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コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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1970年代に、当時のザイールのカタンガ州(銅が豊富)に日本の銅山会社が入っていたのですが、その社員と現地の女性の間で生まれた子供たちが、日本人の医務官によって殺されていたとか。今年3月にFrance24というフランスの報道局が、そのような恐ろしいニュースを放映していました。

 
http://www.france24.com/fr/20100316-oublies-katanga

私もコンゴにいた時は、このような子どもたちがいること、そして彼らが日本大使館に行ったのにもかかわらず(何を求めていたかは不明)相手にされていなかったことは聞いていました。でもまさか殺されているなんて!驚きと共にショックでした。本当にそこまでする必要はあったのでしょうか。

これが本当であれば、まさしく「臭い物には蓋をする」ですね。日本政府といい、鉱山会社といい、徹底的に調査をし、きちんと対処してもらいたいものです。

残念ながら、日本のメデイアはほとんど英語圏のニュースしか流さないので、皆さんに伝えるために、友人の坂井真紀子さんに和訳を頼みました。真紀子さん、どうもありがとう!

France 24
Dernière modification : 17/03/2010 

カタンガの忘れられた子供たち
コンゴにはたくさんの混血の子供たちがいる。彼らの父親は東南部のカタンガの鉱山に働きに来た日本人だ。今日、彼らは父親たちを糾弾している。日本に帰る前にすべての痕跡を消し去ろうと、彼らを殺そうとしたことを。私たちのレポーターは彼らの承認を求めて混血児たちに取材をした。
取材:アルノー・ザジマン/マーレーン・ラボー
コンゴの女性たちは自分の混血の子供たちが日本人の父親に計画的に殺されたことを認めている。日本人の父親たちは、70年代にカタンガ州に働きに来た。彼らに対する法的・政治的な対応は、死文化している。
1972から1983年の間、何百人もの日本人労働者が、コンゴの主要な銅山を採掘するため、カスンバレサ鉱山地域(ザンビアとコンゴ東南部の国境地帯)に滞在していた。
1日に5000トンの銅を産出するコンゴの鉱物産業は花形だ。コンゴは世界一の銅産出国なのだ。
だが、イヴォンヌ・カインバとその隣人たちにとっては、この事実は悪しき記憶を呼び覚ますものだ。村の墓地で、彼女たちは、日本人との間にできた子供たちの墓を我々に見せてくれた。彼女たちによれば、父親が日本に帰る前に計画的に殺されたのだそうだ。
「日本の医者が1歳になる私の子に接触してきた。翌日、子供は死亡した。」イヴォンヌはいう。
10人もの女性が同様の証言を私たちに寄せている。その多くはほかにも子供を持つが、日本人との混血児だけが死亡しているという。
彼女たちにとっては、私たちが会うことができたその時代に生まれた日本人との混血児は、生き残りである。
ナンハ・カミサワは、現在地域のトラック運転手を相手に、その魅力で金を稼いでいるが、一目のつかないところに隠されて育てられた。「私たちの祖父母は、町に行くと殺されるよと言っていた。それで私たちは村で育てられた」。
出会った混血児たちはみな村で隠れて育てられ、そのおかげで生き残ることができた。
コウェ・カルベは小さな薬局をやっている。「祖父母は私たちを病院に連れていくのを避けていました。そのおかげで、私たちは死を免れて生き残ることができたのです。」
日本人医師たちは、鉱山の病院を仕切っていた。元看護師で、今は失明しているセバスチャン・カホジ・ムユンバによれば、治療に訪れた日本人との混血児の死亡率は飛びぬけて高かったという。「あまりに死亡率が高いので、どうしてだろうといぶかったものだ。誰かは、日本人は自分たちの混血児をコンゴに置いておきたくないのさ、といっていた。つまり毒殺の疑いがあったんだ。」
工場の規則は厳しかった。日本人労働者は地元の娘たちと付き合うことは禁じられていた。と、当時の工場責任者の一人はいう。
だが、SODIMICO(コンゴ産業・工業振興会)の事務局長マーティン・マジェンデはいう。日本人労働者は中でも美しい女性を見つけては、ベッドに招き入れ一つ屋根の下に住んだ(・・・)。だけど、我々は家族を呼び寄せることはできなかった。
多くの証人と同様、国会での調査活動を推進するモイーズ・ショクウェ代議士も、計画的な児童殺害が行われたと信じている。
在コンゴ民主共和国の日本大使館は、この申し立てを退けた。2007106日、コンゴの外務副大臣はキンシャサの日本大使にあてて、口上書を送ったが、返事はない。FRANCE24の送った質問に対しても同様に、日本大使館は返答を拒否している。
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プロフィール
HN:
米川正子
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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