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「2050年に人口が11億人に達するアフリカは巨大な市場」だから、「アフリカは常にビジネスの門戸を開いている」と締めくくったり、「アフリカには希望がある。何しろ、人口の半分が青年・若者で、(シニア世代が多い日本と違って)労働力がたくさんあるから」と発言する、などなど。
上記を国際・地域機関のトップ(に近い人)が堂々と言うのです。私自身もっと「ロジカル・シンキング」を学ばないといけないので、あまり他人の言葉について批評はできませんが、上記を聞いて「量より質をもっと考えて!」と叫びたくなります。残念ながら、それに関してはほとんど議論されていないような気がします。
アフリカのいくつかの国では、小学校が義務教育でありながら学費を請求する、親がその学費(1か月1ドルでさえ)が払えないため、子供は労働者(ほとんど奴隷として)としてつかわれる、あるいは売春婦として売られる、教師の給料も文部省からでないので教師が学校を放棄する、、、、、こんな現状が続いている国では当然、考える、計画を立てる、相手の痛みを理解する、責任を持って仕事をする、などなど基礎的なことができる人材がなかなか生まれません。こんな現状で「我々には労働力がある!」と自慢できません。(まあもちろん、まともな教育を受けられる環境にいたとしても、人間基礎力が身につけるとは限らないのですが、、、)
自慢といえば、上記以外に、ソマリアであれば「我々の国の海岸線はアフリカ大陸で最長」、スーダンであれば「我が国はアフリカでは面積においては最大国」(来年から変わりますが。。。)、コンゴであれば「資源がたくさんある」と自慢話をよく耳にします。しかしそれよりも、自分たちが努力して得たこと(教育など)について誇りに持ってもらいたいものです。
今計画している大学生用の合宿セミナー(2011年2月に開催)では、まさしくそのロジカル・シンキングが身につけるような講義を開く予定です。それをあるベテラン教員に言うと、「もしかして学生だけでなく、教員にも必要なのでは」という返事が返ってきました。確かにそうですね!私も学生と一緒に勉強します!
最近のコンゴとルワンダの現状についてまとめたいと思います。
5日後の10月1日に例の国連報告書(草案には、ルワンダによる「虐殺の疑い」が書かれている)公表される予定なのですが、果たしてその報告書が「虐殺」という単語を残すのか、それとも削除するのか。どちらにしても、大湖地域に大混乱状態が起きそうです。
「虐殺」が残れば、ルワンダ政府はスーダンのダルフールにPKO軍として派遣しているルワンダ軍を即撤退すると国連に「脅迫」しており、不安定なダルフールにおける市民の保護に大きなダメージを与えます(ちなみに、ルワンダ軍はリベリア、チャドとハイチにも軍隊を派遣しており、規律正しいと評判が高い)。そのルワンダ軍はダルフールから撤退しないという噂も入っています。確か先週、ダルフールではルワンダ軍のメンバーの交代があり、もし本当に撤退するのであればこの時期に交代しないはず。ということは報告書から「虐殺」は削除された、ということでしょうか??
報告書にはルワンダ政府以外に、コンゴ、ブルンジ、ウガンダ、アンゴラもコンゴでの「虐殺」に関与していたと書かれているため、これらの国々も国連に反抗しています。
それとは裏腹に、「国連、よくぞよくやった!ルワンダ政府の圧力に負けず「虐殺」をそのまま残して!」というエールもFDLR(ルワンダ反政府勢力)やコンゴ人のダイアスポラからあります。それに加えて、この数年(特に今年)カガメ大統領からウガンダや南アに亡命した元RPF(現政権)の幹部4人が9月6日に(カガメ大統領の就任式の日)60ページのレポートを公表し、それには「今のルワンダ政権は独裁主義、カガメ大統領は拠出国からの援助金を私的に使用した。今必要なのは政権のチェンジ」など現政権を厳しく批判しています。そして、その元幹部らはルワンダへの攻撃を準備しているらしいとのこと。彼らは20年間カガメ大統領と共にゲリラ作戦や諜報などに関わってき、カガメ大統領のことは何でも把握しているので、本当に起きうるのではないかと恐ろしくなります!特にその幹部たちが、ルワンダ外にいるFDLRやその仲間(人口的に多い)と共同で攻撃する可能性もあるので、そうなるとこの地域は再び紛争状態に戻ります。
私が悲観的すぎでしょうか。しかし、1994年の虐殺がコンゴに飛び火した後も大湖地域の紛争の原因は解決されておらず、虐殺の首謀者などで構成されているFDLRは現在もコンゴ東部で活動しています(カガメ大統領は、「テロリスト」であるFDLRとは和解はしたくないと主張)。2009年の国連報告書によると、このFDLRはスペインから北朝鮮までのネットワークがあるとのこと。ルワンダの華やかな経済的成長の陰に隠されていたh人々の感情(真実が明らかにされていない、被害者への補償がないなど)が、紛争のサインや警告として現在出始めています。アフリカの紛争はいきなり始まることが多いため、要注意はすべきでしょう。
アー私に政治的権力があれば、カガメ大統領やFDLRのリーダーなどの関係者に話し、真実と直面し、和解活動に促すのに!もちろん言うは易し、行うは難しなんですけどね。
追伸:ルワンダ軍によるコンゴにおける「虐殺」に関しては、著書『世界最悪の紛争「コンゴ」~平和以外に何でもある国』をお読みください。ルワンダにおける虐殺は既知の事実ですが、コンゴにおけるものは「虐殺」として未知であり、日本語で書かれたものはおそらく私の著書だけです。
私はこれまで、開発、人道支援、人間の安全保障、平和、アフリカなどに関するセミナーや講演に足を運びましたが、特に大満足したものは5%しかないと思います。ほとんどの講師がきれいごとや理想しか話さず、現実について本音で話さないからです。また自己満足的な内容が多く、次の行動につながるものも大変少ない。もちろん講師が立場上言いたくても話せないこともあるでしょうが、それでは悪循環から脱出できなく、問題の改善にはつながりません。それどころか、問題が悪化するだけです。
国連のMDGの会合でカガメ大統領が共同議長をしているのですが、それに関する報道があまりない様な気がする。。。今までカガメ大統領はアメリカに行く度にちやほやされていましたが、今年はルワンダに大きなダメージを与えた国連報告書が8月に漏れたということで、ニューヨークでは大変冷たい反応が待っていたとは聞いています。
例えば下記の写真。「カガメは犯罪者」「End the impunity (不処罰を止めよ)」といった看板などが見られます。
http://amengual.info/SampolCarreroUN_NY/100920SampolCarrero_001.jpg
でもそれ以外は他の報道は特になし。MDGのもう一人の共同議長のスペイン・サパテロ首相は今回どうしているのか(注:7月16日にマドリッドで初のMDGの会合で、サパテロ首相はカガメ大統領との面会をボイコットし、大きなニュースになった)。気になります。
合宿中にコミュニケーションの大切さを学んだ学生が大勢いたのですが、レポートもある意味でコミュニケーション・ツールです。字数140字までし書けないtwitterをやっているせいか、つぶやく感じでレポートを書く学生もいて、「この人は何のためにセミナーに参加したの?」「本当にやる気があるの?」と疑ってしまいます。レポートを読む相手は合宿セミナーに参加していなく、何が話されたかを知りたいと思ってレポートを読んでいると想像して、真面目に、かつ気合いを入れてレポートを書いてもらいたいものです。内容はともあれ、レポートを提出すれば単位がもらえる!とあまーい考えを持たないように!
また驚いたことに、30%の学生が件名もあいさつの言葉もなしに、私にレポートを送ってきたことです。件名を書くことで、読む手もメールを開ける前に「これについて書いている」と心の準備ができ、時間的にも仕事的にも効率的です。
顔も話し方も見えないレポートを通して、書いた人の志や性格が伝わり、その人の印象も変わります。そういう意味でレポートは怖いコミュニケーション・ツールですので、皆さん注意し、明日からこのアドバイス通りに実践してくださいね。
。。。と生意気なことを書きましたが、私も学生時代同じようなミスを何回もしたと思います。そして気が付いていないけど、現在でさえ!ということで、上記は私へのメッセージでもあります。お互いにこの教訓を踏まえて、ステップアップしましょう!
そう、やればできるのです!一番大事なのは、やろう!とする「思い」なのです。
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641049864
私も「人道支援と平和構築の知恵~難民・避難民の視点で考える」という章を書きました。人道支援と平和構築に関する本はたくさん出版されていますが、どちらかと言うと、国連、NGO、援助者の視点で書いたものが圧倒的なので(もし間違っていたらごめんなさいね)、支援される側の視点で書いたこの章は読む価値はあるかなと自分で勝手に思っています。
編集者は峯 陽一 (同志社大学教授),武内 進一 (JICA研究所上席研究員),笹岡 雄一 (JICA研究所上席研究員)というアフリカ研究において、超有名人ばかりです。しかし、本は学術的ではなく、若者にアフリカに関心を持つように読みやすく書かれています。ぜひ読んでくださいね。
ということで目を休ませるために、これから寝よっと。おやすみなさい。
そんな混乱の中、どさくさまぎれに、94年虐殺直後に調査したUNHCRの報告書(Gersony Report)もどこからか外に漏れてしまいました。この報告書が大変有名なのは、現政権であるRPF(ツチ系が多い)が1994年4月から8月まで虐殺に関与し、約2万~4万人の市民が犠牲になったという一種の「機密」が書かれているからです。「ホテル・ルワンダ」などでは、フツがツチを殺害するイメージを強く描かれていましたが、その反対、つまりツチがフツを殺害することも実際にあったのですね。ルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)はこの報告書を世界中で探したのですが、見つからなかったとのこと。「せっかくこれから新政権を取ろうとしているツチにとってマイナスになるため」(歴史学者のプルニエル氏)、その報告書が国連から「発禁」(embargo)され、処理されてしまっていたのです。その消えたはずの報告書が今インターネットに公表されているのですから、ネットの凄さ(怖さも含めて)を改めて痛感しました。
8月27日のLe Monde紙が「国連報告書草稿を公表したら、ルワンダは国連から撤退(特に平和維持活動軍-PKO)をすると、ルワンダ外務大臣が国連事務総長への8月5日付けの手紙に書いた」と書いてありました。8月31日付のNew Times(ルワンダ政府寄りの新聞)によると、ルワンダ軍は「ルワンダ軍の撤退といった命令はまだ政府から降りていない」とはっきりしない発言をしたのですが、同じ日[31日]の記者会見で、ムシキワボ外務大臣は「国連がこの報告書をどうするかわからないけど、我々は撤退を真剣に検証している」と発言したのです。また、1994年のルワンダ虐殺当時に、国連PKOの幹部をしていたコフィアナン氏が、ルワンダでは失敗したとアナン氏のせいにしたのです。(いつものことだけど、ルワンダ政府っていつも人のせいにする傾向が強い。自分の行為を振り返るという習慣はないのでしょうか)
そして続いて、「平和維持活動軍として活動している(ルワンダ)軍が、レイプや殺人に関われるはずがないわ」と言いました。
この「XXだから、YYである」、あるいは「XXだから、YYのはずがない」という考えや主張は、ルワンダ政府だけでなく、世界どこでも使われているのですが、大変非論理的な場合があります。我々はよく「AさんはXXの資格を持っているから、YYができるはず」とか「BさんはXX人だから(あるいはXX教徒だから)、YYをしない(はず)」と耳にするのですが、「冬は寒いから、コートが必要」といった論理ならまだしも、「Aさんはいい人だから、悪いことはしないはず」とは必ずしも断定できません。PKO軍は人道支援や市民保護のようないいこともできるでしょうが、その一方で人殺し、レイプや搾取も平気でやっています(残念ながらそのような行為を、私はカンボジアやコンゴなどで間近で見てきました)。だから上記のムシキワボ外務大臣の考えは全然論理が合わないのです。
私も含めて我々は、ロジカル・シンキングの訓練をもっと普及しなくてはと現在教育者の身として思います。もちろん学生だけでなく、社会人にも。ルワンダだけではないですが、政治家が一番必要だったりして?
私は2005年の8月南スーダンのマラカルというテレビのない町に6か月長期出張していたので、カトリーナのニュースは聞いていたものの、ブッシュ大統領の対応が大変遅かった以外、詳細については知りませんでした。しかし今日地元活動家の話を聞いて、「これってもしかしてアフリカの出来事?」という錯覚に堕ち、ショックを受けました。
昨日のブログで「勝者がいつも歴史を語る。。。少なくとも最初は。。」はについて書きましたが、戦争の歴史だけでなく、このようなunnatural disaster(戦争や虐殺のような人災man-made disasterでなく、自然災害だが政治的意思があれば避けられたという意味での人災)についても同じことが言えますね。もっともっと被災者や敗者の人に耳を傾けなくて、社会改革をしなくては!その問題意識を持つために、このDN!を観ることをお勧します。
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過去にリベリア、南ア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、コンゴなどで国連ボランテイアや国連難民高等弁務官事務所職員(UNHCR)として活動。南アの大学院でコンゴ紛争について研究し、2007年―2008年には、コンゴ東部でUNHCRの所長として勤務したこともあり、その経験を活かして現在アドバカシ―に力を入れています。