コンゴとアフリカの過去を振りかえ、それらの現状と今後を考えた上で、次の行動へのきっかけになることを願っています。
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気がつくと、1週間もブログを書いていなかった。。。暑さでぐったりしていただけでなく、ルワンダでの悪化した政情を関係者に分かるようにまとめの作業に没頭していました。このプログにも載せますね。
ところでシャンソン歌手、前日本シャンソン協会会長の石井好子様は7月17日、入院中の都内病院にて肝不全のため亡くなりました。87歳でした。
実は石井様とは2008年6月20日に、UNHCR協会の中村恵さんの手配のおかげで、当時の教会事務局長の根本かおるさんの4人で一緒に昼食をとったことがあります。石井様は緒方貞子様の夫、四十郎様の幼なじみということもあり、毎年難民チャリティーコンサートを開催していました。2006年のそのコンサートのパンフレットに、前年スーダンに長期出張に行った際の私のコメントが載っていました。
「日本が戦後発展できたのも、阪神大震災後復興できたのも国民の努力のみでなく、国際社会からの支援があったことを忘れてはならない」「スーダンは遠い国だから自分たちは関係ないという考えは今の世界では通用しません」
そして石井様は、通用しているのが『日本ではないのか』と疑ってしまうのは淋しいこと、日本人の難民に対する意識の低さ、飽食の日本では平気で100万円もする食事を食べるのであれば、その分を難民に廻していただきたいと思うことが書かれていました。
私はそのコンサートの場にいなかったのですが、同僚がそのパンフレットを南アにいる私に送ってくれました。私は早速石井様にお礼の手紙を書き、それから文通が何度か続きました。石井様は多忙なのにもかかわらず、CDや石井様の名入りのTシャツを送ってくださったり、手紙も必ず手書きでした。コンゴ東部で厳しい環境で勤務していた時、石井様の手紙が励みになり、それを自分のコンピューターの前に飾っていたものです。
文通のやり取りをした後、上記の食事で石井様と初めてお会いしました。コンサートを控えて多忙であったのに、わざわざ時間を割いてくださいました。姿勢が正しく、終始堂々と、そしてニコニコとしていて、かつ心優しい姿が大変印象的でした。自分自身のフランスへの留学話やシャンソンとの出会い、自分の難民支援の関わり等について話されたのですが、その中でも「自分の人生が良くなったのは、80歳になってから。よく歌えるようになった」とおっしゃっていたのを今でもよく覚えています。
わお、かっこいい!私は石井様の人生の半分も生きていなく、時折小さいことで落ち込むことがあるのに、もっと人生を長期な視点で見なくてはと反省させられたと共に、大変勇気づけられました。それから石井様は私の憧れの的となりました。それにしても、石井様といい、緒方様といい、曽野綾子様といい、戦争を経験された方々は本当に強く、尊敬できます。
石井様、本当に素敵な思い出をありがとうございました。これからも私たち後輩を、そして難民を見守ってください。この場を借りてご冥福を申し上げます。
石井様の「お別れの会」が8月26日に行われるので、参例する予定です。
ところでシャンソン歌手、前日本シャンソン協会会長の石井好子様は7月17日、入院中の都内病院にて肝不全のため亡くなりました。87歳でした。
実は石井様とは2008年6月20日に、UNHCR協会の中村恵さんの手配のおかげで、当時の教会事務局長の根本かおるさんの4人で一緒に昼食をとったことがあります。石井様は緒方貞子様の夫、四十郎様の幼なじみということもあり、毎年難民チャリティーコンサートを開催していました。2006年のそのコンサートのパンフレットに、前年スーダンに長期出張に行った際の私のコメントが載っていました。
「日本が戦後発展できたのも、阪神大震災後復興できたのも国民の努力のみでなく、国際社会からの支援があったことを忘れてはならない」「スーダンは遠い国だから自分たちは関係ないという考えは今の世界では通用しません」
そして石井様は、通用しているのが『日本ではないのか』と疑ってしまうのは淋しいこと、日本人の難民に対する意識の低さ、飽食の日本では平気で100万円もする食事を食べるのであれば、その分を難民に廻していただきたいと思うことが書かれていました。
私はそのコンサートの場にいなかったのですが、同僚がそのパンフレットを南アにいる私に送ってくれました。私は早速石井様にお礼の手紙を書き、それから文通が何度か続きました。石井様は多忙なのにもかかわらず、CDや石井様の名入りのTシャツを送ってくださったり、手紙も必ず手書きでした。コンゴ東部で厳しい環境で勤務していた時、石井様の手紙が励みになり、それを自分のコンピューターの前に飾っていたものです。
文通のやり取りをした後、上記の食事で石井様と初めてお会いしました。コンサートを控えて多忙であったのに、わざわざ時間を割いてくださいました。姿勢が正しく、終始堂々と、そしてニコニコとしていて、かつ心優しい姿が大変印象的でした。自分自身のフランスへの留学話やシャンソンとの出会い、自分の難民支援の関わり等について話されたのですが、その中でも「自分の人生が良くなったのは、80歳になってから。よく歌えるようになった」とおっしゃっていたのを今でもよく覚えています。
わお、かっこいい!私は石井様の人生の半分も生きていなく、時折小さいことで落ち込むことがあるのに、もっと人生を長期な視点で見なくてはと反省させられたと共に、大変勇気づけられました。それから石井様は私の憧れの的となりました。それにしても、石井様といい、緒方様といい、曽野綾子様といい、戦争を経験された方々は本当に強く、尊敬できます。
石井様、本当に素敵な思い出をありがとうございました。これからも私たち後輩を、そして難民を見守ってください。この場を借りてご冥福を申し上げます。
石井様の「お別れの会」が8月26日に行われるので、参例する予定です。
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UNHCRのeCenterって知っていますか?
正式には「国際人道援助緊急事態対応訓練地域センター)で、現場で勤務する国連、NGO, 外務省、JICA, PKOなどの職員のために、緊急事態対応のワークショップを定期的に開催しているところです。私はこの緊急事態ワークショップが大好きで、今学生用に同様のワークショップができないかと模索中です。
そのeCenterがUNHCR東京事務所に設立してから今年で10周年を迎え、10日に国連大学で記念シンポジウムがありました。
シンポジウムの話の中心が安全管理とか緊急支援になるのかなと思っていたのですが、途中からスピーカーのUNHCRのアミンさん(緊急・安全管理部長)がコンゴ東部の性的暴力のひどさについて触れ、緒方貞子JICA理事長もコンゴ東部の人間の安全保障について話しだし,impunityの話が長々と続きました。
私はコンゴ東部に勤務してから、現地で大問題になっているこのimpunityに大変関心を持っており、どのように対処すべきか考えてきましたので、シンポの話がimpunityになったとき、興味深く聞きました。そして外務省の方に「eCenterの研修を通じてスタッフの能力は高くなっても、impunityの問題がある限り悪循環が続くだけ。impunityには国際社会や日本政府といったドナー国の政治的圧力が必要。外務省はどのように取り組むのか」と質問をしました。
しかし(いつものことですが)、最終結論はICC(国際刑事裁判所)や国際社会がちゃんと対処すべきに達してしまうのです。それほど難関であり、sensitiveな問題なのです。
ところで、このimpunity、ずっと英語で書いてきましたが、うまい和訳がなく、いつも英語で使われるほど日本人になじみがない言葉です。日本は刑罰がまともにあるからでしょうか。
anyway, このimpunityは私の現在の研究課題です。もっと勉強しなくては!
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プロフィール
HN:
米川正子
HP:
性別:
女性
職業:
大学教員
趣味:
旅行、ジョギング、テコンドー、映画鑑賞、読書
自己紹介:
コンゴ民主共和国(コンゴ)やルワンダといったアフリカ大湖地域を中心に、アフリカでの人道支援や紛争・平和構築を専門としています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。
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