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“A Critical Analysis of South Africa’s Peacemaking: How can another deadly conflict in the African Great Lakes region be prevented in the future?”
一応アマゾンでも紹介されました。
http://www.amazon.co.jp/Critical-Analysis-South-African-Peacemaking/dp/3844396489
1990年代から平和構築が注目されていますが、平和構築の前のステップで、かつ平和構築の基礎である平和創造(調停など)を強化することによって、平和構築の安定性が高まります。コンゴにおける南アの平和創造は失敗に終わりましたが、その教訓を生かして、将来紛争を妨げることができるように南アの平和創造を分析をしました。平和創造、平和構築、紛争予防・解決、アフリカ(特に南部アフリカ)の歴史・政治などに関心がある方に読んでいただけたら嬉しいです。
バンコクでは「開発と人権」に関するアジアの人権団体の集まりがあり、私が所属する人権団体から参加させていただきました。またソウルでは、ハーバード大学主催の国際関係のセミナーがあり、私は開発のセッションにて人権とのかかわりについて話す機会をいただきました。9月にも開発と人権に関する海外調査があり、今の私の頭はこの2つのワードで一杯です。もちろん、私の一番の関心分野である、コンゴやルワンダの政情や平和構築について忘れているわけではありませんが、人権や開発の問題とちゃんと向き合わないと、大湖地域には安定が来ないと考えているので、これについて改めて勉強中です。
バンコクでもソウルでもすばらしい関係者(人権活動家、学生、研究員など)に出会い、興味深い議論ができて、いろいろ学ぶことができたのですが、いつも思うのが援助の基本的なことを触れる前に、いきなり「援助の有効性:aid effectiveness」について議論すること。またよく「人権問題は国家主権に干渉するのでは?」という質問をされます。これについては私なりの議論があるのですが、9月下旬に宇都宮大学等主催の国際キャリア合宿セミナーにて、まさしくこのトピックを取り上げるので、ここでは触れないことにしますね。
「開発と人権」は日本ではあまり研究されておらず、私自身もまだまだ学ばないといけないことがたくさんあるのですが、もし面白そうな本がありましたら、紹介して下さいね!
(それと並行に、東日本大震災関連のプロジェクトにもかかわっていて、その一環として、現在ザンビアに向かっているところです。日本では災害後に必ず、孤独死や自殺があるのですが、アフリカではコミュニティーの団結力があるために、そのようなことはなく、その知恵をザンビアのコミュニティーから学ぶ予定です)
今Peter Uvinの"Human Rights and Development"という本を読んでいるのですが、ますます開発機関やNGOも人権保障のレンズから事業を取組む必要があるなと実感しています。開発機関だから、開発のプロジェクトのみを実施すればいいというものではなく、少しでも持続的な開発を目指すためにも、rights-based approachを入れたり、政策提言もすべきなんですね。現場における開発機関のプレゼンスは高く、いろんな情報収集もできるので(もちろん強い意志があればの話ですが)、それを上手に活用すれば、現場に強い影響も与えることができます。
開発NGOのオックスファム(OXFAM)が7月28日に、コンゴにおける市民の保護の欠乏に関する報告書を公表しましたので、ぜひ読んでください。
http://www.oxfam.org.uk/resources/policy/conflict_disasters/entirely-exploitable-protection-civilians-drc.html
オックスファムといえば、10年以上前は、水のタンク作りの専門家というイメージがあったのですが、最近は政策提言にも活発で、上記の報告書も最近毎年公表しています。私が2007-8年、コンゴ東部にいた際にも、市民の保護に関して活動的で、私も大いに助けてもらいました。そのオックスファムは日本では政策提言しているのでしょうか。私が知らないだけだったら、ごめんなさい。。。。
この合宿セミナーの主催は宇都宮大学などで、会場は栃木県ですが(「昭和ふるさと村」という廃校になった小学校を改装したものですが、ここがまた素敵です。昭和時代の学校給食が食べることができたりー予約制ー、昭和時代のおもちゃや小道具などが掲示されています!)、全国からの学生が来るし、分科会の講師も魅力的な方ばかりなので、彼らから刺激を受けることは間違いなし。もちろん、合宿の内容も充実しているので、来て後悔することはありません。
東日本大震災を受けて、今年の合宿セミナーでは、自然エネルギーや災害地でのボランテイアを扱った分科会を用意しています。あと日本ではほとんど取り上げられない、ルワンダ国際刑事裁判など国際司法に関する分科会もありますので、お見逃しなく!
私も英語IIの合宿セミナーの講師として、「開発と人権」の分科会を担当します。開発問題を人権の観点から見ることは稀で、貴重な機会だと思うので、ぜひ参加してくださいね。英語に多少自信がなくても大丈夫。度胸と愛嬌で乗り越えましょう!
詳細に関しては下記まで。
http://www.kokusai.utsunomiya-u.ac.jp/career-program/
皆さんの応募をお待ちしています。
「タイガーマスク運動」を通して、支援について考える~長期的な視点で問題を見る重要さ
2010年12月以降、日本全国の児童施設へ寄付をした「タイガーマスク運動」は、大きな話題としてメディアで取り上げられた。「日本も捨てたものではない」「素晴らしい行動」と称賛する声があがったが、本当にそうなのだろうか。
私は13年間にわたって、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員や国連ボランテイアとして、タンザ二ア、ルワンダ、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、チャド、スーダン、インドネシア、ハイチで、難民、国内避難民、被災民への支援や保護に関わったのだが、そこで人道・緊急支援の問題に何度も直面した。その現場での教訓を「タイガ―マスク運動」の例に照らし合わせながら、支援の在り方について考えたい。
「タイガーマスク運動」が始まった際に、ランドセルが寄贈された児童施設の最初のコメントは感激を表すものではなく、「気持ちは嬉しいが、事前に相談してくださればよかったのに」という内容であった。この言葉は注目を浴びることはなかったが、この気持ちを痛いほど理解できた。現場で支援の難しさを実感したからである。
その例をいくつか挙げてみよう。インド洋大津波後、さまざまな援助物資がインドネシアに届けられたのにもかかわらず、物資の中には下着は一枚も含まれていなく、特に生理時の女性の被災民が大変困ったこと。人道支援が長年続いているところでは、人々に依存心が生まれ、かえって人をダメにしてしまうこと。コンゴ民主共和国東部のように紛争・無政府・無秩序な地域において、援助物資が国内避難民に渡されても、即軍人によって略奪され、「物資はありがたいが、また軍人に嫌がらせをされるので、もう持ってこないで」と国内避難民に言われたこと。そのような場所において、被害者が欲しいものはモノや食べ物でなく、「安全」であり、かつ恐怖心をもつことなく歩き回ったり、畑仕事ができる「自由さ」であること。そして、その安全や自由の保障は国連平和維持活動(PKO)の派遣や現地の警察の訓練によってだけではなく、戦争の加害者を公平に処罰することで実現できることなど。
このように支援対象者の本当のニーズを把握しないまま、各国政府、国際機関やNGOなどの国際社会は、自分たちの行為や存在意義を正当化したり、美化したり、自己満足しながら、どれだけ一方的に支援してきたことか。そして支援のニーズに関して誤解があったために、多くの支援がどれだけ無駄になったことか。その証拠に、過去50年にわたって、貧困や紛争などの不安定な状態をなくすために、国際社会はアフリカやアジアの諸国に対してさまざまな「努力」をしてきたが、地域によっては貧富の格差が拡大したり、紛争がグローバル化や長期化するなど手に負えなくなっている。私もおそらく支援機関の一員として、支援対象者に対して、「日本や西洋諸国が考える正しい支援」を押し付けるなど無意識に傲慢な態度をとっていたかもしれない。
当然だが、支援とプレゼントは全く違う。後者の場合、既に知っている相手に渡すことが多いので、相手の好みや好きなものを選ぶ。そして感謝されることがほとんどだ。しかし支援は、知らない相手に送ることが多いため、相手のニーズを事前に十分調査をする必要がある。安っぽい好意と思いこみだけでは高い質の援助はできなく、感謝されるどころか、上記のように相手に迷惑をかけたり混乱をもたらすことがあるため、注意を要する。
残念ながら、「タイガーマスク運動」のその後に関する報道がないため、寄贈されたランドセルの成り行きはわからないが、それについて自分の経験をもとにいろいろと想像してみた。ランドセルは食べ物と違って、一つのものを人数分分けることができなく、一人一つずつ配布される。寄贈されたランドセルが児童の人数分がない場合、児童施設はどうするのだろうか。不足分を新たに購入するかもしれないが、その場合予算上中古品しか購入できないかもしれない。そうすると、寄贈のランドセルはおそらく新品であるため、生徒の中に新品と中古品のランドセルをもらう子供が出てくる。そうしたら、新品の子と中古品の子はそれぞれ優越感と劣等感を持ち始め、いじめの関係が形成されるかもしれない。そもそも児童施設は、ランドセルより布団が欲しかったかもしれない。また翌年タイガーマスクによるプレゼントがなかった場合、児童施設はどうするのだろうか。あるいは最悪の場合、児童施設の職員はそのランドセルを売って、それを自分の小遣いにするかもしれない。。。このように想像すると、きりがない。
このように単にカネやモノを寄付する、あるいは仮設住宅のようなキャンプを建てて国内避難民や難民に住ませることは、その手段さえあれば大変簡単な方法である。しかし、これらはバンドエイドのような「手当」であり、一時的な処置でしかすぎない。貧困や紛争問題の解決のためには、その原因や要因に適切に対処することが求められ、それが長期的に見ると予防策ともなる。リーダーシップ、交渉力、知恵や辛抱強さなど要するため、実現は易しくないが、問題解決する可能性は前者の短期的方法に比べると倍増する。
「タイガーマスク運動」も、「そもそもなぜ児童施設が存在するのだろうか。なぜそこで支援が必要なのだろうか」と疑問をもつことから問題解決策は探れる。親の死によって孤児となった子供が児童施設に引き取られる場合は避けられないだろう。しかし、親による虐待から逃亡するために子供が児童施設に行くケースが近年増えており、このような虐待の予防は可能なはずだ。同じ金を使うのなら、ランドセルを購入するのではなく、虐待を減らし、また個人が家族やコミュ二ティーを大切にする社会づくりの啓蒙活動や取り組みに注いだ方が効果的であろう。
http://www.newtimes.co.rw/index.php?issue=14674&article=42808
それにしても「戦争犯罪人」とスペイン政府などから起訴され、重大な人権侵害を犯しながら(このブログで何回も書いているので、ここではあえて書かないが)、なぜ「人道賞」なのか、理解できません。2003年以降、カガメ大統領は20以上の賞を受賞しているのですが(その中には、クリントン元大統領からのGlobal Citizen賞も含まれる)、チェロ基金をはじめ多くのドナー国やメデイアは、ルワンダで何が起きているのかわかっているのでしょうか。あるいはわかっていても関心がないので無視しているのか、それとも単にアフリカの「サクセス・ストーリー」を作りたいのか。キニャルワンダ語がわからない、フツでもツチでもトゥワでもない外国人にとってルワンダは平和で安定しているように見えても、ルワンダの一般市民にとってその反対であります。
ルワンダ人による、ルワンダの負の遺産について知りたい人は、ジョセフ・セバレンジ氏の著書『神はルワンダで眠る』”God Sleeps in Rwanda"(2009年)をお勧めします。『生かされて』などルワンダ虐殺の生存者の本はたくさんあるのですが、セバレンジ氏は生存者である上に、ルワンダの現政権やカガメ大統領の独裁主義を強く批判し、真の和解を訴えています。彼は1997-2000年まで国会の議長として(ルワンダでは大統領、副大統領に次いで3番目の権力者)国の改革に従事したのですが、しょっちゅう当時のカガメ副大統領と衝突し彼に睨まれたために、暗殺のターゲットとなりアメリカに亡命したのです。
http://www.josephsebarenzi.com/book
この本を読むと、カガメ大統領とルワンダ現政権の人権侵害・独裁と一般的なイメージの矛盾、そして「人道賞」が冗談であるかがわかるでしょう。
公開講座は通訳なしで行われ、学生自ら英語で司会をし、そして英語で議論や質疑応答を行います。学生の努力の成果をぜひご覧ください!
http://www.thenews.com.pk/TodaysPrintDetail.aspx?ID=53557&Cat=2&dt=6/20/2011
実は10年ほど前に南アPKO軍がコンゴに展開中に同様なことをし、世界中のメデイアから非難を浴びコンゴから撤退しました(しかし2008年から少数ながらも戻っていきたが)。私はその時に現地にいなかったのですが、コンゴ人の同僚から「南ア人はすぐにスワヒリ語を習得し(ズールー語に似ているらしい)、現地の女性とイチャイチャしていて、夜の活動は本当にすごかった」と何度も聞かされました。ひっそりというより、かなり派手に楽しんでいたようです。
インド軍に関しては、ある軍人によると「彼らは黒人に対して人種差別感があり、南ア人と違ってコンゴ社会に溶け込んでいないので、そんな心配はないだろう」ということでしたが、残念ながらどこの国の人間であろうと男性のメンタリティーは同じ。とうとう犠牲者が現れたかーとショックを受けました。
南ア人(黒人)との子供ならまだしも(という言い方は変ですが)、インド系なら目立ってコミュティーから差別される可能性もあります。以前このブログに、「日系コンゴ人」の子供について紹介したことがありますが(彼らが「日本人の医者によって」殺されている)、同じようにターゲットにならなければいいのですが。
このような問題はどこの社会でもあるとはいえ、どうすればいいのでしょうか。貧困が続き、軍人ー市民という権力構造があり、武器が存在し、腐ったガバナンスがあり、また男女が存在する限り、仕方がない問題としてあきらめるべきでしょうか。だれかいい知恵があれば教えてください。
私が日頃からお世話になっているNPO法人テラ・ルネッサンスが、子ども兵問題について考えるシンポジウムを開催します。このシンポジウムは2つの意味で大変貴重な機会だと思います。
まず、子ども兵を扱っている日本のNGO/NPOは稀であるため(あるいはテラ・ルネッサンス以外はないかも?)、生の情報が収集できること。そして2つ目はウガンダ北部は、いろんな機関が「平和構築」活動のために介入しており、注目を浴びていること。一見落ち着いているように見えて、実は20年以上活動し続ける反政府勢力LRA(神の抵抗軍)が、単にウガンダからコンゴ北部、中央アフリカ共和国、スーダンに散らばっているだけで、実はウガンダはまだ紛争の構造が残っているんですね。ルワンダも反政府勢力がコンゴ東部に17年間いるので、同様の構造があることになります。LRAがウガンダに戻ってくる可能性はどれくらいあるのかわかりませんが、こんな不安定な状態を「平和構築」と幻想のように呼んでいるから、数(十)年後紛争が再燃しても不思議ではないですよね。
拠出国はそれを知っていても、知らないふりをして、ウガンダとルワンダのリーダーシップを称賛する。。。。そしてなぜコンゴって、このような隣国の反政府勢力まで「ホスト」してしまうか。。。。あまり日本では知られていないのですが、コンゴにあるウガンダ反政府勢力はLRA以外に、もう一つADF-NALUがあります。このような問いを言い出すと、きりがないので今日はここで止めますが、こういったことをどんどんシンポジウムで突っ込んで議論してください。特に学生は参加してください。
~紛争の背景と問題解決に向けての課題~
ウガンダ北部では1986年以降続く、政府軍と反政府軍(神の抵抗軍)との戦いで、
6万6千人の子どもたちが強制的に兵士として戦わされてきました(ウガンダ政府発表)。
テラ・ルネッサンスでは、グル市を拠点に2005年から
元子ども兵の社会復帰支援事業を実施し、
129名の元子ども兵の支援活動を行ってきました。
本シンポジウムでは、当会元ウガンダ事務所駐在代表、ジャーナリスト、学識者など
多方面からの論客を交え、ウガンダ北部の紛争の背景と要因、
そして子ども兵問題解決に向けての課題について考えていきます。
【日時】
6月25日(土) 14:00-16:30(開場:13:30)
【場所】
拓殖大学文京キャンパスC館401教室 (〒112-8585 東京都文京区小日向3-4-14)
アクセス:東京メトロ 丸の内線 茗荷谷駅下車 徒歩3分
拓殖大学文京キャンパス:http://www.takushoku-u.ac.jp/map/acc_b.html
文京キャンパスマップ:http://www.takushoku-u.ac.jp/map/map_b.html
【参加費】
無料 (事前申し込み制・先着順)
【定員】
300名
【プログラム】
第1部:ウガンダ北部における元子ども兵社会復帰支援事業報告
(報告者:テラ・ルネッサンス理事長 小川真吾)
第2部:パネルディスカッション ~ウガンダ北部の紛争と子ども兵問題解決への課題~
○コーディネーター:鬼丸昌也(テラ・ルネッサンス創設者)
○パネラー:
佐藤丙午氏(拓殖大学海外事情研究所 教授)
榎本珠良氏(東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム)
下村靖樹氏(フリージャーナリスト)
小川真吾(テラ・ルネッサンス理事長、前ウガンダ事務所駐在代表)
【主催】
特定非営利活動法人 テラ・ルネッサンス
【共催】
拓殖大学海外事情研究所
【お申込み】
下記、フォームよりお申込みください。
http://www.terra-r.jp/contents/?blogid=12&catid=48&itemid=215
実は11日にルワンダのカガメ大統領がシカゴを訪れたのですが、現地にいる反カガメ大統領のルワンダ人やコンゴ人が大きなデモを行なったとのことです。「カガメ大統領、殺害をやめろ」という看板を持ちながら。
http://sfbayview.com/2011/kagame-stop-killing-rwandan-and-congolese-protest-rwandas-president-in-chicago/
そもそも日本人の中には、難民のことを「かわいそうな人々」「だけど強く生きている」というイメージを抱いている人が多いような気がします。しかし、福島の被災民のことを同じように呼んでも、彼らは嬉しくないでしょう。誰も好きで難民や被災民になったわけではありませんので、当然です。そんな(安っぽい)同情よりも、被災民や難民が自分の土地に安心して戻ることが出来るように、我々が政策提言した方がいいと思っているでしょう(反原発や自然エネルギーへの転換、政府に暴力を止めるように訴えるなど)。
何かごちゃごちゃ書いてしまいましたが、私はルワンダとコンゴの両国にいた経験があり、現地の表も裏の世界をある程度知っているので、(当然現地の人を代表して話はできませんが)両国の現実について市民にもっと伝え続けたいと思います。そして皆さんと共に、長期的な問題解決も探したい。。。しかしこれが簡単に見つからない。。。だれかいい知恵をください!
しかしその反面、ルワンダは人権に関する負の遺産を抱えていることは忘れてはなりません。当然どの国も長所と短所がありますが、ルワンダの評判は本当に両極端に分かれます。「国境なき軍隊」(コンゴとの国境を無視して、ルワンダ国軍がコンゴに越境して資源を略奪したり、コンゴを占領しているという意味)「報道の自由の略奪者(カガメ大統領)」「1996-7年、ルワンダ国軍がコンゴ東部に侵攻した際に、虐殺(に値する行為)に関与した(当時のカガメは副大統領・防衛大臣であった)などひどいものばかり。
そう、ルワンダ現政権は経済面で成功しているのですが、人権の面ではかなりの加害者であるのです!市民や犠牲者の痛みを無視して、国は果たして発展できるのでしょうか。 一昨日から”Remaking Rwanda: State Building and Human Rights after Mass Violence”(University of Wisconsin, 2011)という本を読んでいるのですが、まさに私の上記の問いを分析しています。ルワンダの違った側面を知りたい人はぜひ読んでください! http://globaltj.wordpress.com/2011/05/09/remaking-rwanda-essential-contribution-to-the-study-of-transitional-justice-and-post-conflict-recovery/
また12日(日)18:30-20:30に京都で、「虐殺後のルワンダはどう変わったのか~真実、開発と人権について考える」という講演を行います(ルワンダの学校を支援する会主催)。ルワンダの真実、開発と人権の3点に関して聞く機会は(少なくとも日本においては)ほぼゼロに近いので、貴重な講演になると一人で勝手に思っています。関心があれば、ぜひ聞きに来てください。詳細に関しては↓ http://osuke.jimdo.com/
①HRNのメンバーの多くは弁護士でありますが、弁護士が司法相談のためにいきなり避難所に行っても、被災者はなかなか来ないとのこと。何事も訴訟をするアメリカと違って、日本では「特別な重要な相談」がない限り、弁護士に相談することは稀なので、市民との間に距離感があるのですね。その距離感を縮めるために、弁護士の中に紙芝居を使って法律について分かりやすく説明したり、ハンドマッサージをしてから被災者の相談にのる人がいました。
私もアフリカの難民・国内避難民キャンプで働いていた時、難民と難民に支援・保護(の手伝い)をする側の間には、距離感があることに気が付きました。支援する側が外国人であれば、なおさらのことです。キャンプ内にある事務所で難民が来るのを待つのではなく、なるべくキャンプ内を歩き回り、彼らの生活を観察したり、食事をともにしながら難民の問題について理解しようと努力しました。保健でも、病院や保健所で患者を待つのではなく、医者や保健ワーカーがコミュニティーに出向かなければ、保健に関する実態はわかりません。そう、このoutreach(出張サービス)をすることで、かなり問題の全体図が把握でき、また問題解決にもつながる可能性が高くなります。
②マッサージは単に「ぜいたく品」ではなく、精神的にかなりリラックスするなど、効果が高いことは皆さんも知っているかと思います。①のハンドマッサージをしている弁護士は、マッサージをされた被災者の大人が自分から悩みを話しだしたこと、また子供もハンドマッサージを受けながらも、学校での悩みについて打ち明けたと言っていました。大震災後に離婚相談をする被災者が増え、それは夫婦間の価値観の違いに気付いたからとか、相手に失望したからという理由からであるのですが、もしかして、中には夫婦間のコミュニケーション不足の問題もあるかもしれません。夫婦間でマッサージをしながら、その日にあった出来事や悩みを共有することによって、仲が取り戻せるのではないでしょうか。もちろん大震災・原発メルトダウンという異常なことが起きたので、そう簡単には3/11前の生活に戻すことはできないでしょうが、トライする価値はあると思います。
学生のみなさん、視野を広めるために、日本語の本だなく、外国語の本も読んでください!
ところで、5月31日19:00-21:00にNGO ヒューマンライツナウ主催の「東日本大震災:人権の視点から見た被災地~現地調査報告会」が青山学院大学で開催されます。私も調査に参加したので、女性の人権について話をします。被災地の問題を人権の観点から取り上げる団体はあまりないため、この報告会はそういう意味で貴重だと思います。関心があれば、ぜひ聞きに来てください。詳細に関しては、下記まで。
http://hrn.or.jp/activity/topic/531-1/
RPFによる最初の人権侵害は、1990年に遡る。当時ルワンダの反政府勢力であったRPFが、ウガンダからルワンダに攻め込んだ時である。その後ルワンダは内戦状態になり、1993年2月にはRPFによる攻撃で80万人以上の国内避難民が発生した。そして虐殺が起きた1994年4月から7月にかけて、フツ過激派によるツチを中心とする虐殺は約80万人に上るとされるが、一方でRPFも虐殺に関与し、ある地域では約2~4万人の市民を殺害したという(UNHCR[Gersony Report]1994)。ルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)の分析によると、虐殺におけるフツの犠牲者はツチのそれの2倍であった。RPF政権は1996年と1998年の2回、ルワンダ国軍を派兵して隣国のコンゴを侵攻し、かつ侵略した。ルワンダ虐殺首謀者はコンゴに逃げ込みRPFを襲撃したので、侵攻行為は自国の防衛のためであったとRPFは正当化した。しかし、真の目的はコンゴにおける資源の確保であったとされる(UN, S/2002/1146, para65)。
RPF政権による犠牲者は、一般市民に限ったことではない。1995年から2011年2月現在までルワンダ人、外国人に関わらず、RPFに批判的である政治家、外交官、軍人、司法関係者、メデイア、国連、NGO、市民団体や宗教団体とその職員は、RPFによって逮捕、脅迫、国外追放、失踪、投獄、暗殺の対象者になったり、あるいは亡命した。その数は少なくとも計91人、66団体にのぼる(2010年は26人)。2004年から2010年にはカガメ大統領の元側近であった離反者5人も不当に逮捕されたり、暗殺未遂にあった。野党もRPFによって抑圧されたために、2003年と2010年の大統領選挙でカガメ大統領が圧勝した。表現の自由も政治的空間も閉鎖されている。
2008年には「虐殺イデオロギー」法が採択された。1990-4年の内戦や虐殺中にツチだけでなくフツも犠牲になったことを示唆する、あるいはRPFを戦争犯罪人として裁判を求めることを禁じるなど、RPF批判の封じ込めを合法化した。この法律は虐殺の再発予防のためだとされるが、RPFの戦争犯罪人を守ることが目的とされる。世界唯一ルワンダにしか存在しないこの法律は、国際人権法に適しないために、人権団体から非難されている(Amnesty International、”Safer to Stay Silent,”2010等)
RPF政権による人権侵害に対して、国際社会はさまざまな試みを図ったが、進展はない。例えば、2002年ICTRはRPFの虐殺容疑者を起訴したが、当時のICTR検事が国連によって解雇され、それ以降RPFは起訴されていない。フランス政府は2006年、虐殺直前に起きた飛行機の撃墜に関与していたRPF9人を起訴し、またスペイン政府は2008年、ルワンダとコンゴにおける人道に対する罪を犯した、カガメ大統領を含むRPF高官40人を起訴した。しかし未だにRPFからは誰一人逮捕されていない。
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過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。