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「あなたのブログを興味深く読んでいるけど、他の人が読みやすいように、もう少し柔らかいテーマも入れた方がいいのでは?」
た、確かに!ご指摘ありがとうございます!
しかし、私はあえて硬いテーマを選んでいます。その理由として、日本のメデイアが全然取り上げないこと(特に今は南アのW杯があるため、他のアフリカの記事を書く余裕がない、あるいは関心がない)、またルワンダ-コンゴの政情が大変がたついており、将来「第2のルワンダ虐殺」を避けるためにも、フォローし警告を出す必要があるからです。
私は以前国連難民高等弁務官事務所職員として、ルワンダに3年、コンゴに4年間勤務し、難民を保護・支援していました。その時、「我々はバンドエイドを貼るかのように難民を支援しているが、そもそも難民を生み出さないために、どうすれば紛争を予防できるのか」と考えるようになりました。
将来の紛争予防のために、当然過去を知らなくてはなりません。過去と言っても、単なる事実でなく、なぜそれが起きたのか、なぜそのタイミングで起きたのか。その教訓を紛争予防や平和構築に使うわけですが、ルワンダ虐殺、またそれに続くコンゴの紛争の要因を研究しているうちに、我々が映画「ホテル・ルワンダ」やさまざまな本を通して知られたルワンダ・コンゴの真相が違っていることがわかりました。
真相は隠され、ルワンダやコンゴの歴史は「つくられていた」のです。(これはもちろんアフリカの大湖地域だけでなく、世界あちこちで起きているのですが。。。)
真相を追及し、この歴史を書き換えようとしている人たちも大勢いますが、彼らは殺害されたり、逮捕されたりと大変リスクを負っています。それを見て私は我慢できなくなり、いろんな人に話をしたり、ブログに載せているのです。
ということで、ソフトなことも時折書きたいと思いますが、ルワンダ・コンゴの現状がおさまらない限り、硬いテーマを続ける予定ですので、お付き合いください!
24日の夜に、ルワンダの首都キガリにて、ジャーナリストのジャンーレオナー・ルバンバゲ氏が暗殺されました。
彼は「ウムヴギジ」というウェブ上の新聞の編集長代行をしていたのですが、この新聞は政府批判をしていたために、4月に中止され、編集長はウガンダに亡命していたのです。
今月19日に、南アに亡命しているルワンダ政府軍のフォステン・カユンバ・ニャムワサ氏が暗殺未遂にあい、ルワンダ政府がその事件に関与しているとその新聞は書いたために、ルバンバゲ氏が殺害されたと言われています。
「国境なき記者団」によると、2009年度の報道の自由のランキングにおいて、ルワンダは179か国のうちルワンダは157位にランクしました(2008年度の145位よりランキングが落ちたのです)。アフリカにおいては、エリトリア、ソマリア、そして赤道ギニアに続いて4番目に悪いことになります。カガメ大統領は報道の自由の「略奪者」として、「国境なき記者団」に汚名を着せさせられているのです。
それにしても、今年からルワンダの政情はガタガタです。この1月からルワンダで起きていることをまとめてみますと。。。
1月: 野党リーダーのヴィクトワー・インガビレ氏が16年ぶりにルワンダに帰還し、(一般的にツチへの虐殺と知られている)1994年の虐殺ではフツへの虐殺もあり、その加害者も裁くべきと言明したために、騒ぎを起こした
2月:首都で手榴弾事件が定期的に始まる。ルワンダ政府軍の幹部のフォステン・カユンバ・ニャムワサ氏が南アへ亡命。
4月:「ウムヴギジ」が中止される。防衛大臣がジェームズ・カバレへ氏になり、政府軍の幹部2人が自宅軟禁に。野党リーダーのインガビレ氏が「虐殺否認」という罪で逮捕される。(その後釈放されるが、パスポートはとられたままで自宅軟禁に。)
5月: インガビレ氏の弁護のためにルワンダに来た、米弁護士ピーター・アーリンダー氏が逮捕される[3週間後、健康上の理由で釈放される)
6月: ニャムワサ氏がヨハネスブルグで暗殺未遂にあう。ルガンバゲ氏が暗殺される。
残念ながらこういった事件は8月9日の大統領選挙を前に、もっと増えると予期されます。ルワンダを「アフリカのサクセス・ストーリー」と喝采している場合ではありません。
大津司郎さん(ジャーナリスト)と私の著書の記念(大津さんのは「アフリカン・ブラッド・レアメタル」(無双舎)、そして30日のコンゴの独立50周年記念を機に、6月22日に東京都内で、「コンゴの過去を振りかえ、コンゴの今と今後について考える会」を開催しました。大津さんと私が主催、ヒューマンライツウォッチ(HRW)が協力して下さいました。
日本を代表するコンゴやアフリカ関係者(といってもそんなにいないのですが。。。。人道支援者、開発援助者、ジャーナリスト、人権活動家、研究者(学生)など)を中心に30人来られたのですが(在日コンゴ人4人も含む)、中には大阪(Virgil Hawkinさん)や名古屋(久野武志さん)からも来てくださって、つくづくコンゴ関係者という日本では非常にマイノリテイーなグループの団結力は固い!と嬉しく思いました。そのおかげで、集まりは大変熱いものとなりました。
実は私と大津さんは1996年からの知り合いです。その頃、私は当時のザイールやタンザニアから(選択肢なく半強制的に)帰還する難民をルワンダで受け入れていました。そこへ、取材のために大津さんはやってきて、それ以降も、コンゴ、ケニア、日本で時々会い、アフリカ・大湖地域の現状に関して意見交換していました。
今回、大津さんが4月に、そして私が5月に著書を出版したのは全くの偶然です。本の内容も、彼のは1994年ー1996年のルワンダーザイールが中心で、私のは2007-2009年で、2冊読めばちょうど補足しあっています。ちなみに、アマゾンや今月発売の雑誌Days Japanには著書2冊が一緒に紹介されています。
anyway, コンゴの集まりですが、、、
大津さんは「アフリカは戦争、援助、ビジネスなどのfrontline。その背景を追いかけると、元気のない、policyのない日本に戻ってくる」という話をしました。
私はコンゴの人権やimpunityという重~いテーマについて話しました。このimpunity,日本ではなじみのない言葉ですが、コンゴ東部では日常的言葉です。「処罰が受けられない状態」という意味で、人権侵害を犯しても処罰がない、そしてそれが普通になっているため、culture of impunityという文化にもなっています。人権侵害者(戦争犯罪者、人道を反する罪を犯した人も含める)が裁かれないだけでなく、そのまま政府や軍隊の幹部などに昇進して国家を統治するのです。
これを恐ろしいと思いませんか?
もし皆さんの周りにこのような人権侵害者がうろうろしていたら、どのように感じますか?もちろん恐怖心で一杯ですよね。コンゴ東部の市民は下手すると一生そのような環境で生きているのです。そして、その現実(豊かな資源の存在が紛争の長期化の要因のひとつになっている)と日本は無関係ではないのです!そしてこのimpunityがある限り、我々外部者がどんなに質のいい協力・援助をしたとしても、それは無駄になるのです。何しろ、援助などが紛争の資金に簡単に変形するわけですから。
HRW東京デイレクターの土井香苗さんは、世界の中でもコンゴの人権侵害のひどさ、真実を知りたいという被害者の切望、したがって裁くことの重要さなどを話しました。
そのあと、「今回の集まりのキーワードはimpunityなのでは?」と思うほど、次から次へとフロアからimpunityの問題について熱心な議論がありました。かわいそうなこと(難民、貧困など)はOKだが、impunityは記事にならない(しかし小さな記事でも政治家は読んでいて、影響力はあるので、書いてくださいとエールが)、現地で人権侵害が起こっても、人道支援団体はなかなかそれが口に出せない、impunityには経済制裁より政治的圧力の方が効果的、ボスニアとコンゴの処罰の度合いの違いなど。
最後に、大津さん、土井さんと私から、参加者への提言を共有しました。日本政府はアフリカ政治を(裏を含めて)正しく理解し人権外交をめざす、人道支援・開発援助機関は現地の人権を尊重するように、日本政府に働きかける、メデイアや研究者はもっとアフリカの人権問題について取り上げるべき、人権団体はアフリカに関する声明などを速やかに和訳する、民間企業は社会的責任をまっとうするなどなど。いろんな方から同意、あるいはコミットメントがありました。
これからも時折このようなコンゴの有志の会を開催することにしました。次回の集まりはぜひとも国家議員や外務省の方も呼びたいものです。(今回招待したのですが、タイミングがよくありませんでした)
参加者からは「impunityという単語を初めて聞いた」(ジャーナリスト)、「人権を研究したいと思うようになった」(学生)、「コンゴの真の問題を話してくれてありがとう」(在日コンゴ人)といったコメントが。大変実のある会だったと思います。
これが開催できたのも、ロジ・モデレーターを担当してくれた舩田クラーセンさやかちゃん、そして彼女の学生たちです。本当に本当にありがとうございます!そして忙しい中来てくださった土井さんや参加者にも感謝!
この集まりの様子がわかるように、写真を載せたいのですが、なぜかうまくいかない。。。次回まで待ってくださいね。
http://www.daysjapan.net/
編集長の広河隆一さんは私が2年前までいたコンゴ東部のゴマ周辺の国内避難民キャンプへ取材に行き、私の著書『世界最悪の紛争「コンゴ」-平和以外に何でもある国』も本誌に紹介してくれています。
興味ありましたら、ぜひご覧ください。
ポール・ルセサバギナ氏「ルワンダのカガメ大統領は、人権と自由を抑圧」
ちなみに、このニャムワサ氏とカガメ大統領は大変親密な関係にいたのですが、RPF政権内に分裂があり、彼は造反したのです。詳しくは下記まで。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/africa/10358923.stm
今年8月にルワンダでは大統領選挙があるのですが、今年からルワンダの政情はガタ落ちです。2月以降首都キガリで定期的に起きている手榴弾事件。2月のニャムワサシ氏の南アへの亡命。ルワンダ虐殺のイデオロジー法で野党FDU代表のビクトワール・インガビレ氏(Victoire Ingabire)の逮捕と自宅軟禁。そのインガビレ氏を弁護するために、ルワンダに来たピーター・アリンダ-(Peter Erlinder)米弁護士の逮捕。
それ以外に、人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)のルワンダ代表のビザが延長されず国外追放されたり、ルワンダ政権に批判的なウェブ上の新聞・ウムヴギジ(Umuvugizi)の報道が中止させられました。
ということで、W杯でお祭り騒ぎをするのもいいのですが、このような政治的な事件も見逃してはなりません。世界が1つの出来事に浮かれている時や注目しているタイミングをねらって、他方で大事件を起こすものです。そうするとメデイアはあまり報道しなく、最悪の場合、意味がある事件であっても、それが忘れられることもあります。そう考えると、怖いですね。時事問題には常に敏感でありたいし、このようにブログを使ってどんどん情報を発信する重要さを感じます。
健康上の理由でErlinder弁護士が釈放されて、ホッとしています。彼は3週間のルワンダでの逮捕中、4回ほど入院しなければならないほど体が弱っていました。自殺未遂もしていたという話もあります(家族は「彼はそんなことをする人ではない」と否定していますが)。早く家族のもとに帰って休養してほしいものです。
日本の弁護士連合会をはじめとし(下記参照)、世界からErlinder弁護士の釈放を求める声明があり、それがルワンダ政府への圧力とつながったのでしょう。
Erlinder弁護士のルワンダの虐殺イデオロジーとの闘いはこれで終わったわけではありません。必要であれば、またルワンダに戻ってくると本人は言っています。ルワンダの真の平和のためにも、Erlinder弁護士に休養をとった後に、活躍を続けてもらいたいものです。
この事件で、ルワンダにはjusticeがないことが改めて証明されました。残念ながら、日本のメデイアは現在南アのW杯だけを注目し、アフリカの他国での重要な事件をほとんど伝えていません。ルワンダの「サクセスストーリー」だけを報道するのではなく、このような人権・司法問題も取り上げてもらいたいものです。
彼の釈放に関する記事は、時間がないので和訳をせず、そのまま載せますね。
Peter Erlinder Granted Unconditional Release, Will Return Home for Medical Treatment.
World News Journal
17 June 2010
By David Barouski
The Appeals Chamber of the Gasabo District High Court in Rwanda approved American Professor Peter Erlinder's appeal for bail on medical grounds today. Mr. Erlinder's brother, Scott Erlinder, said he suspects political pressure from around the world contributed to the ruling. Arrested on May 28th in Kigali, his official release is expected tomorrow as the paperwork goes through the official Rwandan judicial channels. He will now be able to return to the United States, reunite with his family and loved ones, and recieve much needed medical treatment. He was unable to appear in court for the ruling as a result of his current medical condition. Mr. Erlinder remains in the hospital in stable condition with high blood pressure problems. Following the decision, his lawyers went to King Fasial Hospital and delivered news of the ruling to him. That night (Kigali Time), Mr. Erlinder was released from the hospital. He will most likely arrive home in the United States on Tuesday (Central Standard Time) and is expected home in Minnesota on Wednesday. However, at a later date, Mr. Erlinder will be called upon to return to Rwanda to face trial as the charges have not been dropped.
Meanwhile, the fate of his client, Mrs. Victoire Ingabire Umuhoza, an opposition party leader who is charged with, "association with a terrorist group; propagating genocide ideology; negationism and ethnic divisionism," remains unknown and precarious. It is clear Mr. Erlinder will not be able to represent her in court anymore. The fate of another Rwandan political prisoner held at the same prison as Mr. Erlinder (1930), Deo Mushayidi, charged with six counts including links to the FDLR (designated as a terrorist group); Genocide negationism; spreading harmful propaganda to undermine state authority; and using forged documents, also remains unknown. Both individuals await the start of their respective trials.
All this occurs against the backdrop of numerous defections from the Rwandan military, by Rwandans in official positions, and Rwandan citizens, all fleeing into exile from alleged oppression. In response to the military defections, particularly the defection of former Rwandan Ambassador to India, Kayumba Nyamwasa (former Chief of Staff of the Rwandan Army, Commander of the 221st Brigade and Director of Military Intelligence), Rwandan President and Commander in Chief Paul Kagame has shuffled his cabinet and reassigned some military officers to new positions where they can be monitored more closely, and/or have fewer duties in the military as well as keep them busy with administrative and/or diplomatic work. Numerous officers were placed under house arrest for a time period, and a few still remain under house arrest. Numerous rank-and-file soldiers who have recently travelled to Uganda have been detained in "safe houses," where torture is allegedly occuring.
Additionally, since the beginning of the year, numerous international NGOs and individuals have accused the Rwandan government of grave oppression of Rwanda's independent press, political opposition parties and their respective members. The Rwandan government has defended its position on these issues in the press. Several grenade attacks by unknown assailants have occurred in Kigali as well. Rwandan officials have accused several parties of having responsibility, including Kayumba Nyamwasa, ex-Intelligence Chief Colonel Patrick Karegeya (in exile in S. Africa with Mr. Nyamwasa), Mr. Mushayidi, FDLR operatives, and allies of Laurent Nkunda. Since May, Rwandan police have arrested numerous political and military allies of Laurent Nkunda and imprisoned them. This major political and institutional instability occurs in advance of the August presidential elections which will be monitored by the Commonwealth. The European Union will fund the elections but will not send monitors.
会長声明集 Subject:2010-6-16
ルワンダ国際刑事法廷の弁護士に対する逮捕を懸念し、即時の釈放を求める会長声明
健康上の理由でErlinder弁護士が釈放されて、ホッとしています。彼は3週間のルワンダでの逮捕中、4回ほど入院しなければならないほど体が弱っていました。自殺未遂もしていたという話もあります(家族は「彼はそんなことをする人ではない」と否定していますが)。早く家族のもとに帰って休養してほしいものです。
日本の弁護士連合会をはじめとし(下記参照)、世界からErlinder弁護士の釈放を求める声明があり、それがルワンダ政府への圧力とつながったのでしょう。
Erlinder弁護士のルワンダの虐殺イデオロジーとの闘いはこれで終わったわけではありません。必要であれば、またルワンダに戻ってくると本人は言っています。ルワンダの真の平和のためにも、Erlinder弁護士に休養をとった後に、活躍を続けてもらいたいものです。
この事件で、ルワンダにはjusticeがないことが改めて証明されました。残念ながら、日本のメデイアは現在南アのW杯だけを注目し、アフリカの他国での重要な事件をほとんど伝えていません。ルワンダの「サクセスストーリー」だけを報道するのではなく、このような人権・司法問題も取り上げてもらいたいものです。
彼の釈放に関する記事は、時間がないので和訳をせず、そのまま載せますね。
Peter Erlinder Granted Unconditional Release, Will Return Home for Medical Treatment.
17 June 2010
By David Barouski
The Appeals Chamber of the Gasabo District High Court in Rwanda approved American Professor Peter Erlinder's appeal for bail on medical grounds today. Mr. Erlinder's brother, Scott Erlinder, said he suspects political pressure from around the world contributed to the ruling. Arrested on May 28th in Kigali, his official release is expected tomorrow as the paperwork goes through the official Rwandan judicial channels. He will now be able to return to the United States, reunite with his family and loved ones, and recieve much needed medical treatment. He was unable to appear in court for the ruling as a result of his current medical condition. Mr. Erlinder remains in the hospital in stable condition with high blood pressure problems. Following the decision, his lawyers went to King Fasial Hospital and delivered news of the ruling to him. That night (Kigali Time), Mr. Erlinder was released from the hospital. He will most likely arrive home in the United States on Tuesday (Central Standard Time) and is expected home in Minnesota on Wednesday. However, at a later date, Mr. Erlinder will be called upon to return to Rwanda to face trial as the charges have not been dropped.
Meanwhile, the fate of his client, Mrs. Victoire Ingabire Umuhoza, an opposition party leader who is charged with, "association with a terrorist group; propagating genocide ideology; negationism and ethnic divisionism," remains unknown and precarious. It is clear Mr. Erlinder will not be able to represent her in court anymore. The fate of another Rwandan political prisoner held at the same prison as Mr. Erlinder (1930), Deo Mushayidi, charged with six counts including links to the FDLR (designated as a terrorist group); Genocide negationism; spreading harmful propaganda to undermine state authority; and using forged documents, also remains unknown. Both individuals await the start of their respective trials.
All this occurs against the backdrop of numerous defections from the Rwandan military, by Rwandans in official positions, and Rwandan citizens, all fleeing into exile from alleged oppression. In response to the military defections, particularly the defection of former Rwandan Ambassador to India, Kayumba Nyamwasa (former Chief of Staff of the Rwandan Army, Commander of the 221st Brigade and Director of Military Intelligence), Rwandan President and Commander in Chief Paul Kagame has shuffled his cabinet and reassigned some military officers to new positions where they can be monitored more closely, and/or have fewer duties in the military as well as keep them busy with administrative and/or diplomatic work. Numerous officers were placed under house arrest for a time period, and a few still remain under house arrest. Numerous rank-and-file soldiers who have recently travelled to Uganda have been detained in "safe houses," where torture is allegedly occuring.
Additionally, since the beginning of the year, numerous international NGOs and individuals have accused the Rwandan government of grave oppression of Rwanda's independent press, political opposition parties and their respective members. The Rwandan government has defended its position on these issues in the press. Several grenade attacks by unknown assailants have occurred in Kigali as well. Rwandan officials have accused several parties of having responsibility, including Kayumba Nyamwasa, ex-Intelligence Chief Colonel Patrick Karegeya (in exile in S. Africa with Mr. Nyamwasa), Mr. Mushayidi, FDLR operatives, and allies of Laurent Nkunda. Since May, Rwandan police have arrested numerous political and military allies of Laurent Nkunda and imprisoned them. This major political and institutional instability occurs in advance of the August presidential elections which will be monitored by the Commonwealth. The European Union will fund the elections but will not send monitors.
2010年5月28日、Peter Erlinder弁護士(米国)が、ルワンダの首都キガリにおいて、同国の警察によって逮捕された。この逮捕の容疑は、同国の「集団殺戮思想の処罰に関する法律」の下での集団殺害否認罪及び集団殺害矮小化罪であると伝えられている。この逮捕に対しては、すでに国際法曹団体や弁護士会が、逮捕を非難し、同弁護士の即時釈放を求める声明を発表している。
Erlinder弁護士は、米国のローカレッジの教授をつとめる傍ら、ルワンダ国際刑事法廷(ICTR)で活動し、ICTR独立弁護士協会の会長である。同弁護士は、ルワンダの大統領選においてPaul Kagame現大統領の対立候補である政治家(Ms. Victoire Ingabire Umuhoza)の事件を引き受けるためにキガリに滞在している際に逮捕されたと伝えられている。この政治家もまた、4月に同種の容疑で逮捕されていたという。
1990年に第8回国連犯罪防止刑事司法会議が採択した「法律家の役割に関する基本原則」は、「法律家は、裁判所、法廷その他の法的・行政上の機関において、書面や口頭の主張または専門的外観において善意でなされた関連する発言について、民事及び刑事上の免責を享受するものとされる」と述べて、法律家の職務を保障している。また、同基本原則は、法律家の職務行為が依頼人の思想と同一視されてはならないことや、適正な弁護活動に対して各種の制裁が加えられないように各国政府が保障すべきことを求めている。それゆえ、Erlinder弁護士に対する逮捕が、同弁護士のICTRやルワンダ国内での弁護士としての活動を理由とするものであれば、そのような逮捕は、上記の基本原則に明白に違反するのみならず、弁護士による人権擁護活動を不可能なものとするきわめて深刻な事態である。
弁護士がその職務遂行を理由に、公権力によって不利益を課されたり、あるいは何人によっても危害を加えられたりすることがあってはならないということは、法の支配を維持するための前提条件である。
日本弁護士連合会は、以上の理由で、ルワンダ政府当局によるErlinder弁護士に対する逮捕を深く懸念するとともに、同国政府に対する即時の釈放を求める。あわせて、米国をはじめとする関係国政府、ICTRを主催する国連が、同弁護士の釈放のための行動を取られるように求める。
2010年(平成22年)6月16日
日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児
http://www.france24.com/fr/20100316-oublies-katanga
私もコンゴにいた時は、このような子どもたちがいること、そして彼らが日本大使館に行ったのにもかかわらず(何を求めていたかは不明)相手にされていなかったことは聞いていました。でもまさか殺されているなんて!驚きと共にショックでした。本当にそこまでする必要はあったのでしょうか。
これが本当であれば、まさしく「臭い物には蓋をする」ですね。日本政府といい、鉱山会社といい、徹底的に調査をし、きちんと対処してもらいたいものです。
残念ながら、日本のメデイアはほとんど英語圏のニュースしか流さないので、皆さんに伝えるために、友人の坂井真紀子さんに和訳を頼みました。真紀子さん、どうもありがとう!
カタンガの忘れられた子供たち
映画「ソウル・パワー」を舩田クラーセンさやかちゃんと観に行ってきました!
舞台は1974年、ザイール(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャサ。モハメド・アリ対ジョージ・フォアマンの世紀の一戦“キンシャサの奇跡”にさきがけ伝説の音楽祭“ザイール '74”が行われ、“
1974年といえば、脱植民地化の動きとともに、公民権運動、ブラック・パワー運動などが興隆した「激動の1960年代」の後ですから、その意味で活気があったんでしょうね。ザイールがアフリカサブサハラ最初の国としてW杯に参加したのも1974年で、まさに黄金時代でした。
当時は黒人が大統領になることは想像ができなかったので、その意味でオバマ政権の誕生は重要な意味をもつことを改めて再確認しました。
それはともかく、ジェームス・ブラウンの歌といい、踊りといい迫力たっぷり!映画を観ながら体がムズムズしていました。鑑賞をぜひお勧めします。
公式サイトは下記まで。
http://www.uplink.co.jp/soulpower/
ところで皆さん、1974年にザイール(当時。1997年にコンゴ民主共和国に変わるまでの国名)がサブサハラアフリカの最初の国として、W杯(ドイツ大会)に参加したのをご存知ですか。といっても、ユーゴスラビアに9-0でボロ負けにされたのですが(W杯歴史的記録らしい)。。。:( 詳細は下記まで。
http://en.wikipedia.org/wiki/1974_FIFA_World_Cup
その年は何とハイチも参加したのです!今年1月に大地震で被害を受けて、私も国際NGO・JENで人道支援で現地に行ったのですが、その国のチームも当時強かったなんて驚きです。
今年のW杯特集では南アばかりが注目されていますが、アフリカ大陸初のW杯でもあり、また今年はアフリカ17か国が独立してから50周年という年でもあります。だから、「W杯とアフリカの歴史」のようなTV番組があればいいのになーと思いました。もし既に放映されていたらごめんなさい。
http://edition.cnn.com/2010/WORLD/africa/06/10/paul.rusesabagina.interview/index.html
確かに今年になってルワンダは焦っているように見えます。それは後日時間がある時に書きますが、最近のピーター・アリンダー米弁護士の逮捕に関しても米国の対応が怪しい。まあこの地域のgeopolicisから言って理解できるのですが。。
昨年4月にイランで、米ジャーナリストのロクサナ・サベリ氏(当時31)が米スパイ活動をしていた罪で禁固8年の実刑判決が言い渡され、クリントン国務長官が即時釈放を要求したのを覚えていますか。
背景は違うとはいえ、5月下旬以降、アメリカ人がルワンダで逮捕されているのです。米弁護士団や大学教員が彼の釈放を繰り返し要求をしているのに対して、米国務省は形式上一回だけ釈放を要求しただけです。この事件で、クリントン国務長官自身が公的に発言をしていません。上記のロクサナさんとの対応が全然違うのです。
(これから横浜のアフリカフェスタに行くので、時間がない!ということで、ルワンダとアメリカの関係を知りたい人は著書『世界最悪の紛争「コンゴ」』を読んでください!)
残念ながら日本のメデイアは南アのW杯に注目してしまい、他のアフリカ諸国での報道をほとんどしていません。1994年の時もそうだったけ。世界のメデイアが南アの選挙に没頭している時に、ルワンダでは虐殺が始まり、南アにいたジャーナリストは選挙が終わって即ルワンダに向かいました。今回も南アのW杯の裏で、ルワンダで大事件が起きらないといいのですが。
ということでアフリカでの現状を知るためには、英語そしてフランス語圏のメデイアをしっかりフォローすることを薦めます。
UNHCRのeCenterって知っていますか?
正式には「国際人道援助緊急事態対応訓練地域センター)で、現場で勤務する国連、NGO, 外務省、JICA, PKOなどの職員のために、緊急事態対応のワークショップを定期的に開催しているところです。私はこの緊急事態ワークショップが大好きで、今学生用に同様のワークショップができないかと模索中です。
そのeCenterがUNHCR東京事務所に設立してから今年で10周年を迎え、10日に国連大学で記念シンポジウムがありました。
シンポジウムの話の中心が安全管理とか緊急支援になるのかなと思っていたのですが、途中からスピーカーのUNHCRのアミンさん(緊急・安全管理部長)がコンゴ東部の性的暴力のひどさについて触れ、緒方貞子JICA理事長もコンゴ東部の人間の安全保障について話しだし,impunityの話が長々と続きました。
私はコンゴ東部に勤務してから、現地で大問題になっているこのimpunityに大変関心を持っており、どのように対処すべきか考えてきましたので、シンポの話がimpunityになったとき、興味深く聞きました。そして外務省の方に「eCenterの研修を通じてスタッフの能力は高くなっても、impunityの問題がある限り悪循環が続くだけ。impunityには国際社会や日本政府といったドナー国の政治的圧力が必要。外務省はどのように取り組むのか」と質問をしました。
しかし(いつものことですが)、最終結論はICC(国際刑事裁判所)や国際社会がちゃんと対処すべきに達してしまうのです。それほど難関であり、sensitiveな問題なのです。
ところで、このimpunity、ずっと英語で書いてきましたが、うまい和訳がなく、いつも英語で使われるほど日本人になじみがない言葉です。日本は刑罰がまともにあるからでしょうか。
anyway, このimpunityは私の現在の研究課題です。もっと勉強しなくては!
私はその選挙に国連の監視員として2か月間南アにいたのですが、その時も住民は大変興奮していました。黒人はそれまで政治に参加できなかったのですから当然です。アパルトヘイトもなくなり、住民は希望と期待を持っていました。
世界の歴史に残るその選挙を身近に見ることができ、私も変感動していました。自分の仕事ではなかったのですが、投票所が遠くて行けない年配のおばあちゃんを車で連れていったりと、アクテイブに動き回ったものです。
その94年から16年経ちましたが、残念ながら南アは経済格差が広がり、治安問題はますます悪化。核兵器も武器もつくっており、それをアフリカの紛争国に売っています。アフリカ各地で起きている紛争から逃れる難民や移民が多くいて、彼らが南アの限られた職を「奪っていること」もあり、南アの黒人によるxenophobia(外国人嫌い)や暴力が絶えません。
そんな南アですが、市民社会は大変活動的で、政府を自由に批判できるところが好きです。私は南アの大学院に留学していたのですが、教員や学生はいつもオープンに政府の悪口を言っていました。これは残念ながら、多くのアフリカの諸国では見られない光景です。そういう意味では、南アは表現の自由があると言えるでしょう。
Anyway, let us enjoy the World Cup!
http://af.reuters.com/article/somaliaNews/idAFN0916742320100609
ドス氏はイギリス人、その前任者のスウィング氏(William Swing)はアメリカ人であったので、また特別代表がアメリカ人に戻ったということです。このアフリカ中部・大湖地域は(特に資源が豊富なコンゴにおいて)実質上アメリカ人・イギリス人が握っているので、この人選は理解できます。(詳細は著書『世界最悪の紛争「コンゴ」』のxivページをご覧ください)
ちなみに、イギリスの元ブレア首相はルワンダのカガメ大統領のアドバイサーであり、現在ルワンダにいます。
家族と同僚はチェベヤ氏の葬式を今月30日(コンゴの独立記念日)に行いたいのですが、今年は独立して50周年を迎え、宗主国ベルギーの国王も祝福のために30日に首都キンシャサに来る予定です。コンゴ政府にとってその大事な日に、独立と関係ない大きなイベントが行われると、市民の大衆がそちらに行ってしまう恐れがあるため、当日の葬式の計画も止めようと脅迫をしているのです。
ところで、モブツ大統領政権時代(32年間)に比べると、現在のジョセフ・カビラ大統領政権時代(今年で9年間)の方が殺人事件や人権侵害は圧倒的に多く、ほとんど(というか全部かもしれない)調査はされていないとのこと。その典型的な例が、2001年1月16日に暗殺されたローラン・カビラ前大統領。ローランとジョセフは親子関係のはずなのに、その息子が父親の暗殺の調査を積極的にしないのは変だと思いませんか?
話はコンゴの独立記念日に戻りますが、600万人の死者を生んだ「コンゴのホロコスト」を考える企画が開催されます。
日時: 6月30日 (水) 1200-1630
会場: 東京四谷ひろば(〒160-0004 東京都新宿区四谷4丁目20 東京都 新宿区 四谷4丁目20.)
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M13007/13104/21331556041/
主催:Patriotique Congolais
その夜はコンゴ大使館が主催する豪華な夕食会があるとか。哀悼と祝福が同時にあるという混乱した日です。
最初はルワンダにいるコンゴ難民の帰還だと思われていたらしいのですが、どうもルワンダ人「らしい」のです。「らしい」と書いたのは、ルワンダ系住民の国籍問題が長年あり、誰がルワンダ人かコンゴ人かよくわかっていないから。
この数ヶ月間に少なくとも6万人のルワンダ人が移住し、資源の豊富な場所を支配しているとのこと。そう、この天然資源の存在が紛争の要因となっているのです。
詳しくは
http://www.boston.com/news/world/africa/articles/2010/06/07/emerging_congo_mini_state_raises_fears_of_conflict/?rss_id=Boston.com+%2F+Boston+Globe+--+World+News
Floribert Chebeya(フロりべ・チェベヤ)氏の死はコンゴだけではなく、国際社会も注目している大事件です。
ちなみに、1994年以降殺されているジャーナリストと人権活動家は、チェベヤ氏を含めて15人に上ります(女性1人含む)。
私はコンゴに通年4年いましたが、仲のいいコンゴ人の友人も私の前で政府をなかなか批判できませんでした。みんなきっと報復を恐れていたのでしょう。逆に国外にいるコンゴ人は、オープンに政府批判をしていました。
よく批判を悪いものとしてとる人がいますが、私は前進・改善するためにいいアドバイスとして受け止めています。だから批判という表現の自由がないと、当然good governanceは生まれないと思います。残念ながら、この”good governance”はコンゴにおいてジョークのようなものです。
http://www.hrw.org/node/90781
この事件でヌンビ警視総監は5日に職務停止になったので、ビゼンギマナ副総監が代行をしている。
http://allafrica.com/stories/201006060016.html
この二人がまたとても怪しい人物である。前者はカビラ大統領とルワンダのカバレレ防衛大臣と仲が良く、2009年1月のコンゴ・ルワンダの対FDLR(反ルワンダ武装勢力)の合同掃討作戦の際、裏方で操っていた。後者は、元モブツ大統領の官房長ビゼンギマナの息子である。父ビゼンギマナは、ルワンダ(ツチ)難民であり、当時大統領に次ぐ権力の保持者であった。現在も、この大湖地域(コンゴ、ルワンダ、ブルンジ、ウガンダとタンザニア)ではルワンダ(ツチ)の影響力は相当ある。
これからの動きが気になるー。
ところで今回の事件で、コンゴ人の間でいろんな意見が交っている。
「我々コンゴ人は世界の中で一番ナイーブな国民だ。このような人権侵害に対して、もっと声を上げないと」「コンゴやアフリカでは、人権の保証はない」「我々は人権侵害に慣れ、頭がマヒしている」
私はコンゴ紛争が再燃した2007-8年にコンゴ東部にいたのだが、いろんな人が資源を不法に搾取し、利害と貪欲が集中していた場であった。何が正常で何が異常なのか分からなくなるほど、頭が狂いそうになった。だから、上記のコンゴ人の意見はわかる。こういう時こそ、外部の者が人権の重要性を訴えないといけない。
http://hrw.asablo.jp/blog/2010/06/04/5138237?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
詳細に関しては下記を見てください。
http://www.minnpost.com/stories/2010/06/04/18686/erlinders_arrest_puts_focus_on_fierce_fight_over_record_of_rwandan_genocide
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過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。