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コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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リビアの最高指導者・カダフィ大佐による市民への「虐殺」を、国連安保理などが強く非難していることに関して、2点驚いています。

1点目は、リビアの残虐行為は始まったばかりで、その行為の分析が十分にされないまま、報道者や市民があまりにも簡単に「虐殺」という重い言葉を使用していることです。1994年に起きたルワンダの虐殺の際、国連やアメリカ政府は「虐殺」を正式に使うのに数週間かかりましたし、2004年スーダンのダルフール地方で大量殺害が始まった時にも、アメリカ政府は当初「虐殺だ」と主張しましたが、他の政府や国連機関の長などは「民族浄化(ethnic cleansing)」と呼んでいました。当時私はUNHCR職員でダルフールに出張に行ったのですが、genocideが禁句だという雰意気があったので、”G word”と同僚と話していました。それほど大変デリケートな言葉なのです。リビアではこれだけ軽々しく虐殺が使用されるのは、相手が「国際社会の敵」であるカダフィ大佐だからでしょうか。

虐殺は民族浄化と違って、国際社会は必ず介入する義務があるため、この言葉の使用は大変慎重です。とはいっても、虐殺、民族浄化や大量殺害は簡単に区別できなく、虐殺だから介入する、それ以外はその必要がないという議論は筋が通っていないと思っています。

2点目は、なぜカダフィ大佐だけが非難のターゲットにされるのか、そしてなぜ彼と同様、あるいは彼以上に残酷な行為を自国内外で犯した人たちは非難されないのかということです。非難されるべき人は、ルワンダのカガメ大統領、コンゴのカビラ大統領、ウガンダのムセベニ大統領、エチオピアのメレス首相、またブッシュ、クリントン元大統領やブレイア首相など名前を挙げると、きりがありません。これを考え始めると、いつも呆れ、憤慨してしまいます。

このような「ダブル・スタンダード(二重基準)」は、上記だけでなく、戦争犯罪人を処罰するかしないか、援助が必要とする国に援助するかしないかの議論の際にも起きることです。外部介入のためのガイドラインがつくられている(or 既につくられた?)のですが、結局政治的意思によって、介入の仕方が変わるのですよね。。。このダブル・スタンダードの問題はどのように解決すべきか。あるいは、自然現象(human nature)としてあきらめるべきか。いい知恵がある人はぜひ教えてください!
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プロフィール
HN:
米川正子
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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