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コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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最近いろんな人と「将来の日本」について話すことがあるのですが、誰もが悲観的です。ある日本人の外交官は「以前は日本人と言えば国際社会からもっと注目してもらえたのに、最近はそうでなくなった」と言い、ある友人によると「20年前日本語を学んだアメリカ人のエリート学生が今、自分の子供二人にチャイニーズスクールに行かせ(サンフランシスコに住んでいるのに!)、その子供とチェコ人の妻との間で交わされる会話は中国語」とか!わお!海外留学経験者、海外青年協力隊や外交官の応募者、また海外赴任者(海外に展開する日本企業自身も減少)数も減少しています。
 
ウィキリークスには日本に関することはほとんど(あるいはなし?)書かれていないのですが、それは政治家がコロコロ変わる日本が世界にとってあまり重要でない証拠だからでしょうか?
 
あと必ず言われるのが、日本が存在感を薄め、反対に中国のプレゼンスが強くなることです。それに危機感を持つ日本人がいるようですが、中国が世界に対して攻撃的になっているというより、単に日本が内向きになっているだけでしょう。
 
経済力があった頃、日本は世界でちやほやされていましたが、それが現在それほどない、しかもリーダーシップも口も発揮できないとなると、相手にされないのは当然でしょう。金はなくてもいいので、せめて「知恵」や「政策」で勝負したいものです。
 
実はアフリカでも同様なことがあって、例えばコンゴは1970年代のモブツ政権時代アフリカの中でも偉大な存在でありました。来日した際に、当時の昭和天皇がわざわざ羽田空港まで出迎えに行ったのですが、現在はコンゴの隣国ルワンダの方が注目を浴びています。「ルワンダはアフリカン・ドリームと言われるね」とあるコンゴ人に言うと、「昔はコンゴだってそういう風に呼ばれていた!」とその人はムッとするのですが、近い将来日中関係も同様に言われるのではないでしょうか。。。。
 
このような不景気な日本ですが、先日広島大学と国連大学が主催した平和構築人材育成事業(外務省後援)で、平和構築と人道支援について講義をさせていただいた時に、勇気づけられました。その講義の研修生は、学生、防衛庁、外務省、文科省、NGO、医療関係者、教員などで、年齢も2060代と幅が広かったのですが、上記の内向きの若者と違って、積極的で士気や好奇心が強い研修生が多くいました。少数派かもしれませんが、私と同じ物好きな人たちがいて嬉しかった!私の講義がどれだけ役にたったかはわかりませんが、ハンガリー精神を忘れずに、思い切って現場に行き、大いに学んでいただきたいものです。Bon courage!(頑張って!)
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プロフィール
HN:
米川正子
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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