コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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先日あるプロジェクトの準備のために、東京早稲田にある「女たちの戦争と平和資料館」に行ってきました。小さなところですが、慰安婦に関する資料がたくさんあり、見ごたえはありました。皆さんにもぜひ行くことをお勧めします。
http://www.wam-peace.org/jp/index.php
上記のプロジェクトは、アフリカ数か国の研修生を呼んで、日本の戦後復興から平和構築を学ぶことを目的とします。日本における有名な平和関係の場所と言えば広島・長崎。しかしアフリカでは紛争・エイズ・貧困はあるものの、原爆は経験したことがないので、広島・長崎では核の怖さ以外に、特に母国へ持ってかえるものはありません。その点、「女たちの戦争と平和資料館」では、日本やアジアで強制的に慰安婦として働かされた女性たち、どこの戦争でも必ず起きる性的暴力、またその加害者を裁かない不処罰文化等に関する資料やパネル、写真があります。性的暴力や不処罰はアフリカでまさに現在起きていることなので、アフリカの人たちも母国の現状と照らし合わせることができます。
研修生をこの資料館に連れて行くことを思いついたものの、実は資料館で案内を聞いてから「もしかして逆にマイナス要因が生まれるかも」と恐れていました。ご存じのように、日本政府にとって慰安婦問題はすでに解決されており、2005年以降歴史の教科書から「慰安婦」という単語は消えました。公立の学校で慰安婦問題を取り上げると、「不適格な教員」というレッテルが貼られます。ですから、研修生の中に「日本のように発展している国の政府でも処罰をしなかったので、我々も性的暴力の問題を同様にほっとこう」というマイナスなメッセージを母国に持ってかえる可能性があるからです。しかし資料館の視察後のグループディスカッションにおいて、話の持っていき方次第で処罰の重要さを理解できるかとも思っています。
普通日本における外国人研修では、日本のいい所のみ案内する傾向があります。それももちろんいいのですが、私はあえてマイナスな点も見てもらいたいのです。確かに日本は戦後経済成長面では発展しましたが、歴史の負の遺産を抱えながら、慰安婦問題など司法に関することを十分に取り組みませんでした。「平和構築」に関して、単なる開発(=インフラづくり)と国交の正常化等と勘違いしている人がいますが、犠牲者のjusticeの問題を直面しないまま明るい将来はないと思っています。私の今年の決意でもあるPeace with justiceを、研修生に考えるきっかけにもなれば幸いです。
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プロフィール
HN:
米川正子
HP:
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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