上に、高層マンションの高い階には蚊もハエもないため、住民はそのような虫の存在も知らなく、自然との共生ができなくなります。自然を知らない、そして人工的に美しいものにだけ賞賛するという感覚の人が増えることを考えると、大変怖くなります。
 
もし高層マンションの建築がなくなければ、都市化や過疎化といった問題も防げるのではないでしょうか。人口、情報、就職先、モノや空間があまりにも東京の一点に集中している面では、日本は異常です。人間にも環境にも優しい空間の使い方について議論する必要があり、そのために政治的空間(political space)も必要となります。資本主義やグローバル化する中、もう一回これに関して検討する必要はあるのではないでしょうか。
112日から14日まで続いた「アフリカx日本x世界:暴力を平和に変える空間」のプロジェクト(主催:金沢工業大学未来デザイン研究所、助成:国際交流基金)で、メンバーら(建築家・職人、アーテイスト、研究者、新聞記者)と共に京都、石見銀山、篠山(兵庫)、そして横浜に行っていたために、その間このプログを書く余裕がありませんでした。詳細に関しては下記をご参照ください。
http://spacepeace.exblog.jp/
 
私はこのプロジェクトメンバーでながら、また「コンゴ東部に温泉をつくり、そこで紛争の関係者(軍人や権力者)に裸の付き合いをしてもらうことによって、まともな(?)和平交渉ができるのでは」という発想を持っていたものの、「本当に文化や空間が平和をもたらす力があるのだろうか」と多少疑問に持っていました。というのも、文化や空間よりも、紛争の原因を対処しない限り、紛争解決はできないからです。しかし今回のプロジェクトを通して「プロセスややり方によっては、平和の方向に導くことができるかも」という希望が見えてきました。ここでは簡単に、プロジェクトを通して和平会議や真実と和解委員会について考えたことをまとめたいと思います。(他のことに関するアイデアは明日シェアします)
 
紛争国では、当事者や関係者(仲介役、ドナー国、国連、政府の役人など)が集まって和平会議が開かれるのですが、会場は立派なホテルや国際会議場が一般的です。しかし、会場では参加者全員がオープンに話せる雰囲気、また熱い議論でイライラしていても、休憩の時に窓から見える自然で精神的にホッとする、そういう場も必要です。頭が熱くなると、相手の話を聞かずに、自分の言い分だけを押し付けてしまい、敵関係がますます悪化してしまうからです。
 
また紛争が終わった後に、加害者自身が犯した罪など真実を明らかにし、犠牲者との間に和解をもたらせる目的の「真実と和解委員会」があります。しかし、虐殺や戦争犯罪といった重い罪を犯した人ほど、自分の名誉やプライドを傷つけたくないため、真実を人前で告白するのは易しいことではありません。加害者が自分の過去の罪を見直す、あるいは瞑想をするための空間と時間を与えれば、もしかして考え方が変わるかもしれません。
 
和平会議といい、真実と和解委員会といい、実行するための空間は都心よりも、自然の中の方が妥当です。当然のことながら、そこへのアクセスは簡単でなく、時間がない政治家などの紛争・和平交渉関係者にとって非効率的かもしれません。しかしコンゴ紛争のように、和平交渉を繰り返し行なっても紛争が終わることがなく、一般市民がどんどん亡くなっていくことを考えると、この[1回で終わらせたい]和平交渉のために多少時間を割く価値はあるのではないでしょうか。
 
上記に関して意見がある人は、批判も含めて、ぜひぜひ共有して下さい!
昨日に続いて、「平和構築はきれいごとではない」第2弾。不処罰や司法制度などにフォーカスがあてられています。以下「」が相手の方が言ったコメントで、続けて私の意見が書かれています。

「ルワンダでは和解と許しがされた。ガチャチャ(草の根の裁判制度)でそのような行為があった」しかし真実がそもそも明らかになっていないのに(10月1日付けの国連報告書で真実が正式に明らかになったが、ルワンダ政府は否定した)、その次のステップの和解、そして許しは実現できるはずがありません。そのため現在も、ルワンダ人の野党や平和活動家などが現政権と闘っているのです。アムネステイ・インタナショナルもガチャチャの不公平さを指摘し、ルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)も現政権の人は誰一人裁かれていないなど、不合理な点がたくさんあります。

「犠牲者の視点を大切にと言うが、犠牲者が同時に加害者である時もある」確かにルワンダ現政権は両方の面を持っていますが、コンゴ東部の市民に限っては100%ピュアな犠牲者です。
 
「完全にjusticeを解決することはできない。」(私がしつこくjusticeをもっと重視しないと言うと)もちろんそこまで求めていません。例えば2003年にコンゴで真実と和解委員会の話が持ち上げられ、1960年(独立時)から2003年までの犯罪に対して裁こうとし、結局失敗しました。40年以上のスパンで真実を求めるのは非現実です(そもそも多くの証言者が亡くなっている)。しかし最低、最近の主要な戦争犯罪人は裁くことはできるはず。これができない限り、同じ戦争犯罪人が残虐行為を続ける一方です。
 
「しかしあなた一人が頑張っても状況は良くならない」そう、確かに私一人には変革する権力はありません。しかし、最低状況が悪化するのを止めたいと思っています。私や周りの関係者がコンゴ東部でできることは、これくらいの「平和構築」しかないかもしれません。「生命を救う」と同じレベルで、目標は高くないのですがこれが現実です。何とも悲しいことですが。。。
今日ある方(大湖地域を気にかけている方)とコンゴやルワンダの現状についてかなり深い話をし、いい勉強をさせていただきました。

その方は私の本「世界最悪の紛争『コンゴ』」を読んでくださったのですが、「内容がかなり悲観的、本当にコンゴとルワンダには希望がないのか」と早速聞いてきました。「コアな問題である、不処罰(impunity)や司法の問題を多少解決したら、希望は多少見えるだろう」と答えると、納得したようですが、その本人も私と同様に悲観的でありました。

私はコンゴ東部にいた時からこの不処罰の問題が大変気になり、いつも何とかできないものかと考えてきました。その方にも「日本は司法の協力ができないのか」と質問したのですが、「日本人には無理。」とあっさり答えました。「そもそも歴史や政治的背景を知らないまま、技術だけで協力をする。元戦闘員に職業訓練をしても、その元戦闘員がどの民族や背景の持ち主なのか答えられない」

そして続けてこう言いました。

「皆『平和構築』と簡単に言うけど、そんなきれいごとではない。ものすごく難しい。私も正直大湖地域の解決法はわからない」

これには同感しました。私は上記の本や講演などで、その実現の難しさを話してきたのですが、その一方で平和構築が簡単であるふうに語る人たちもおり、彼らは私の考えがネガテイブすぎると思っていたのではないでしょうか。しかし私は現実的(realistic)であるだけ。現場に行かないとわからない問題はたくさんあるのです。

(続きはまた明日)
先週の20日【金】から今日24日(火)まで、広島で平和構築のワークショップに参加し、朝から晩まで豊富なプログラムがあったために、ブログを書く時間もエネルギーもありませんでした。このワークショップは、「平和的手段による紛争転換NGO-トランセンド研究会」が企画し、そのメンバーである奥本京子さん(私の大学の後輩)から声をかけられ参加しました。学んだことはたくさんあるのですが、トランセンドの創設者である、平和学者のヨハン・ガルトゥング博士による講義がワークショップ中何回かあった中で特に興味深かったことを3点つづりたいと思います。

1.ガルトゥング博士が広島の原爆投下のことを「虐殺」だと呼んだこと。ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺後の1948年にジェノサイド条約が定められたのですが、それによると、ジェノサイドは一つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為をさしています。しかし女性や子供を無差別に殺戮した時点で、生殖の強制的な制限を含んでいる(将来の子孫がつくれない)ために、ガルトゥング博士は定義を拡大して虐殺だと呼んでいるのです。(これに関しては近いうちに本が出版される予定) 。なるほど~!ルワンダ虐殺の研究はしていますが、広島・長崎のことを虐殺と呼ぶことがないので、大変新鮮であり、考えさせるきっかけとなりました。

2.人権や民主主義の保障が必ずしも平和をもたらさないこと。その例が、アメリカ、イギリス、イスラエルとオスマン帝国だとか。これらの国々の共通点は「自分が常に正しく、他は間違っている」という信念があり、これらがある限り平和は来ないというのです。自分の国が中心に世界がまわっていると信じ、何か不都合なことがあると他の国々のせいにし、自分たちの行為を反省しないのです。もっと謙虚になり、かつ聞き耳を持たなければなりません。

3.ピース・アクテイビスト等は単に「反戦」「反XX」と唱えるのではなく、反戦の後何をしたいのかを考えた上でいろんな方法で問題解決に向けて提言をしなくてはならないこと。我々は今だけを見過ぎて、将来図、ビジョンや夢を描くことはなく、あまりにも創造生に欠けています。学者は理論的すぎて実用的でない論文を発表して自己満足で終わるのではなく、豊富な知識を活用して紛争解決などに貢献していただきたいですね。

ガルトゥング博士は「アメリカ帝国は滅びる」という題名の本を出版したリ、「米軍基地の撤退が主張できないようでは、日本は独立国家ではなく、侵略されている国家だ」と発言し、過激派だと取る人もいるかもしれませんが、このような意見は社会改革のために必要だと思います。ガルトゥング博士は著書やメデイアを通じてメッセージを発信するだけでなく、演劇(脚本)もつくる予定だとか。今年で80歳になるのに心身ともに若く、刺激を受けました。今回のワークショップに呼んでくれた京子さんに感謝!本当にありがとうございました!
8月6日といえば原爆の日。原爆と言えば、それに含まれていたコンゴ産のウラニウム(80%)。。。。と言うのはコンゴ関係者だけ?現在、資源目当てで中国のアフリカ進出が話題になっていますが、西欧諸国は19世紀末から「アフリカの奪い合い」(Scramble for Africa)のために、アフリカにいます。

それはともかく、今年の原爆の記念式典では、アメリカ大使と国連事務総長が出席し、世界から注目を浴びました。しかし前者はスピーチも献花もせず、式典後さっさと東京に帰り、被害者は「何のために来たのか」「今頃来ても遅い」と憤慨していました。私も失望しました。

原爆は政治の問題なので、いくらオバマ大統領が式典に出席して謝罪をしたいと望んでいても、簡単に実現できないでしょう。しかし原爆から65年たち、被爆者はどんどん亡くなっています。我々が一般的に知っている被爆者は語り部をする人が多いのですが、中には外出も語り部もしない「影の」被爆者もいます。彼らは「気持ち悪い」と周辺から差別され、結婚もできず、一生孤独感を抱えながらひっそり生きています。かわいそうに、親以外に人の愛情もぬくもりもほとんど知らないまま亡くなっていることを想像すると胸が痛くなります。

韓国人の歴史学者ハン・ホング氏が「平和構築の第一歩は他人の痛みを自分のものとして受け止めることから始まる」と述べていましたが、本当にその通りだと思います。平和構築や復興を 「民主主義、インフラ整備、経済成長など」と考える人がいますが、そのような外見的なサービスだけでは、被爆者(被害者)の痛みを取り除くことはできません。私は被爆者のことを詳しくわかりませんが、難民などと話していてそれがよく理解しました。我々はもっともっと被害者の痛みを想像し、彼らのニーズを考えるべきではないでしょうか。
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プロフィール
HN:
米川正子
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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