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コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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ここんところバタバタしていて、ブログに載せるのが遅くなりましたが、私の本が6月に出版されましたので、お知らせします。これは修論を更新したもので、題名は 

“A Critical Analysis of South Africa’s Peacemaking: How can another deadly conflict in the African Great Lakes region be prevented in the future?”

一応アマゾンでも紹介されました。
http://www.amazon.co.jp/Critical-Analysis-South-African-Peacemaking/dp/3844396489

1990年代から平和構築が注目されていますが、平和構築の前のステップで、かつ平和構築の基礎である平和創造(調停など)を強化することによって、平和構築の安定性が高まります。コンゴにおける南アの平和創造は失敗に終わりましたが、その教訓を生かして、将来紛争を妨げることができるように南アの平和創造を分析をしました。平和創造、平和構築、紛争予防・解決、アフリカ(特に南部アフリカ)の歴史・政治などに関心がある方に読んでいただけたら嬉しいです。
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昨夜バンコクーソウルの1週間の出張から帰国しました。その前もザンビアに2週間いたので、3週間日本にいなく、その間このブログもサボってしまいました。

バンコクでは「開発と人権」に関するアジアの人権団体の集まりがあり、私が所属する人権団体から参加させていただきました。またソウルでは、ハーバード大学主催の国際関係のセミナーがあり、私は開発のセッションにて人権とのかかわりについて話す機会をいただきました。9月にも開発と人権に関する海外調査があり、今の私の頭はこの2つのワードで一杯です。もちろん、私の一番の関心分野である、コンゴやルワンダの政情や平和構築について忘れているわけではありませんが、人権や開発の問題とちゃんと向き合わないと、大湖地域には安定が来ないと考えているので、これについて改めて勉強中です。

バンコクでもソウルでもすばらしい関係者(人権活動家、学生、研究員など)に出会い、興味深い議論ができて、いろいろ学ぶことができたのですが、いつも思うのが援助の基本的なことを触れる前に、いきなり「援助の有効性:aid effectiveness」について議論すること。またよく「人権問題は国家主権に干渉するのでは?」という質問をされます。これについては私なりの議論があるのですが、9月下旬に宇都宮大学等主催の国際キャリア合宿セミナーにて、まさしくこのトピックを取り上げるので、ここでは触れないことにしますね。

「開発と人権」は日本ではあまり研究されておらず、私自身もまだまだ学ばないといけないことがたくさんあるのですが、もし面白そうな本がありましたら、紹介して下さいね!

最近すっかりブログをさぼってしまいました。。。。この9月に宇都宮大学等主催の「英語で学ぶ国際キャリア合宿セミナー」で、私は「開発と人権」という分科会を担当し、かつ同じテーマで他の企画にも関与することにもなり、その勉強・準備で忙しくしています。

(それと並行に、東日本大震災関連のプロジェクトにもかかわっていて、その一環として、現在ザンビアに向かっているところです。日本では災害後に必ず、孤独死や自殺があるのですが、アフリカではコミュニティーの団結力があるために、そのようなことはなく、その知恵をザンビアのコミュニティーから学ぶ予定です)

今Peter Uvinの"Human Rights and Development"という本を読んでいるのですが、ますます開発機関やNGOも人権保障のレンズから事業を取組む必要があるなと実感しています。開発機関だから、開発のプロジェクトのみを実施すればいいというものではなく、少しでも持続的な開発を目指すためにも、rights-based approachを入れたり、政策提言もすべきなんですね。現場における開発機関のプレゼンスは高く、いろんな情報収集もできるので(もちろん強い意志があればの話ですが)、それを上手に活用すれば、現場に強い影響も与えることができます。

開発NGOのオックスファム(OXFAM)が7月28日に、コンゴにおける市民の保護の欠乏に関する報告書を公表しましたので、ぜひ読んでください。

http://www.oxfam.org.uk/resources/policy/conflict_disasters/entirely-exploitable-protection-civilians-drc.html

オックスファムといえば、10年以上前は、水のタンク作りの専門家というイメージがあったのですが、最近は政策提言にも活発で、上記の報告書も最近毎年公表しています。私が2007-8年、コンゴ東部にいた際にも、市民の保護に関して活動的で、私も大いに助けてもらいました。そのオックスファムは日本では政策提言しているのでしょうか。私が知らないだけだったら、ごめんなさい。。。。
今日仙台にて、コンゴの紛争に関する講演をしました。そこで「我々がいくら紛争の犠牲者に支援をしても、戦争犯罪人や加害者が処罰されない限り、コンゴには平和は来ない。その不処罰文化を絶つ必要があるがある」と申し上げました。この「不処罰」という言葉を初めて聞いた参加者が何人かおり、それが大変新鮮だったようです。
 
現在の原発問題を見ても、不処罰は起きています。いくら福島の被災者に援助物資を送っても、「がんばろう日本!がんばろう福島!」の声をかけても、原発責任者(=犯罪人)を適切に対処しない限り、また原発の解決法を探らない限り、被災者の状況は一向に改善されません。それどころか、既に状況は悪化しており、福島県民の市民はノイローゼになるほど参っています。コンゴ東部の人々と同じ状況です。
 
フリージャーナリストの上杉隆さんが繰り返し言っていますが、3・11以降、自殺者などを含め多くの犠牲者が出たにもかかわらず、誰一人逮捕されていないのはおかしいと思いませんか。この「不処罰文化」はコンゴのような「脆弱国家」「失敗国家」「腐った国家」や紛争状況のみだけでなく、日本でも起きているのです。まあ、日本もある意味では「脆弱国家」とも言えるし、福島の状況を「(武装化されていない)紛争」とも呼べるでしょう。我々市民は、もっとこの処罰問題に真剣に取り組むべきでしょう。
この9月2-5日に国際キャリア基礎合宿セミナーが、そして9月23-25日に英語キャリアセミナー(I/II)が開催されます。将来グローバルマインドを持って、国際協力や国際ビジネスなどの分野で働きたい、あるいは関心はあるけど具体的に何をすればいいか迷っている学生、ぜひこの合宿セミナーに来てください。高校生も歓迎です!

この合宿セミナーの主催は宇都宮大学などで、会場は栃木県ですが(「昭和ふるさと村」という廃校になった小学校を改装したものですが、ここがまた素敵です。昭和時代の学校給食が食べることができたりー予約制ー、昭和時代のおもちゃや小道具などが掲示されています!)、全国からの学生が来るし、分科会の講師も魅力的な方ばかりなので、彼らから刺激を受けることは間違いなし。もちろん、合宿の内容も充実しているので、来て後悔することはありません。

東日本大震災を受けて、今年の合宿セミナーでは、自然エネルギーや災害地でのボランテイアを扱った分科会を用意しています。あと日本ではほとんど取り上げられない、ルワンダ国際刑事裁判など国際司法に関する分科会もありますので、お見逃しなく!

私も英語IIの合宿セミナーの講師として、「開発と人権」の分科会を担当します。開発問題を人権の観点から見ることは稀で、貴重な機会だと思うので、ぜひ参加してくださいね。英語に多少自信がなくても大丈夫。度胸と愛嬌で乗り越えましょう!

詳細に関しては下記まで。
http://www.kokusai.utsunomiya-u.ac.jp/career-program/

皆さんの応募をお待ちしています。
2011年5月の冊子「ロータリーの友」に私の原稿が載りましたので、皆さんと共有いたします。支援活動にかかわっている人はぜひ読んでいただきたいです。批判も含めて、コメントをお待ちしています。

「タイガーマスク運動」を通して、支援について考える~長期的な視点で問題を見る重要さ

2010
年12月以降、日本全国の児童施設へ寄付をした「タイガーマスク運動」は、大きな話題としてメディアで取り上げられた。「日本も捨てたものではない」「素晴らしい行動」と称賛する声があがったが、本当にそうなのだろうか。

私は13年間にわたって、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員や国連ボランテイアとして、タンザ二ア、ルワンダ、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、チャド、スーダン、インドネシア、ハイチで、難民、国内避難民、被災民への支援や保護に関わったのだが、そこで人道・緊急支援の問題に何度も直面した。その現場での教訓を「タイガ―マスク運動」の例に照らし合わせながら、支援の在り方について考えたい。

「タイガーマスク運動」が始まった際に、ランドセルが寄贈された児童施設の最初のコメントは感激を表すものではなく、「気持ちは嬉しいが、事前に相談してくださればよかったのに」という内容であった。この言葉は注目を浴びることはなかったが、この気持ちを痛いほど理解できた。現場で支援の難しさを実感したからである。

その例をいくつか挙げてみよう。インド洋大津波後、さまざまな援助物資がインドネシアに届けられたのにもかかわらず、物資の中には下着は一枚も含まれていなく、特に生理時の女性の被災民が大変困ったこと。人道支援が長年続いているところでは、人々に依存心が生まれ、かえって人をダメにしてしまうこと。コンゴ民主共和国東部のように紛争・無政府・無秩序な地域において、援助物資が国内避難民に渡されても、即軍人によって略奪され、「物資はありがたいが、また軍人に嫌がらせをされるので、もう持ってこないで」と国内避難民に言われたこと。そのような場所において、被害者が欲しいものはモノや食べ物でなく、「安全」であり、かつ恐怖心をもつことなく歩き回ったり、畑仕事ができる「自由さ」であること。そして、その安全や自由の保障は国連平和維持活動(PKO)の派遣や現地の警察の訓練によってだけではなく、戦争の加害者を公平に処罰することで実現できることなど。

このように支援対象者の本当のニーズを把握しないまま、各国政府、国際機関やNGOなどの国際社会は、自分たちの行為や存在意義を正当化したり、美化したり、自己満足しながら、どれだけ一方的に支援してきたことか。そして支援のニーズに関して誤解があったために、多くの支援がどれだけ無駄になったことか。その証拠に、過去50年にわたって、貧困や紛争などの不安定な状態をなくすために、国際社会はアフリカやアジアの諸国に対してさまざまな「努力」をしてきたが、地域によっては貧富の格差が拡大したり、紛争がグローバル化や長期化するなど手に負えなくなっている。私もおそらく支援機関の一員として、支援対象者に対して、「日本や西洋諸国が考える正しい支援」を押し付けるなど無意識に傲慢な態度をとっていたかもしれない。

当然だが、支援とプレゼントは全く違う。後者の場合、既に知っている相手に渡すことが多いので、相手の好みや好きなものを選ぶ。そして感謝されることがほとんどだ。しかし支援は、知らない相手に送ることが多いため、相手のニーズを事前に十分調査をする必要がある。安っぽい好意と思いこみだけでは高い質の援助はできなく、感謝されるどころか、上記のように相手に迷惑をかけたり混乱をもたらすことがあるため、注意を要する。

残念ながら、「タイガーマスク運動」のその後に関する報道がないため、寄贈されたランドセルの成り行きはわからないが、それについて自分の経験をもとにいろいろと想像してみた。ランドセルは食べ物と違って、一つのものを人数分分けることができなく、一人一つずつ配布される。寄贈されたランドセルが児童の人数分がない場合、児童施設はどうするのだろうか。不足分を新たに購入するかもしれないが、その場合予算上中古品しか購入できないかもしれない。そうすると、寄贈のランドセルはおそらく新品であるため、生徒の中に新品と中古品のランドセルをもらう子供が出てくる。そうしたら、新品の子と中古品の子はそれぞれ優越感と劣等感を持ち始め、いじめの関係が形成されるかもしれない。そもそも児童施設は、ランドセルより布団が欲しかったかもしれない。また翌年タイガーマスクによるプレゼントがなかった場合、児童施設はどうするのだろうか。あるいは最悪の場合、児童施設の職員はそのランドセルを売って、それを自分の小遣いにするかもしれない。。。このように想像すると、きりがない。

このように単にカネやモノを寄付する、あるいは仮設住宅のようなキャンプを建てて国内避難民や難民に住ませることは、その手段さえあれば大変簡単な方法である。しかし、これらはバンドエイドのような
「手当」であり、一時的な処置でしかすぎない。貧困や紛争問題の解決のためには、その原因や要因に適切に対処することが求められ、それが長期的に見ると予防策ともなる。リーダーシップ、交渉力、知恵や辛抱強さなど要するため、実現は易しくないが、問題解決する可能性は前者の短期的方法に比べると倍増する。

「タイガーマスク運動」も、「そもそもなぜ児童施設が存在するのだろうか。なぜそこで支援が必要なのだろうか」と疑問をもつことから問題解決策は探れる。親の死によって孤児となった子供が児童施設に引き取られる場合は避けられないだろう。しかし、親による虐待から逃亡するために子供が児童施設に行くケースが近年増えており、このような虐待の予防は可能なはずだ。同じ金を使うのなら、ランドセルを購入するのではなく、虐待を減らし、また個人が家族やコミュ二ティーを大切にする社会づくりの啓蒙活動や取り組みに注いだ方が効果的であろう。
当然のごとく、言うは易し行うは難しである。しかしこの先50年、100年貧困や紛争対策等のために、国際社会が多額な支援金を出し続けることを考えると、長期的予防策の費用対効果は高いだろう。ぜひロータリークラブの皆様も知恵を発揮しながら、国内外の問題解決に貢献していただくよう、お願いしたい。
 
ルワンダのカガメ大統領が、チェロ基金から人道賞を受賞しました。

http://www.newtimes.co.rw/index.php?issue=14674&article=42808


それにしても「戦争犯罪人」とスペイン政府などから起訴され、重大な人権侵害を犯しながら(このブログで何回も書いているので、ここではあえて書かないが)、なぜ「人道賞」なのか、理解できません。2003年以降、カガメ大統領は20以上の賞を受賞しているのですが(その中には、クリントン元大統領からのGlobal Citizen賞も含まれる)、チェロ基金をはじめ多くのドナー国やメデイアは、ルワンダで何が起きているのかわかっているのでしょうか。あるいはわかっていても関心がないので無視しているのか、それとも単にアフリカの「サクセス・ストーリー」を作りたいのか。キニャルワンダ語がわからない、フツでもツチでもトゥワでもない外国人にとってルワンダは平和で安定しているように見えても、ルワンダの一般市民にとってその反対であります。

ルワンダ人による、ルワンダの負の遺産について知りたい人は、ジョセフ・セバレンジ​氏の著書『神はルワン​ダで眠る』”God Sleeps in Rwanda"(2009年)をお勧めします。『生かされて』などルワンダ虐殺の生存者の本はたくさんあるのですが、セバレンジ氏は生存者である上に、ルワンダの現政権やカガメ大統領の独裁主義を強く批判し、真の和解を訴えています。彼は1997-2000年まで国会の議長として(ルワンダでは大統領、副大統領に次いで3番目の権力者)国の改革に従事したのですが、しょっちゅう当時のカガメ副大統領と衝突し彼に睨まれたために、暗殺のターゲットとなりアメリカに亡命したのです。
http://www.josephsebarenzi.com/book

この本を読むと、カガメ大統領とルワンダ現政権の人権侵害・独裁と一般的なイメージの矛盾、そして「人道賞」が冗談であるかがわかるでしょう。
昨年12月にチューニジアで始まった民主化運動がエジプト、リビア、シリアなどさまざまな国に飛び火していますが、そこで政府によって抑圧されてきた人々の声を国際NGOのヒューマンライツウォッチ(HRW)が発信しています。ニュースをじっくり聞いたり読むと、「HRWによると、犠牲者がXX人発生し、、、」などと伝えられています。世界の主要メディアがどれだけHRWの情報に依存し、かつ信頼しているかがわかります。私自身コンゴ民主共和国で勤務していた際、現地にいたHRWの士気の高さと行動力の広さに圧倒され、HRWの活動を尊敬するようになりました。そのHRW調査員などがエチオピアの人権問題について話をするために、7月5日に宇都宮大学に来られます。大学にとって、学生にとって大変光栄なことです。
その公開講座の準備のために、GW明けから学生7人(内6人が1年生)と毎週エチオピアの勉強会を行ってきました。我々日本人にとってエチオピアは遠い国にもかかわらず、またこの勉強会は授業と違って単位がとれるというインセンティブがないにもかかわらず(単位以上のものが得ると自負していますが)、dictatorship(独裁)やoppression(抑圧)といった単語を覚えながら、こちらが感動するぐらい学生は熱心に取り組みました。犠牲者の視点中心に書かれているHRWの英語の報告書を読みながら英語で議論するのですが、だんだん学生皆の表情が暗―くなり、「問題解決は簡単なのに、それができないなんて悔しい!」や「(重大な人権侵害がある)エチオピアに行くのが怖い」といったコメントがちらほら。そう、そのような怒りや恐怖心を抱いたり、疑問を持ったり、学生として何ができるかを考えるのは大変重要。それを公開講座でぶつけてほしいし、今後も問題意識を持ち続けてもらいたいです。 

公開講座は通訳なしで行われ、学生自ら英語で司会をし、そして英語で議論や質疑応答を行います。学生の努力の成果をぜひご覧ください!
 
日時:7月5日(火) 12:50-14:20
会場:宇都宮大学UUプラザ
公開講座「アフリカの将来を問うー開発と人権確立をいかに両立させるか?」-エチオピアにおける開発と人権の矛盾を例にー
スピーカー:ヨセフ・ムルゲタ氏(人権弁護士) / ベン・ロレンス氏(HRW・アフリカ担当)

遅くなりましたが、6月20日は世界難民の日でした。その難民に関して、今考えていることを3点書きたいと思います。
    日本では難民と聞くと「かわいそう」だが、「でも希望を失わずに前向きに頑張っている」という励ましというか、ポシティブなイメージを作る傾向が強いと思います。私自身も現場で難民の強さから学んだことはありますが、場合によって難民に対して、「希望を持って、頑張ってね」と軽々と言えないこともありました。生まれた時から生涯難民として生き続け、学校に行けなくても行けない、将来の夢を聞かれても答えられない難民青年に(そもそも難民キャンプの生活しか知らない)そのような他人事のような言葉はかけられません。単なるリップサービスとしてとらえられるからです。今の福島県民に「がんばってね」「放射能があっても強く生きててすごい」と言っても、彼らは果たして喜ぶでしょうか。「他に行くところがないから、ここにいるしかないんだ!」と激怒するでしょうし、難民も選択肢がなく、生きていくために「がんばる」しかないのです。難民と福島県民の一番の願いはそれぞれ母国と福島に安心して帰還できることで、問題解決(難民であればその国の安定化、福島であれば原発に頼らない自然エネルギーの導入や経済システム)をしないまま、「がんばろう」の言葉は不要です。我々はもっと言葉に気をつけなくてはなりません。
    難民として認定されていないが、難民のような状況にいる人たちが世界数多くいることを心に留めなくてはなりません。もっと豊かな生活を求めて国外に脱出する、いわゆる経済難民だけではありません。海外の留学先で現地の人と結婚したり就職したものの、母国が紛争や不安定な状況にあるために、帰国できない人々は大勢います。フリーダムハウスによると、世界の自由度は過去5年連続で低下しているのですが、難民や避難民の数が減らないのもわかります。①に書いたように、我々は難民という「人」に焦点を当てるだけでなく、難民の背景(国の政治状況)をもっと知り、何ができるかを考えなくてはなりません。
    「紛争後の平和構築」(post-conflict peacebuilding)のフェースに入った国の難民の地位は、自動的に終止されるわけではありません。例えばルワンダは紛争後(=1994年の虐殺後)の平和構築のフェースをとっくに過ぎたと考えている(=勘違い)人が政治界、開発界やメデイアなどにいるのですが、まだ恐怖心があって帰還できない難民は大勢います。そういう難民にとっては、ルワンダはまだ紛争中なのです。なのに今年末に、ルワンダでは難民の終止条項(cessation clause)が適用されるのです。つまり、「ルワンダは平和だから国外にいるルワンダ難民は帰還できる。帰還しない人は来年以降、難民として認定しない」ということです。現在、ルワンダ政府から迫害を受けて、ルワンダの国外に亡命している人もいるのに、なぜこのような条項をUNHCRは適用するのでしょうか?どのように決定されたかわかりませんが、納得いきません。再検討してもらいたいものです。
 
下記のニュースを読んで、今朝からいやーな気分になりました。コンゴ東部に駐在するインドPKO軍が現地の女性に性的暴力をし、インド系の子供が何人か生まれたとか。

http://www.thenews.com.pk/TodaysPrintDetail.aspx?ID=53557&Cat=2&dt=6/20/2011


実は10年ほど前に南アPKO軍がコンゴに展開中に同様なことをし、世界中のメデイアから非難を浴びコンゴから撤退しました(しかし2008年から少数ながらも戻っていきたが)。私はその時に現地にいなかったのですが、コンゴ人の同僚から「南ア人はすぐにスワヒリ語を習得し(ズールー語に似ているらしい)、現地の女性とイチャイチャしていて、夜の活動は本当にすごかった」と何度も聞かされました。ひっそりというより、かなり派手に楽しんでいたようです。

インド軍に関しては、ある軍人によると「彼らは黒人に対して人種差別感があり、南ア人と違ってコンゴ社会に溶け込んでいないので、そんな心配はないだろう」ということでしたが、残念ながらどこの国の人間であろうと男性のメンタリティーは同じ。とうとう犠牲者が現れたかーとショックを受けました。

南ア人(黒人)との子供ならまだしも(という言い方は変ですが)、インド系なら目立ってコミュティーから差別される可能性もあります。以前このブログに、「日系コンゴ人」の子供について紹介したことがありますが(彼らが「日本人の医者によって」殺されている)、同じようにターゲットにならなければいいのですが。

このような問題はどこの社会でもあるとはいえ、どうすればいいのでしょうか。貧困が続き、軍人ー市民という権力構造があり、武器が存在し、腐ったガバナンスがあり、また男女が存在する限り、仕方がない問題としてあきらめるべきでしょうか。だれかいい知恵があれば教えてください。

私が日頃からお世話になっているNPO法人テラ・ルネッサンスが、子ども兵問題について考えるシンポジウムを開催します。このシンポジウムは2つの意味で大変貴重な機会だと思います。

まず、子ども兵を扱っている日本のNGO/NPOは稀であるため(あるいはテラ・ルネッサンス以外はないかも?)、生の情報が収集できること。そして2つ目はウガンダ北部は、いろんな機関が「平和構築」活動のために介入しており、注目を浴びていること。一見落ち着いているように見えて、実は20年以上活動し続ける反政府勢力LRA(神の抵抗軍)が、単にウガンダからコンゴ北部、中央アフリカ共和国、スーダンに散らばっているだけで、実はウガンダはまだ紛争の構造が残っているんですね。ルワンダも反政府勢力がコンゴ東部に17年間いるので、同様の構造があることになります。LRAがウガンダに戻ってくる可能性はどれくらいあるのかわかりませんが、こんな不安定な状態を「平和構築」と幻想のように呼んでいるから、数(十)年後紛争が再燃しても不思議ではないですよね。

拠出国はそれを知っていても、知らないふりをして、ウガンダとルワンダのリーダーシップを称賛する。。。。そしてなぜコンゴって、このような隣国の反政府勢力まで「ホスト」してしまうか。。。。あまり日本では知られていないのですが、コンゴにあるウガンダ反政府勢力はLRA以外に、もう一つADF-NALUがあります。このような問いを言い出すと、きりがないので今日はここで止めますが、こういったことをどんどんシンポジウムで突っ込んで議論してください。特に学生は参加してください。

ウガンダ北部の紛争と子ども兵問題を考える 
~紛争の背景と問題解決に向けての課題~


ウガンダ北部では1986年以降続く、政府軍と反政府軍(神の抵抗軍)との戦いで、
6万6千人の子どもたちが強制的に兵士として戦わされてきました(ウガンダ政府発表)。

テラ・ルネッサンスでは、グル市を拠点に2005年から
元子ども兵の社会復帰支援事業を実施し、
129名の元子ども兵の支援活動を行ってきました。

本シンポジウムでは、当会元ウガンダ事務所駐在代表、ジャーナリスト、学識者など
多方面からの論客を交え、ウガンダ北部の紛争の背景と要因、
そして子ども兵問題解決に向けての課題について考えていきます。

【日時】
6月25日(土) 14:00-16:30(開場:13:30)

【場所】
拓殖大学文京キャンパスC館401教室 (〒112-8585 東京都文京区小日向3-4-14)
アクセス:東京メトロ 丸の内線 茗荷谷駅下車 徒歩3分
拓殖大学文京キャンパス:http://www.takushoku-u.ac.jp/map/acc_b.html
文京キャンパスマップ:http://www.takushoku-u.ac.jp/map/map_b.html

【参加費】
無料 (事前申し込み制・先着順) 

【定員】
300名 

【プログラム】
第1部:ウガンダ北部における元子ども兵社会復帰支援事業報告
(報告者:テラ・ルネッサンス理事長 小川真吾)

第2部:パネルディスカッション ~ウガンダ北部の紛争と子ども兵問題解決への課題~
○コーディネーター:鬼丸昌也(テラ・ルネッサンス創設者)
○パネラー:
佐藤丙午氏(拓殖大学海外事情研究所 教授)
榎本珠良氏(東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム)
下村靖樹氏(フリージャーナリスト)
小川真吾(テラ・ルネッサンス理事長、前ウガンダ事務所駐在代表)

【主催】
特定非営利活動法人 テラ・ルネッサンス

【共催】
拓殖大学海外事情研究所

【お申込み】
下記、フォームよりお申込みください。
http://www.terra-r.jp/contents/?blogid=12&catid=48&itemid=215
 

先週末、京都で「虐殺後のルワンダはどう変わったのか~真実・人権・開発について考える」というタイトルで講演をしました(ルワンダの学校を支援する会主催)。今まで、講演ではコンゴについて話す機会が多く(その時にルワンダのことも多少話したが)、今回のようにルワンダを主に話したのは初めてです。参加者から「ルワンダが平和だと思っていたが、現在の問題(現政権ー反現政権の対立構造など)を聞くのは初めて」「ツチだけが犠牲者だと思っていたが、フツの犠牲者の話を聞いてショックだった」といった声があり、また「ルワンダには表現や報道の自由がないが、インターネットの規制はあるのか」「アメリカとルワンダ現政権の関係は?」「コンゴでの性暴力はルワンダ政府軍も関わっているのか」といういい質問が受けました。改めて一般市民のルワンダへの関心度が高いこと、そしてそれと同時に、ルワンダの一面しか伝えていないマスメデイアやハリウッド映画の責任と影響力の大きさを痛感させられました。

実は11日にルワンダのカガメ大統領がシカゴを訪れたのですが、現地にいる反カガメ大統領のルワンダ人やコンゴ人が大きなデモを行なったとのことです。「カガメ大統領、殺害をやめろ」という看板を持ちながら。

http://sfbayview.com/2011/kagame-stop-killing-rwandan-and-congolese-protest-rwandas-president-in-chicago/

そもそも日本人の中には、難民のことを「かわいそうな人々」「だけど強く生きている」というイメージを抱いている人が多いような気がします。しかし、福島の被災民のことを同じように呼んでも、彼らは嬉しくないでしょう。誰も好きで難民や被災民になったわけではありませんので、当然です。そんな(安っぽい)同情よりも、被災民や難民が自分の土地に安心して戻ることが出来るように、我々が政策提言した方がいいと思っているでしょう(反原発や自然エネルギーへの転換、政府に暴力を止めるように訴えるなど)。

何かごちゃごちゃ書いてしまいましたが、私はルワンダとコンゴの両国にいた経験があり、現地の表も裏の世界をある程度知っているので、(当然現地の人を代表して話はできませんが)両国の現実について市民にもっと伝え続けたいと思います。そして皆さんと共に、長期的な問題解決も探したい。。。しかしこれが簡単に見つからない。。。だれかいい知恵をください!

先週末国際開発学会に参加したのですが、その中でも「東日本大震災と国際協力:大震災が国際協力・国際開発研究に突きつけたもの」というパネルディスカッションでショックを受けました。
 
1つ目は、原爆や放射能がこれだけ深刻な問題になっているのに、それについてパネリストが一切触れなかったこと。3月下旬に東日本大震災支援ネットワークという集会に参加した際も、福島について何の議論がありませんでした。あれから2か月たっても全然進展がない!今回パネリストが福島で活動をしていないこともあるのですが、それならなぜそのような人を招聘しなかったのでしょうか。「臭いものには蓋」では、結局自己満足、あるいは実績を残すための企画となります。
 
2つ目は、被災民の視点や問題がほとんど語られていなかったこと。話の中心は団体の活動報告、団体間の調整、情報発信(それも「(放射能の危険さなど)正確な」情報に関する議論ならまだしも、単に情報量の話)の問題です。当然のごとく、大震災は現在進行形で今も続いており、被災民は本当に苦しんでいます。彼らが一日でも早く、安全で人間らしい生活ができるように助けるのが我々の優先なのではないでしょうか。私は以前、難民や国内避難民への支援や保護といった人道・緊急支援に従事していたこともあり、この「のんびりとした」(失礼)議論についていけず、イライラしてしまいました。
 
パネルデイスカッション後、主催者にそのように述べると、「時間があれば被災民の話も話すことができた」という返答でした。いや、時間不足ではなく、(限られた)時間をどう活用するかという問題ではありませんか。まず議論のプライオリティは何かを決め、時間があれば、優先順位の高くないものも話すこともできたはずです。
 
結局、国際協力と開発の現実もこんなものです。ご多忙な「エリート」は現場を見ずに(行ったとしても、アクセスがいいところだけ行き、時間がかかったり、交通不便のところには行かない)、下(弱者)の視点をほとんど政策に反映しない。そのため過去50年間、形だけの「国際協力」をしても、貧困や紛争はまだまだ残っているだけでなく、地域によっては悪化しています。東日本大震災を機会に、国外への協力や開発の政策を真剣に、かつ厳しく見直すべきでしょう。
 

昨夜10時のBS1のニュース番組で、「アフリカの開発支援:ルワンダの奇跡」という特集があり、来日中のムシキワボ外相のインタビューがありました。1994年の虐殺後、ルワンダの経済成長率が7%上昇しており、それもカガメ大統領のリーダーシップのおかげだと。確かにカガメ大統領の長期的なビジョンは、他のアフリカ諸国の大統領のと違って称賛に値するでしょう。街中は整備されてきれいで、人々も真面目、虐殺から17年後にアフリカを代表する国になり、「サクセス・ストーリー」「アフリカのシンガポール」と呼ばれています。
 
しかしその反面、ルワンダは人権に関する負の遺産を抱えていることは忘れてはなりません。当然どの国も長所と短所がありますが、ルワンダの評判は本当に両極端に分かれます。「国境なき軍隊」(コンゴとの国境を無視して、ルワンダ国軍がコンゴに越境して資源を略奪したり、コンゴを占領しているという意味)「報道の自由の略奪者(カガメ大統領)」「1996-7年、ルワンダ国軍がコンゴ東部に侵攻した際に、虐殺(に値する行為)に関与した(当時のカガメは副大統領・防衛大臣であった)などひどいものばかり。

そう、ルワンダ現政権は経済面で成功しているのですが、人権の面ではかなりの加害者であるのです!市民や犠牲者の痛みを無視して、国は果たして発展できるのでしょうか。 一昨日から”Remaking Rwanda: State Building and Human Rights after Mass Violence”(University of Wisconsin, 2011)という本を読んでいるのですが、まさに私の上記の問いを分析しています。ルワンダの違った側面を知りたい人はぜひ読んでください! http://globaltj.wordpress.com/2011/05/09/remaking-rwanda-essential-contribution-to-the-study-of-transitional-justice-and-post-conflict-recovery/

また12日(日)18:30-20:30に京都で、「虐殺後のルワンダはどう変わったのか~真実、開発と人権について考える」という講演を行います(ルワンダの学校を支援する会主催)。ルワンダの真実、開発と人権の3点に関して聞く機会は(少なくとも日本においては)ほぼゼロに近いので、貴重な講演になると一人で勝手に思っています。関心があれば、ぜひ聞きに来てください。詳細に関しては↓ http://osuke.jimdo.com/
昨日、NGOヒューマンライツ・ナウ(HRN)による「東日本大震災:人権の視点から見た被災地」の報告会が開催され、大変いい勉強になりました。私も女性の人権(権力文化)について話しましたが(関心がある人は前のブログを見てください)、ここでは興味深かった点、①被災者へのアプローチ方法と②マッサージ効果について書きます。

①HRNのメンバーの多くは弁護士でありますが、弁護士が司法相談のためにいきなり避難所に行っても、被災者はなかなか来ないとのこと。何事も訴訟をするアメリカと違って、日本では「特別な重要な相談」がない限り、弁護士に相談することは稀なので、市民との間に距離感があるのですね。その距離感を縮めるために、弁護士の中に紙芝居を使って法律について分かりやすく説明したり、ハンドマッサージをしてから被災者の相談にのる人がいました。

私もアフリカの難民・国内避難民キャンプで働いていた時、難民と難民に支援・保護(の手伝い)をする側の間には、距離感があることに気が付きました。支援する側が外国人であれば、なおさらのことです。キャンプ内にある事務所で難民が来るのを待つのではなく、なるべくキャンプ内を歩き回り、彼らの生活を観察したり、食事をともにしながら難民の問題について理解しようと努力しました。保健でも、病院や保健所で患者を待つのではなく、医者や保健ワーカーがコミュニティーに出向かなければ、保健に関する実態はわかりません。そう、このoutreach(出張サービス)をすることで、かなり問題の全体図が把握でき、また問題解決にもつながる可能性が高くなります。

②マッサージは単に「ぜいたく品」ではなく、精神的にかなりリラックスするなど、効果が高いことは皆さんも知っているかと思います。①のハンドマッサージをしている弁護士は、マッサージをされた被災者の大人が自分から悩みを話しだしたこと、また子供もハンドマッサージを受けながらも、学校での悩みについて打ち明けたと言っていました。大震災後に離婚相談をする被災者が増え、それは夫婦間の価値観の違いに気付いたからとか、相手に失望したからという理由からであるのですが、もしかして、中には夫婦間のコミュニケーション不足の問題もあるかもしれません。夫婦間でマッサージをしながら、その日にあった出来事や悩みを共有することによって、仲が取り戻せるのではないでしょうか。もちろん大震災・原発メルトダウンという異常なことが起きたので、そう簡単には3/11前の生活に戻すことはできないでしょうが、トライする価値はあると思います。


最近すっかりブログをさぼってしまいました。。。。ドイツの出版社から英語で本を出版することになり、その原稿を来週月曜までに提出しなければならず、今必死に最終チェックをしています。1990年以降のアフリカ大湖地域の紛争では南ア政府が平和創造の役割を果たしたのですが、それを批判的に分析した内容の本です。数年前に提出した修士論文をもとに更新しているのですが、改めて思ったのは言語によって情報が少し違うこと。そもそもコンゴやルワンダはフランス語圏なので(ルワンダは英語圏になっていますが)、一般的にフランス語の本、あるいはフランス語圏の著者による本の方が正確に書かれており、英語の方は単純化して(意図的に?)されています。なので、私のフランス語の読解力は英語に比べると衰えているのですが、フランス語の本を読んでいるところです。内容も重たいために、正直疲れます。。。。

学生のみなさん、視野を広めるために、日本語の本だなく、外国語の本も読んでください!

ところで、5月31日19:00-21:00にNGO ヒューマンライツナウ主催の「東日本大震災:人権の視点から見た被災地~現地調査報告会」が青山学院大学で開催されます。私も調査に参加したので、女性の人権について話をします。被災地の問題を人権の観点から取り上げる団体はあまりないため、この報告会はそういう意味で貴重だと思います。関心があれば、ぜひ聞きに来てください。詳細に関しては、下記まで。

http://hrn.or.jp/activity/topic/531-1/
昨日、日本アフリカ学会第48回学術大会で、「ルワンダ現政権による人権侵害」について発表しました。と言っても、発表時間はたったの15分(質疑応答を入れて)なので、言いたいことが全部話すことができなかったのですが。。。
 
一般的に「ルワンダ現政権は1994年のルワンダ虐殺を止めた『英雄』であり、ツチは虐殺の『犠牲者』」と知られていますが、私はルワンダ国際犯戦法廷(ICTR)の文書を使って、「ツチもフツも虐殺の加害者であり、犠牲者でもある」と議論しました。ICTRは膨大な証言を収集しているのにもかかわらず、なぜか日本ではICTRに関する研究がほとんどされていません。その意味で、今回ICTRの議論を活用して、ルワンダの違った顔、そして国際法と国際政治間の葛藤について話したことは、意味があったと思います。
 
嬉しかったのは、研究者の先輩2人から発表について褒められたことです。「うすうす、ルワンダはおかしいと思っていたが、歴史が隠されていたとは。日本政府もルワンダ政府に強く言うべき。大体日本には外交の方針がないのが悪い」「フランスではルワンダについていろいろ聞くが、日本では報道されない。このようなことを学会でももっと話すべき」確かに!日本のジャーナリストよ、もっとアフリカの政治について報道して!
 
そして研究者の一人が「日本は『人権大国』になるべき!」と言うのでした。まだ人権小国にもなっていないのに、いきなり大国か。。。もちろん目標は大きく持った方がいいのですが。
 
下記は発表の内容:
1994年の虐殺の際に、ツチ主導のルワンダ愛国戦線(RPF)がルワンダの政権を奪取した。それ以降、開発が急速に進み、ルワンダは「アフリカの優等生」というイメージを国際社会において築いた。その一方で、RPF政権は軍事力、経済力、政治権力を利用しながら、ルワンダとコンゴにおける2つの「虐殺」をはじめとする重大な人権侵害を犯してきた。

RPFによる最初の人権侵害は、1990年に遡る。当時ルワンダの反政府勢力であったRPFが、ウガンダからルワンダに攻め込んだ時である。その後ルワンダは内戦状態になり、1993年2月にはRPFによる攻撃で80万人以上の国内避難民が発生した。そして虐殺が起きた1994年4月から7月にかけて、フツ過激派によるツチを中心とする虐殺は約80万人に上るとされるが、一方でRPFも虐殺に関与し、ある地域では約2~4万人の市民を殺害したという(UNHCR[Gersony Report]1994)。ルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)の分析によると、虐殺におけるフツの犠牲者はツチのそれの2倍であった。RPF政権は1996年と1998年の2回、ルワンダ国軍を派兵して隣国のコンゴを侵攻し、かつ侵略した。ルワンダ虐殺首謀者はコンゴに逃げ込みRPFを襲撃したので、侵攻行為は自国の防衛のためであったとRPFは正当化した。しかし、真の目的はコンゴにおける資源の確保であったとされる(UN, S/2002/1146, para65)。

RPF政権による犠牲者は、一般市民に限ったことではない。1995年から2011年2月現在までルワンダ人、外国人に関わらず、RPFに批判的である政治家、外交官、軍人、司法関係者、メデイア、国連、NGO、市民団体や宗教団体とその職員は、RPFによって逮捕、脅迫、国外追放、失踪、投獄、暗殺の対象者になったり、あるいは亡命した。その数は少なくとも計91人、66団体にのぼる(2010年は26人)。2004年から2010年にはカガメ大統領の元側近であった離反者5人も不当に逮捕されたり、暗殺未遂にあった。野党もRPFによって抑圧されたために、2003年と2010年の大統領選挙でカガメ大統領が圧勝した。表現の自由も政治的空間も閉鎖されている。

2008年には「虐殺イデオロギー」法が採択された。1990-4年の内戦や虐殺中にツチだけでなくフツも犠牲になったことを示唆する、あるいはRPFを戦争犯罪人として裁判を求めることを禁じるなど、RPF批判の封じ込めを合法化した。この法律は虐殺の再発予防のためだとされるが、RPFの戦争犯罪人を守ることが目的とされる。世界唯一ルワンダにしか存在しないこの法律は、国際人権法に適しないために、人権団体から非難されている(Amnesty International、”Safer to Stay Silent,”2010等)

RPF政権による人権侵害に対して、国際社会はさまざまな試みを図ったが、進展はない。例えば、2002年ICTRはRPFの虐殺容疑者を起訴したが、当時のICTR検事が国連によって解雇され、それ以降RPFは起訴されていない。フランス政府は2006年、虐殺直前に起きた飛行機の撃墜に関与していたRPF9人を起訴し、またスペイン政府は2008年、ルワンダとコンゴにおける人道に対する罪を犯した、カガメ大統領を含むRPF高官40人を起訴した。しかし未だにRPFからは誰一人逮捕されていない。
そして2010年10月に公表された国連報告書は、ルワンダ国軍が1996年にコンゴで犯した民間人数万人に対する殺戮行為が「虐殺の罪に値する」と結論付けた。また大湖地域での不処罰の連鎖を終焉するために、同報告書は戦争犯罪及び人道に反する罪に司法権を持つ、混成司法機関の設立を支持した。既に1990年代に国連等は、コンゴにおける大量殺害や人権侵害を明らかにしたが、その責任を問う行動は取られておらず、現在もRPF政権は責任を否定している。
 
発表の最後に不処罰について話しましたが、その続きは次回のブログで紹介します。

先日、宮城(or 東北)の被災地での男性による「権力文化」について触れましたが、それを読んだ学生や友人が大変ショックを受けて、「自分(女性)がその状況にいれば、どうしていただろうか。勇気をもってNo!と男性に言えるだろうか」と話し合いました。自分のリスクを負ってまで反抗できるか、私も正直わかりません。
 
私は以前約10年間、いくつかのアフリカの国々において難民の支援や保護に携わっていました。ですから今回被災地で調査した際も、ついついアフリカでの経験と比較してしまったのですが、国内避難民・難民(この2つを一緒にしたものを以下、難民と略す)・被災民のプライバシーや、避難所(あるいは難民キャンプ)へのアクセスに関しては、アフリカの方がましという結論がでました。
 
もちろんアフリカ諸国と日本の状況が全然違うので、簡単に比較できないのは事実です。私が活動していたアフリカ諸国の地方では、大きなホールや体育館がないため、野原に難民キャンプをつくり、そこで難民の住居としてビニールシーツの小屋を建てたり、テントを張りました。小屋やテントは強固でないため、大雨・強風があれば当然テントが倒れたり吹かれます。食糧も国連世界食糧計画から支給されるのですが、毎日同じもので、バラエテイが欲しいと難民はいつもこぼしていました(地域の人と食糧を物々交換する人もいた)。それに比べると、日本では(避難所によるが)多少食事の工夫がされています。また紛争地に難民キャンプがある場合、常に武装勢力や政府軍に襲われるのではないか、援助物資が略奪されるのではないかと、難民は恐怖心を抱きながら生活をしています。そのような恐怖心は日本にはありません。もちろんDVが問題で夫と別れた女性が、その夫と同じ避難所で生活することになり、悩まされるケース等はありますが、日本の避難所が集団殺害される可能性は圧倒的に低いのです。
 
ですから、その意味ではアフリカ諸国の難民キャンプの方が厳しいかもしれませんが、少なくとも難民のプライバシーは保たれていました。また(規律がない)軍人がキャンプ内にいようと、国連やNGOなどの外部のアクセスもありました。
 
この被災地に行くまで、私は世界で一番恵まれていない大陸・アフリカにおいて、最悪のものを見てきたと思っていました。まさか「先進国」と呼ばれ(「何が」先進なのかによるが。。。技術やインフラに関してはそうかもしれないが、リーダーシップに関しては疑問)、「民主主義的」(であるはず)の自国・日本でこんな問題に直面し、苦労するとは予想していなかったので、そのショックは本当に大きかったのです。自分の考えがいかに甘かったか、また日本に対する見方も大変変わりました。
 
と被災者のプライバシーの重要さを書きながら、DVで悩んでいる女性であれば、避難所に仕切りがあるより、また仮設住宅に入るより、オープンスペースがある集団生活の方が安全と言うかもしれません。みんなが見ている前で、夫が暴力をふる確率が少ないからです。ほんと、人のニーズって状況によって変わるんですね。。。頭が混乱してきた。。。
大震災における人権の状況を把握し政策提言をするために,GW中,仙台と石巻で人権調査をしました。避難所を視察し,女性,高齢者や身体障がい者など弱者を支援する団体と面談したのですが,一番ショックだったのが,宮城県(あるいは東北?誰か教えてください)における「男性の権力文化」です。東日本大震災と阪神大震災との比較の際に,よく災害の面積の違いや原発・津波の有無が挙げられますが,この権力文化の有無も大きな要素だと思います。阪神の女性は少なくとも男性に言いたいことは言えます!(阪神出身の私もそうです!)このような「権力のしがみつき」は災害後,家族,財産,家や仕事を失った男性の多くに見られるのですが,それは男性が自身のアイデンテイテイやプライドを保つためだと考えられます。
 
避難所のほとんどが自治体や校長先生などの男性によって運営されているのですが,そこで女性は反論できず,ずっと耐えています。授乳の場所も女性の更衣室もないところで,若い女性は我慢しており,布団の中で着替えているとか。仕切りが提供されても使わないのは,男性によると「一体感がなくなるから,みんなとコミュニケーションがとれないから」。仕切り,更衣室,女性専門の部屋,化粧品等の女性の要請は,単なる「わがまま」として男性に受けとめられています。情報まで管理され,避難所によってはチラシ配布までが禁止・制限されているのです。
 
確かに現場のニーズを聞くことは,人道・緊急支援や開発において重要ですが,ここで指す現場とは男性を意味しており,意味がありません。一層のこと,現場のニーズを聞かずに。仕切りを強固につくる仕組み,あるいは「命令する」仕組みをつくった方がいいのではないでしょうか。
 
留意しなければならない点は,大震災当初の被災者のニーズは食料,毛布やガソリン等でしたが,2カ月経った現在は,春物の服,化粧品,洗濯機,雇用,お弁当や炊き出しでない食事(ステーキなど)と変わっていることです。行政やNGONPOはその変化に合わせて,早急に対処すべきでしょう。確かに大震災直後食事がまともに取れないときに,「化粧品が欲しい」と女性が言えば,「何を贅沢な!」と周囲から怒られたでしょうが,2か月経った現在,仕事や子どもの入学式など外出する際に,少しでも化粧をしてきれいになりたいと思うものです。そのような女心を男性に分かってもらいたいですね。
 
女性の視点で災害マネージメントを強化しないと,女性の犠牲者(DVなど身体的なものだけでなく,PTSDなど)はどんどん増えるでしょう。皆さんもこれに関して何ができるのか,いろいろ考えてください。
大震災以降,「がんばろう日本!」というスローガンがあちこちに見られ,それを疑問視する声が市民からあります。先日郡山に行った際も,現地の人々が「あれは東京発の声。放射能のせいで,我々が県外に行くと「バイ菌」扱いされているのに何をがんばれっと言うの?」と。まさにその通りで,原発などの問題の原因が解決されていないのに,がんばろうという声だけを独り歩きしています。
 
話はそれますが,「がんばろう日本」のスローガンの問題についてある在日外国人(アフリカ諸国)と話していたら,以下のようなコメントが返ってきました。
 
「私は日本政府を批判することはできない。何しろ,アフリカの多くの国では,戦争や性的暴力が起きようと,それを話題にしないだけでなく,その事実を認識しようともしないから。東電の清水社長が被災民にぺこぺこ謝っていたが,あんなことはアフリカではありえない。昨年アフリカのいくつかの国々が独立50周年記念の行事をし,そのような大きなイベントには各政府はエネルギーと金を費やしたが,肝心の問題に関しては議論もしない。もちろん完璧でないかもしれないが,日本政府の現在の対応を賞賛したい。」
 
うーん,アフリカ諸国の人からすると,日本政府の対応は評価できるんですね。まあアフリカで起きている上記のケースは最悪と思った方がいいので,あまり比較したくないのですが。
 
話は戻って,昨日ビンラディンが殺害されてから,オバマ大統領が「これで世界がより安全になる」と述べ,「Justice for all(皆に正義を)」とスローガンのように繰り返していますが,その単純さに驚くとともに呆れてしまいました。ビンラディンの殺害で,世界のテロの原因は本当に解決されたのでしょうか。彼の殺害をアメリカ人が喜ぶ姿を見て、新たなテロを引き起こす(タリバン)可能性もあるというのに。また「皆に正義を」と言う前に,自国アメリカが犯している戦争犯罪などを反省し,対処してほしいですよね。あと今のICC(国際刑事裁判所)の機能はどうなっているの?とも聞きたくなります。(ある学者がICCのことを,「西洋人によるアフリカ人のための裁判所」と述べていましたが,本当にその通りです。)
 
単なる標語と思われるかもしれませんが,それによって傷ついている人,怒りを感じた人も大勢いることを知る必要があると思います。このようなキャッチフレーズの意味づけや,誰の視点のものなのかなどについて,もう少し考える必要がありますね。
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プロフィール
HN:
米川正子
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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